さて、「『出版人』とは(1)――“いい仕事”をするということ」の続き。“いい仕事”をしていくことが与えてくれるもの、“いい仕事”をしていくために、『出版人』と仕事をしていくために必要なこと、自分がどうあるべきかについて、お話ししたいと思う。
前回、わたしは、『出版人』の方々と“いい仕事”をさせていただきたいし、また、ありがたいことに、実際にさせていただいていると書いた。
しかし、出版業界に入った当初から、それができていたわけではない。(現在も発展途上中ながら、それでも)ここにたどり着くまでに、まわり道をしてはいる。けれど、その「まわり道あってこそのいま」と考えている。前回書いたように、生きていく上での体験に、マイナスも無駄もない。すべてが、自らの糧となる。
さて、わたしの出版界でのスタートは、株式会社リクルートコンピュータパブリシング(現・株式会社リクルートメディアコミュニケーションズ)という、リクルートグループの制作会社で、『ケイコとマナブ』など、スクール情報誌のディレクターをさせていただいたことだった。
はっきりという。
わたしだって、はじめは、編集者なんて、なにをするのか、さっぱりわからなかった。知らなかった。(だからこそ、リクルートグループの制作会社という、所謂一般的な「出版社」ではないところから入っている。しかし、結果として、それも本当にいい体験だった)
ただ「書きたい」という思いは強かった。『書く』ことは、子どものころから、ずっとしてきたことだった。『書く』ことを仕事にしたいと願ったのは、小学生のころからだ。(しかし、はっきりいって、わたしはビビッていた。だから、まわり道をしながら、だんだんと本来の目標に近づいていったのだ。しかし、それも、本当に『書く』上でも、いい体験となった)
そして、わたしの決定的な原点、いまも変わらぬ揺るぎない原点は、このブログのプロフィールの『★目標・夢:』の欄を参照してほしい。これが重要なところだ。
さて、当初は、「まずスキルを身につけなければ」という思いがあって、ただし、スキルだけでは不足だろうとは漠然と感じていた。
株式会社リクルートコンピュータパブリシング(現・株式会社リクルートメディアコミュニケーションズ)の面接で、圧迫面接にも負けず、わたしは訴えた。
「テクニカルかつクリエイティヴなことがしたいんです!」
そして、先述のように『ディレクター』採用となる。
わたしは、希望職種の欄に、『ディレクター』の『ディ』の字も書いていない。
勉強不足で、それぞれの職種がなにをするのかが、さっぱりわからなかったわたしは、とりあえず希望職種に『DTPオペレーター』などと書いていた。
同社のいいところは、採用の際、そのひとの希望と適性と、配属先ならびに職種を、きちんとマッチングさせてくれるところだ。(いまも行われているのかな~、わからないけれど、同社では、採用ラインを超えたひとの履歴書や職務経歴書、筆記試験の書類などが、適切と思われる各部署にまわされて、どこかで拾われれば、そこへの配属となる)
株式会社リクルートコンピュータパブリシング(現・株式会社リクルートメディアコミュニケーションズ)は、右も左もわかっていないわたしの希望と適性を汲んで、適切な採用と配属をしてくれたと思う。
「『ディレクター』って……なんですか?」だったわたしにも、すぐに、ディレクター採用をしてくれた会社の意図がわかった。つらいときも、まわりの先輩方が支えてくださり、たくさんのことを学ばせていただいた。同社と、いまも変わらずよくしてくださる同社の先輩方には、心から感謝している。
体調を崩し、わずか8ヶ月の勤務だったが、同社で得たものは、本当に大きかったと、いまでも思う。
その後、半年強の静養期間というか、ぶっちゃけ引きこもり期間を経て、株式会社宝島社に、ムック編集者としてアルバイト入社。半年足らずで、ありがたいことに、「アルバイトでは、能力相応のギャランティーが支払えない」と、専属フリーランスへの変更を、会社から申し出ていただく。
同社では、わたしの前職時代にかじって+静養期間中に独学で学んだグラフィックスキルや、そのまえの矢野経済研究所時代にかじって+独学で学んだプログラミングスキルなども活かさせいただいた。(どんなスキルも、すこしでもかじったものは、しっかりと独学で学んで、自分のモノにすることだ)
新たな可能性を引き出し、展望を開いてくれたと感謝している。
しかし、当時の同社は、基本的に外注体制だった。編集も執筆も。
そこに物足りなさを感じたわたしは、同い年の先輩に相談し、背中を押していただいて、直属の上司に、インタビューや執筆、編集も、外注せずに、自分でやらせてほしいと交渉した。それは、編集部としても、外注のコストダウンにもつながる。しかし、前提として、それは上司から大川内にそれらを任せてもいいとの信頼を得ることが先だ。交渉までに、信頼を得るだけの仕事をすることに努めた。
その甲斐あってか、わたしの申し出は、ありがたく、受け入れてもらえた。
はじめてのインタビューなんて、大失敗もいいところでめちゃくちゃだった。でも己の弱点を知れば、それを克服すればいいだけの話だ。
インタビューが弱点だと知ったわたしは、ある零細版元から編集長を頼まれ、執筆・編集・デザイン・DTP制作を個人で請けていた文藝同人誌に、すぐさまインタビューコーナーを取り入れて、さまざまな手法でのインタビューと、その原稿執筆をやった。
企画の立案も、著者などとの対外交渉も、「正社員の仕事だから」「専属フリーランスのわたしの仕事ではない」などと考えたことはない。自ら、率先してやった。『株式会社宝島社 大川内 麻里』の名刺を、会社からいただいている以上、それ相応の仕事をやって然るべきだと思っていた。
わたしが「それ相応」と考えていた仕事は、周囲からすると、異例のこと(?)というか、すくなくとも、2割増の仕事をするプレイヤーだとは映っていたようだ。しかし、わたしにとっては、そんなことはやって当然のことだった。
やれといわれたことをいわれたようにこなすだけなら、サルでもできる。そんなもの、到底、能力などと呼べる代物ではない。「いわれないことをどれだけ自ら率先してやるか。どんなふうに結果を出すか」に現れるもの、それが能力。そう考えていた。
しかし、会社のカラーと、自分のやりたいこと、つくりたい本、その意図がマッチしない。
自分の考えとマッチする企画があれば、他版元の仕事も請けていた。
このころに、はじめて『出版人』を意識しはじめる。
その後、26歳のときに、専属ではないが、勤務先にそれまでどおりデスクを残したまま、片足フリーランスになるなり、仕事の依頼が殺到。
半年後、正式退社し、完全にフリーランスになった。さらに仕事の依頼は殺到する。
それから、いま経営している自社(編集プロダクション)を設立するまでの半年間は、完全フリーランスで、ひとりで仕事を請けていた。
その半年間というものは、常に15冊は、ひとりでまわしている状態。
片足フリーランスになったときに決めたことでもある“朝の2時間しか仕事をしない”状態で、難なくまわせていたので、時間の面でのつらさはなかったが、次々と自分にノルマを課していく仕事の仕方は、やはり異常だった。
いま思えば、「自分にはキャリアがない」という不安にさいなまれていた。「やりたいこと、つくりたい本をつくった」という成果物がすくなすぎると。
自分のやりたいこと、つくりたい本をつくるには、「やりたい、つくりたい」を伝えるだけではなく、成果物を見せて、「やれる、つくることができる」という証を示さなければならないという焦りがあった。
しかし、「やりたい、つくりたい」という熱意だけで(というのは、やや語弊があるのだが、後述する)、わたしを買ってくださる『出版人』の方々がいらした。驚いた。でも、驚いている暇などない。それに報いることができるよう努めた。
成果物など求められなかった。なのに、わたしに任せてくださった。
彼らは、わたしに、「やりたい、つくりたい」という熱意はさながら、「やれる、つくることができる」能力が備わっていると見抜いてくださっていたり、あるいは能力を試そうという懐の深さをお持ちだったりしたのである。
『出版人』は、そのひとの熱意や興味、関心のありかはどこなのか、適性や能力はどの程度なのか、どこを突けばネタが出てくるか、瞬時に見抜く。
(自分の能力が高いなどとおごるわけでは決してない。わたしなんか、まだまだ発展途上もいいところだ。ただ、常にまえを見ることは忘れていない)
わたしは、今日も、そんな『出版人』の方々のご恩に、精いっぱい報いることができるよう、本をつくる。本を書く。
結果を出すことが、一番の恩返し。
結果とは、すなわち、読者の反応である。
「ありがとう」――『出版人』の方々は、かならず、この言葉をお忘れにならない。
わたしなんかに、「ありがとう」の言葉をくださる。
「とんでもございません。私の方こそ、このような機会をお与えいただき、ありがとうございます」いつもそう思う。そうお伝えする。
やがて、ビジネスパートナーとともに、会社を興したいま、『出版人』の方々からのお仕事しかいただいていないといっても過言ではない。意図したことではない。自然の流れである。
『出版人』の方々と“いい仕事”をさせていただきたいと思うなら、まず、『出版人』の方々とより触れ合うこと。よほど、自分の目が節穴でなければ、彼らの人間性がおのずと見えてくるはずだ。
そんな彼らと触れ合えるに値する人間になろうと努めること。
もっといえば、自分も『出版人』たりえることができるように、理想の『出版人』像を追求し続けることだ。
わたしに、そんな追求し続けるべき理想の『出版人』像を、常に与えてくださるのは、ほかでもない、心から敬愛する『出版人』のみなさまである。
「こんな『出版人』になりたい」否、むしろ「こんな『人間』になりたい」――心底、そう思わせてくださる、尊敬する『出版人』の方々。
本当に本当に、いつも、ありがとうございます。
あなたのおかげで、わたしは、常に目標からブレることなく、原点が揺らぐこともなく、そして、夢をひとつずつ叶えていかせていただくことができています。
あなたのような『人間』になりたい――おこがましいようですが、そう強く思うのです。それが、わたしにとって、究極の夢なのです。
たとえ、どんなに遠回りをしたとしても。
青臭いかもしれませんが、一生をかけてでも、叶えたい夢です。
すこしでもいいから、近づきたい。常に思っています。
「こんな『人間』になりたい」
――夢、って、究極をいえば、そういうことなのではないだろうか。
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