カテゴリー「心と体」の58件の記事

■「やらなければならない」がやる気を阻害する! モチベーションをコントロールする方法

モチベーションをコントロールする方法について、
寄稿させていただきました。


「やらなければならない」がやる気を阻害する!
モチベーションをコントロールする方法
http://careerzine.jp/article/detail/637/


モチベーションとはそもそもなんなのか?
どうしてもモチベーションが上がらないときの対処法は?
そもそも仕事に対してこんな思い込みをしていませんか?
という視点から書きました。

新たな気付きもあると思います。

モチベーションを維持し続けるのが難しいと感じているあなた、
ぜひご一読を。

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■はるな愛さんインタビューしてきました!~自分らしく生きられない人たち(3)自分らしく生きることでまわりも幸せにする

はるな愛さんを取材させていただきました。

か~わ~い~い~heart04が第一印象lovely
そして、苦難をチャンスに変えてきた強さと輝きを、オーラでかんじました。


彼女の取材を通して、
「自分らしく生きる」ってことをすごく考えさせられました。


彼女なんて、人生二択で、
「親のことを気にして、男として生きるか」「自分らしく女として生きるか」
もっと言えば「生きるか、死ぬか」。


でも自分らしく生きることで、
彼女は、結局まわりの人も幸せにしたんですよね。


「子どものころからの夢をかなえて、いまどうですか?」って聞いたら、
涙を流しながら、
「悩んでいた幼い大西賢示くんに、大丈夫だよって、いいんだよって、
わかってくれる人はかならずいるよって言ってあげたいですね」って。

その涙は美しく、思わず、もらい泣き。


なにをしようにも「男」「女」っていう根源的なアイデンティティの不和に
ぶちあたる人生を乗り越えてきた人は、
そして自分らしく生きている人は、
やっぱり一言一言にものすごい説得力があったし、輝いてました。


女の心を持ちながら、男の身体に生まれてきて、
3歳のころからアイドル歌手を目指してきたはるな愛さん。
その夢が性別の壁を乗り越えて、30余年経って叶うんですもの。

わたしたちも、ちょっとやそっとのことで、
へこたれてなんかいられませんよね。


自分らしく生きること。
そして、自分らしく生きることで、いっしょに幸せになってくれる人。
大事にしたいなって思いました。


【関連記事】
■自分らしく生きられない人たち(1)~好きな仕事、やりたい仕事ができない
■【追記1】自分らしく生きられない人たち(1)~好きな仕事、やりたい仕事ができない
■【追記2】自分らしく生きられない人たち(1)~好きな仕事、やりたい仕事ができない
■自分らしく生きられない人たち(2)~心の病気など弱いところを見せられない」」

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にしおかさんを生で見る機会なんて、
いまホントにないので貴重ですよshineshine

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■【追記2】自分らしく生きられない人たち(1)~好きな仕事、やりたい仕事ができない

わたしはM大学人間学部心理学科の生徒でもあるのですが、
いま臨床心理学を学習していて、
ちょうど先日書いた記事とリンクするような内容があったので、引用します。


ポジティブな結果に執着すること
(ポジティブな出来事のあとに自己注目をすること;
たとえば、合コンで好みの異性から話しかけられ、いっしょに楽しいときを過ごしたことを繰り返し考える)
は、
楽観の原因となります。(例:「今度はうまくいくかも」)
しかし、将来失敗した場合、
うまくいくと考えていた分、かえって大きな失望と幻滅を経験するかもしれません。
(「うまくいくと思っていたけど、やっぱりだめだったか」)
そこで、ネガティブな出来事のあとに自己に注目することによって、
ネガティブな自己イメージを維持し、
将来大きな失望や幻滅を味わう危険性を潜在的にすくなくしている
のです。


特に、最後の一文ですね。
なにかのヒントになれば幸いです。


【関連記事】
■自分らしく生きられない人たち(1)~好きな仕事、やりたい仕事ができない
■【追記1】自分らしく生きられない人たち(1)~好きな仕事、やりたい仕事ができない
■自分らしく生きられない人たち(2)~心の病気など弱いところを見せられない


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★著書、明日発売! 「親が知らないケータイ・ネットの世界」★

私、大川内麻里の著書
親が知らないケータイ・ネットの世界」(実業之日本社)が
明日発売になります!

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ケータイ・ネット社会の現状、トラブル予防策と対策にはじまり、
やはり切っても切り離せないモラルやルール、マナーなどの教育、
そして性教育にまで言及しています。

このブログ掲示板で取り組んできた
ネット性教育から見えてきたことも書いてあります。

ぜひご一読ください!


第1章●ネット・ケータイ、子どもには不必要ですか?
 ネット・ケータイが少年事件を増加させたのか
 ネットをきっかけにひきこもりから立ち直った青年
 有害な情報をシャットアウトするフィルタリングとは
 「青少年ネット規制法」の基礎知識
 「青少年ネット規制法」成立に至るまで
 ネットの有害情報に対する世界各国の取り組み
 日本の情報教育を補完できるのは誰か

第2章●落ちたら危険! ネット・ケータイに潜む闇
 学校だけではなくなったクラスメイトとの関係
 新しい人間関係がネットからはじまる
 ぐっと近くなった犯罪との接点

第3章●ネット・ケータイの闇に踏み込ませない予防策
 発達段階に応じて教えておきたい「自由と責任」
 男子と女子で違うネット・ケータイの注意点
 買う前に話し合っておくこと、約束しておくこと

第4章●子どもがトラブルに巻き込まれてしまったら
 取り乱さずトラブルの解決策を提示する
 効果的な教育チャンスと考える
 ストレスの原因はほとんどが人間関係
 「ルール」と「自分」を守る教育

第5章●この機会に親子で知っておきたい性の知識
 大人の「まだ早い」はいつだって遅すぎる
 望まない妊娠を避けるために
 セックスで病気にかかる危険性を知る
 セックスを知る年齢とは
 「ネット性教育」の取り組みの現場から

第6章●仮想現実が拡大する時代に必要な新教育
 ネット・ケータイ時代の「行儀」「マナー」とは
 求められる昔ながらの「道徳」教育
 自己を確立するネット・ケータイデビュー期に

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「仕事の邪魔になるから男っていやよね」V.S「男に養ってほしい」

「仕事の邪魔になるから男っていやよね」
という女と

「男に養ってほしい」
という女と

実は本質はいっしょで紙一重なんじゃないか。

と思った朝。

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★テレビ出演します! 「DV加害女性の心理」について★

テレビtvの取材を受けました。
「DV加害女性の心理」について
みっちりお話させていただきました(3時間ロケsweat01)。

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どんなふうに編集してくださるか、
どれくらい使われるかはわかりませんが、
語れることは語らせていただいたかな。

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今回、大川内はDVの加害経験被害経験もあり、
DVについて研究を重ねている女性として出ています。

加害経験があることはすでにカミングアウト済みですが、
あらためてテレビという媒体で語ることで
ご批判を受ける部分もあるであろうことは覚悟の上です。

それでも伝えなければならない
――そんな社会的使命感がこの胸にあるから。

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放送日時は以下のとおりです。お見逃しなく!(笑)
 6月6日(金)24:40~ TBS「R30」
 オーバー30のための“人生情報バラエティ=LIFEエンターテイメント”番組です

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【関連記事】わたしの基本的なDV観はこちらをご参照ください。
「逆DV」
ドメスティック・バイオレンス(DV)の被害者は女性だけではない。
新婚夫婦に潜むDV ~携帯わいせつ画像で口論、新婚の妻絞殺容疑の夫逮捕
「デートDV」とは &DV被害者・加害者に経験者のわたしが勧める解決のヒント
セックスレスというDV(1)――セックスレスの心理学(2)
セックスレスというDV(2)――セックスレスの心理学(3)

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Dad' meets my darlin'

Dad' meets my darlin'
写メは赤坂プリンスにて、
もっともリスペクトする人、父と。

わたしがワッチなんてかぶって、
おおよそ赤坂プリンスに似つかわしくないナリなのは

これが漫才米騒動@シアターD(ラヴドライブさん、マシンガンズさん、オードリーさん、三拍子さんをはじめ、出演者のみなさんオツカレサマでしたっ!)を見ている真っ最中のお呼び出し
ていうか翌朝のアポ前倒しだったからである。

んーでもゆっくり話せる時間をつくってくれてアリガトね、おとーさん♪


てなわけで、カレと父と三人で会食。
てかごたーいめーーーん、みたいな。


カレと父が、
わたし抜きにしても(?!)
この出会いを互いに喜び合ってくれているのが伝わってきて
うれしかった。


父には心配をかけてばかり、
まったく泣きたいくらい親不孝なわたしだけれど、

カレに会って、安心してくれたみたいで、
素敵な親孝行ができたかなって思ってる。



なにが親孝行かって、
やっぱり自分が幸せになることがイチバンだって思うもん。


わたしだって
娘がHAPPYでいてくれることがなによりもの願いだもの。


そうやって、
幸せは伝染していく。



この二日後には、
今度はカレのご両親のもとへ。

カレにはいつも言ってるの、
ご実家にいる時間は
たくさんおかあさまおとうさまとお話しして
たくさんやさしくしてね、って。


でもこんなコトの大切さに気付けたのって、
やっぱり一度目の結婚生活があったからこそだし、
離婚後の元お姑さんとの交流があったからこそだし、

だから元夫のおかあさまは
わたしにとって
いまでも大事な家族なんです。



みんなで幸せになろうねー♪
――って、カレとはいつも話してるの。
やっぱりまず自分が幸せをカラダでココロでめいっぱいかんじて、

そしたら、その幸せはいくらでもシェアできるんだから、

そーやって、みんなで幸せにならないと♪
てかなろうねっ☆


自分たちダケ幸せになろうとしたって、
そのエゴはかならず自分に返ってくる。



カレのご両親もダイスキ☆
もっともっと仲良くお付き合いさせていただけたらなって思ってる♪



父に会ったあと、
カレのこんな一言が印象深かった。

「おとうさんとおかあさんは離婚しちゃったかも知れないけれど、
麻里ちゃんがご両親の愛情を受けて育ったんだなってことがよくわかるよ。
愛情を受けなきゃ、麻里ちゃんみたいな子は育たない」


#前回の日記にみなさん素敵なコメントありがとうございます!
お返事より先に日記アップしちゃってスミマセン!
追ってお返事させてください〜

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■幸福論 大切な家族 幸せの憧憬は自分自身の原風景

たとえば離婚した元夫のおかあさん(元姑)でさえ、
わたしにとっては大切な家族だ、
と言ったら滑稽だと笑われるだろうか。


「幸せになってはいけない」
――そう、自分に禁じてきたわたし。

母親と離れて暮らさざるをえない状況を
(不本意ながら)娘に強いている限り、
わたしには自らの幸福を追求することなど
決して許されないことなのだ、と。

自分の幸せについて考えること、
思いを馳せ、憧れることすら、自分に許さなかった。


でも去年の夏の入院をきっかけに、
幸せについて考えはじめて、

すこしずつ、ほんのすこしずつだけれど、

「幸せになってもいいのかな。。」
戸惑いながらも、そう思いはじめて……。

そんなとき、出会いは訪れる。


いまはっきり思う。
「幸せになりたい」――と。

そして、はっきりこう思う。
「幸せにしたい」――と。


それは、
大切なパートナーであったり、愛する家族であったり、
大好きな友人であったり、尊敬する師であったり、

自分のまわりのすべての人々に対して。

みんなを幸せにしたい、幸せになってほしい。
心からそう思う。


自ら幸福感で満たされていない者に、
他人を本当の意味で幸せにすることなどできようか。

そういった意味で、
自らの幸せを追求することというのは
決してエゴイスティックな行為などではない。
むしろ対極にあるものだ。


ひとつ、持論がある。

「幸福はそれを受け取れる自分になっていてこそ訪れる」

自らに幸せになることを許せるようになったわたしは、
きっとその幸せを受け取るに足る自分に
ようやくなれたのだ、と思う。


そうなれたのは、
これまでのわたしの人生に関わってくれたすべての人たちと
この30年にあったひとつひとつの出来事のおかげであって、

だれひとりとして欠けては、
なにひとつとして欠けては、
わたしは決してこうはなれなかったわけで、


だから、
つらかった、苦しかったあの体験にも、
憎みあったあの人にも、

心からの感謝を捧げたい。

そう思う。


すべてに、ありがとう。
ひとつひとつに、ありがとうございます。

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はじめての母の日

娘からはじめての母の日メールをもらいました。

‥‥‥‥‥‥
ママへhappy01
今日は、母の日です。会えないけど、いつも思っているよ。sign01元気でお仕事がんばってね。scissors
‥‥‥‥‥‥

物心つくまえに別れた娘に、
一年でもっとも不憫な思いをさせてしまっているのではないか――
そう毎年胸を痛めていたのが、
この「母の日」でした。

おかげさまで、
娘はこちらが負い目を感じているのがかえって申し訳なくなるくらい
明るく朗らかで健やかな心をもった子に育ってくれています。

ひとえに元夫と彼の家族のおかげだと――おかあさま、おとうさま、弟くん、いまの奥さまへ感謝するばかりですし、

たとえば元姑さんなどに対しては
自分の「大切な家族」である、という意識が、
わたしにはいまだに、
否、いまだからこそ、あります。

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素敵なお祝いをいただきました♪ ~原みつ子さん(女優/シンガー/ソングライター)大川内、独立&復帰元年です!

こんなに素敵なお祝いをいただいたのははじめてです! 感激!

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親しくさせていただいている、
女優(宝塚歌劇団ご出身)・シンガー・ソングライターの原みつ子さんから。

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みつ子さんのファースト・ミニアルバム「ココロのままに」を聴きながら、
いただいたお花を眺めていたら、

胸のうちからふつふつと勇気がわきあがってくるのがわかりました。0805imgp2462

療養生活を経て、そこから復帰するにあたって、
「独立」というかたちをとることに、
不安がないわけでは決してなかった。

まわりの方々にもいろいろ助言をいただいたし、
言うまでもなく、わたし自身、さまざまな選択肢を考えました。

でも、「大川内麻里の本当にやりたいこと」を追求していったら、
いま行き着くところは、ここだったんだよね。

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0805bimgp2470

原みつ子さんからいただいた、お祝いのお花の凛とした美しさ、
そして彼女の歌声は、
ともすれば弱気になってしまいそうな、
わたしの背中をそっと押してくれたのです。

「がんばろう」って、
「自分の選んだ道を信じて歩んでいこう」って、
そう、思えたから。

みつ子さん、本当に本当にありがとうございます!!

0805imgp2467

○追記
仕事に関しては、昨日、あるかた――いまのわたしにとって……ううん、これから先ずっとずっと、とっても大切な存在――からも背中を押していただきました。ありがとう。
みなさん、“これからの大川内麻里”を楽しみにしててくださいっ☆

【関連記事】
原みつ子さん、クリスマスコンサート――その歌声に、素直に、泣いた。
2006年12月の原みつ子さんのクリスマスコンサートにおじゃましたときの日記です。
久々に読み返してみましたが、
編集者として、出版人として、ひとりの女性として、
すごく感慨深い思いでした。
よろしければご一読あれ♪^^

【関連サイト&ブログ】
原みつ子さん(宝塚歌劇団雪組・すがた香)オフィシャルサイト
http://www.mitsukohara.com/
ブログ「みつ子のルン♪」
http://diary.jp.aol.com/3fcdh7/

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はじめての講演を終えて~(2)出版人が話す、ということ

やはりわたしはどこまでも「編集者」なのだ――
先日の講演を終えての第一の感想がこれでした。

030

今回、はじめて講演をさせていただいたのですが
(これまでは病気の都合上、講演・テレビ出演などは、せっかくご依頼いただいてもお断りせざるをえなかったんですね、長らく)
「はじめて」であることは、
わたしは一切、事前にアナウンスしていませんでした。


なぜかというと、
そこに対価を払ってきてくださっているかたにとっては、
わたしがたとえ100回1000回の講演をこなしている講師だろうと
まったくはじめての演壇に立つ講師だろうと
そんなものは関係ないから。


講師として壇上に立つ以上、
わたしはプロフェッショナルとして話さなければならない。

そう思っていましたし、
終えたいまでもその姿勢に間違いはなかったと思っています。

「はじめてだからこれくらいでいいでしょ」といった
甘えや言い訳の介入する余地を自分に与えませんでした。
(いい意味の妥協はあったけれどね)

058

で、もちろん「はじめてでヤバい」というか
まがりなりにもプロフェッショナルとしてお話をさせていただくのだから、
準備を相当入念にやらないと、っていう危機感はありました。


なわけで、準備なんですが、

まず意識したのは
書き言葉」と「話し言葉」の違い


わたしは日頃文筆屋として編集者として、
主に「書き言葉」を相手にしておるわけですが、

すべて「話し言葉」にしていくことを意識しました。

表現・用いる語句を「読んでわかる」ものから
「聞いてわかる」ものに変えていく。


具体的に言うと、
たとえば、「御社」と「貴社」の使い分けのようなものです。

聞いて意味をとりづらい「貴社」は書き言葉、
話し言葉は「御社」で。

あれといっしょです。
(って、このマナー?というか使い分け、意外と知らない人もいたりして??)


だから、
わたしの著作物、原稿、ブログを読み慣れてくださっているかたは、
大川内の用いる語彙が普段と大幅に違うことに気付かれたかもしれません。


あと、リフレイン(繰り返し)、抑揚、強調、声の高低、スピードの緩急などなど……
も、話し言葉として意識しましたね。


それから、全体の構成や話の展開。
これはまさに編集者としてのスキルが活かされたと自負しています。

もちろん、そこも話し言葉として、の構成や展開を
自分なりに考えました。

053

あとね、ひとつタネあかし(笑)ですが、
あのね、今回はじめての講演にあたって、
わたしがイチバン参考にしたもの。
なんだと思います?

それはね、、、



週3~4のペースで行っているcoldsweats01
お笑いライブ


あぁぶっちゃけちゃった。。(笑)←週3~4ってペースのほうの話ねw


でも、真剣にね、そうなんです。
ものすごーくお勉強させていただいて、参考にさせていただきました。


なんというか、どこをどう、と具体的に言うのは難しいのですが、
たとえば尺(持ち時間)の使い方ひとつにしろ、
展開、構成にしろ、
聞き手の注意を引くポイントとその方法とかね、


普段ヘヴィロテでいろんな芸人さん方の舞台に
おじゃまさせていただいていますが、

その普段見ていることを、
それとなく取り込んでいる自分がいましたね、うん。


なので、
いつもお付き合いさせていただいたり拝見させていただいている芸人さん方にも感謝だし、
わたしがこんなにお笑いライブにハマって通いつめるようになったきっかけをくださった、
芸人・南野やじさんには格別の感謝をしたいと思います。

やじさんに関しては、
彼もわたしが初講演の日に、移籍先の事務所・プライムさんでの事務所ライブの初舞台を踏まれていて、
「やじさんもがんばってるんだから」と励みにもなりました。

やじさんをはじめ芸人のみなさん、ありがとう!!!!


ありがとうは、やはり聞きにきてくださったみなさま、
おひとりおひとりに、心をこめて。ありがとうございました。

そして、主催の超ブレイク塾Nさん、
Nさんとの出会いのきっかけをくださったN社長、
感謝感謝です! ありがとうございます。

061

そんなわけで、
反省点を挙げればキリがなく、
まだまだこれからがんばって修練を積んでいこう、というところではございますが、

わたくし、大川内麻里、
プロフェッショナルの仕事人として、お話させていただいたつもりです。

未熟者ではございますが、
ぜひまたこういう機会を頂戴することができたらなって思っています。

今回やらせていただいて、本当によかったです!
次回は、さらなるパワーアップを誓います!(もちろん♪wink

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ブログに書いてくださったかた発見!flairshineshine
 たらちゃんありがとう~notehappy02
15日の超ブレイク塾~大川内麻里さん講演~
http://ameblo.jp/yumeno-takinobori/entry-10089134177.html
(ブログ「フーテンの鱈さん~自転車放浪の旅~」より)

主催してくださった超ブレイク塾さんのサイトでも
レポアップされる……はず、だよねーぇNさぁんgawk(←軽くプレッシャーをwsmilebleah
→アップされてますnotehappy02 感謝!
★開催報告★08年4月15日★大川内麻里「ポジネガシンキング」のすすめ★
http://www.school-superbreak.com/archives/184


【関連記事】
はじめての講演を終えて~(1)半生を語るということ

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「必然をつくる」という考えかた

2008050220410001
格闘芸術家・勝又直樹さん(http://fighting-artist.no-blog.jp/
芸人・南野やじさん(http://ameblo.jp/minaminoyaji/)と。
@銀座・NEW CLUB Gland Chariot(グランシャリオ)


直樹さんのお話にはひとつひとつ深い感銘を受けたのですが、
今日イチバン心に刻まれたのは(甲乙つけがたいぃが、あえて)

「必然をつくる」という考えかた、でした。

“偶然”を待っていたってはじまらない。
でも“偶然のような必然”を起こすことはできる。


直樹さんくらいバイタリティーにあふれていて、
エキサイティングな毎日を送っていらっしゃるかたというのは、

たとえば、会う人の情報を徹底して調べて、その人の愛読書も読んでいく、
相手のスーツがトリイ(廉価スーツストア)であれば、自分もトリイのスーツを着ていく、
会った人のことは、その後かならずブログなどで調べる、

やはりひとつひとつ
それだけの着実な努力があってこそ、なのだなと再認識。

これだけの努力を惜しまずやっているんだから、
偶然を装うこと、そこにいやらしさの入る余地はない。


ところで、このお二人はまだ銀座のはず。。smile
わたしは2軒目で失礼させていただいたのですが、
あとで楽しいお話、聞かせてもらおう~っとnotehappy01

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自分の本質を理解してくれる人に「自分」を書いてもらう喜び~インタビューにおいて大切なこと & 「本を編集者で選ぶ」という贅沢

自分の本質を理解してくださっているかたに
自分のことを書いていただくのが、
こんなにうれしいことだとは……!


15日(火)の夜に、
不肖・大川内、がんばらなくてもいい~ポジネガシンキングのススメというテーマで
恐れながら講演をさせていただくわけですが、

それに先立ち、
主催の超ブレイク塾さんがサイトに告知文を掲載してくださったんですね。
http://www.school-superbreak.com/archives/172


これ拝読したときに、
わたしすごーくうれしくて感激しちゃって。

「あぁわたしの本質を理解してくださっているんだな」ってことが
一文一文からにじみでていて。


これをお書きいただくのに、
主催の超ブレイク塾・事務局代表Nさんには
一度お会いして、お茶&お酒をごいっしょさせていただいただけ。

そう、たった一度お話しただけなんです。

それだけでここまでつかんでくださるとは。


それはやはりNさんが
ありのままのわたしの肯定してくださったからなんですよね。

わたしの経歴なんて、
ブログに書いていることだけでもドン引きされる要素満載だって
自分でもわかっていますがbleah(笑)(わかった上で書いてます^^ゝ)

ブログには書けない・書いていないようなディープな話を
(あ、いまあなた「えsign02 大川内、これでもまだ書いていないネタあるのsign02sign02」って思いましたね?smile(笑))

受け入れて、つまり肯定感を与えてくださいながら、
傾聴してくださったんですね。


これぞインタビューの基本であり、
かつ見落としがちでもある
でももっとも大切なことだ、って思います。

「相手のことを受け入れて、自己肯定感を与えること」

プロのライターや編集者でも、
この大切な基本ができていないひとって、結構いるんじゃないかな。


自分自身のこれまで聞き手・書き手としてやってきたインタビューを思い出し、
自分は相手にこんなふうな時間喜びとを提供することができていただろうか、と考えさせられました。


ちなみにNさんは、大川内が出会った瞬間に「ちょー大好き!!happy02」と思った方。

普段から好きな人からしかモノも買いたくなかったり、好きな人としか仕事していなかったりするわたしなので、

今回Nさんからいただいた貴い機会を本当に大切にしたいし、

微力ながら、超ブレイク塾・Nさんにコントリビューション(貢献)させていただくことができたらなって思っています。


脱線しますと、この「コントリビューション(貢献)」という考え方は、
本田直之先生の「レバレッジ人脈術」(ダイヤモンド社)に詳しいですが、

「まさに自分が対人関係において、大切にしていること、大切にしていきたいことはこれだ!」
ってビンゴった一冊です。


こちらもお世話になってばかりの、敬愛するT編集長が編集を手がけられたもの。


レバレッジ・シンキング 無限大の成果を生み出す4つの自己投資術」(東洋経済新報社)で、
人脈について、本田直之先生が「コントリビューション(貢献)」という考え方をなさっているのを知って、
これについてもっと詳しく知りたいなー、これで一冊あればな~。。

……なぁんて思っていたら、さすがT編集長!!happy01happy02

そして、数々のベストセラー・ロングセラーを生み出し、
社会現象まで巻き起こしてこられたT編集長のご編集だけあって、

レバレッジ人脈術」さすが内容の濃い素晴らしい一冊になっています!shineshine


ちなみにちなむと「本を編集者で選ぶことができる」(「○○さんが編集された本だから」「出版社○○社長もとで出された本だから」などといった動機で本を選ぶことができる)のは、
この仕事をしている醍醐味のひとつかな、と普段からよく思います。^^


みなさんもぜひご一読あれ!


話を講演会のことに戻しますと、
自分でハードル上げるようなことは書くまいと思っていたのですがcoldsweats01
(ビビリなんでね(笑))
そんなこんなの超ブレイク塾・Nさんのもと、
当日はがんばろうって思っています。

「きてよかった」って思っていただけるように。
「この時間をすごしてよかった」って思っていただけるように。

ブログには書いていないことをたくさんお話しようと思っています!

ぜひみなさんいらしてくださいね☆


お申し込みは、下記申し込みフォームから
http://www.school-superbreak.com/seminar/seminar.php
【4/15(火)がんばらない~ポジネガシンキングのススメ】
をお選びいただくか、

わたくし、大川内宛にメールメッセージをくださいね!

★「大川内のブログ見た」で3000円→2000円と1000円割引になる特典アリ升★

大川内 麻里のサイト OkawauhiMari.net
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★4/15(火) 夜・講演やります!★

ありがたいご縁で、講演をさせていただくことになりました。
みなさん、お誘い合わせの上、ぜひいらしてくださいね。

●テーマ:がんばらなくてもいい
 ~ポジネガ・シンキングのススメ

●講師:弱さを許す癒しの言葉 物書き/編集者 大川内麻里

●日時:4/15(火)19:30~

●場所:東京都港区東新橋2-10-10 東新橋ビル2F
新橋から7分、汐留から5分、大門から6分、浜松町から7分

●主催:超ブレイク塾さま(感謝!)
http://www.school-superbreak.com/

●料金:一般3000円 学生1000円 フリーター・ニート1000円
……のところを!

★☆「大川内ブログ見た」で2000円になる特典アリ!!☆★

参加ご希望のかたはメールください!
お待ちしております。

講演後、交流会もあります。
みなさんとお話させていただけるのを楽しみにしております。

大川内 麻里のサイト OkawauhiMari.net
http://okawauchimari.net/

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[Q&A]人は、どのようにして成長するか

読者のJさんからいただいたご質問です。

[Q&A]人は、どのようにして成長するか?!
今までの人生観の中での思いを聞いてみたいです。

わたし自身、まだまだ発展途上の身であり、
このようなご質問をいただくこと自体、恐縮してしまうのですが、
いまのわたしなりにお答えできることを
お話させていただきたいと思います。


さて、人はどのようにして成長するか。


まず成長の“とき”は、一言で言うと、
挫折や失敗など(一見)負(ふ)の出来事や
試練に立たされているときだと、わたしは思います。

わたしが成長してきたのも、そんなときでした。


「その負の体験を糧にして云々」とは
多くの人が思うことでしょう。

でも、いいんです。

落ち込んだって、再起しようと焦らなくたっていいんです。
あきらめたくもなると思います。

いいんですよ。

とことん落ちるところまで落ちれば、
あとはあがるしかないんだから。

焦らずに辛抱していれば、
いつかきっとそのタイミングが訪れます。
それを焦らず冷静に待つこと。


それから「成長」というのは、
いままさに成長しているという期間は
そうそう自覚できるようなものではなくて、

ふと振り返ると、
かつての自分が懐かしく見えて、
自分が知らず知らずのうちに成長していたことに気付くものなのです。



簡単にお答えしましたが、ひとまずそんなところでしょうか。

あと、これはわたしからのお願いなのですが、
メールなどでたくさんのご質問を頂戴しますが、
できる限り、ブログ上などでの公開回答をお願いさせていただければと思います。

これもわたしの「シェアの精神clover」の一環です。

よろしくお願いいたします。

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コントリビューション(貢献)からはじめよう。~あたりまえに大切なものについて考えてみる。(2)

このあいだちょろっと書いた、
わたしがあたりまえに大切にしていること。


そのひとつに、

まわりのひとに対して、常に
「わたしはこのひとに対してなにができるだろう?」
って姿勢でいる、というのがある。


わたしはいつも自分自身に問いかけ続けている。

――わたしが社会に対してできることはなんだろう?
なにがわたしにできるだろう?


その視点があるから、
そこから自分の目のまえのひと、ひとりひとりに対して、
考えることはいつも
「なにかできることはないかな?」


目のまえにいるひとだけじゃない。

知らないだれかにだって、
いつも自分がなにを提供できるか、って考え続けている。


その手段が、わたしの場合、
マスに対して働きかける
書籍だったりブログだったりする。


わたしの日記をよく読んでくださっているかたはご存知のように、
わたしは「シェア」って言葉を頻繁に使う。


それはたとえば
日常のなかの小さな幸せであったり、発見だったり、学びだったり、感動だったり、
得たもの、もらったもの、

あるいは自分をさらけ出して公表するつらい過去だったり、
自分とおなじような体験をしたひとに前を向いてもらいたいなって、
「あ、この大川内ってひともこんなことがあってもなんとかやってんだな。自分も大丈夫かも」って思ってもらえたらいいなって気持ちでお話することだったり、する。



   「コントリビューション――貢献」


レバレッジシリーズの本田直之先生の
ひとに対するこのお考えを知ったとき、
それがストン、と自分のなかに心地よく落ちて、

あぁわたしがやってきたこと、
これからもやり続けようとしていることってこれだったのかも、
ってすごいしっくりきたのね。


でもコントリビューション(貢献)するにも、
まず大事だなって思うのは

   「自己肯定感」


だって、まずは自分のシェアしようとしているものが、
提供しようとしているバリューが、

そうするに値するものだって、

たとえわずかでも
それがコントリビューション(貢献)になる、

言ってしまえば、すくなくとも害にはならない、
って思えなきゃ、

なにもはじまらない。


そう考えると、

いいコントリビューション(貢献)
ひいてはそこから生まれる
いい人間関係、人脈も

まずは「自己肯定感」なしには成り立たない、
って言っていいのかも。

【関連記事】
あたりまえに大切なものについて考えてみる。(1)

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あたりまえに大切なものについて考えてみる。(1)

ある方から、とても考えさせられるいいご質問をいただきました。

> エネルギッシュなライフスタイルを送ってて
> 大川内さん、とても魅力に感じます!
> 自分も最近はドラマとか舞台とかやらせて頂き
> 色々感じることがあります。
> 人と人との信頼関係を築けない人に、
> たとえどんなにお金持ちであっても、
> 本当の成功はないのかなって感じます。
> 大川内さんはどういった所に重点をおいて生活してますか?

わたしがそんなふうに言っていただけるような生き方をできているかどうかは別としても^^;
(もったいないお言葉をいただき恐縮です。ありがとうございます)

これっていうのは、
普段自分があたりまえに大切だって思っていて、
あえて目を向けてじっくり考えてみることがなかったことを
あらためて見直させてくださる、いいきっかけをいただいたなって思いまして。



あたりまえに大切なものについてって
普段じっくり見つめて考えることってすくないけれど、


でもあたりまえに大切だからこそ、
実はよく見つめてみることが大切なんですよね。



そんなわけで、
あたりまえに大切なことについて、ちょっと考えてみたいと思います。

わたしのいつも言っている
「シェアシェアクローバー」をさせていただけたらなって、
これから何回かにわけて連載したいと考えています。

ほんのちょっとしたことでも、
みなさんのなにかのきっかけにでもなれたらうれしいです。


まずはコメントへのわたしのお返事を掲載します。
反射的にぱっと思ったこととなので、
かなりざっくりだし、言いたいこともはしょってますが、ひとまずは。

-----
いやいや、その実、書いていないところでは。。ウッシッシナンテ(笑)
おかげさまでエキサイティングな毎日を送らせていただいています。過分なお言葉に恐縮しちゃいます。

○○さんのおっしゃるとおりだとわたしも思います。

人とのご縁を大切にできるかどうかって、
その人の真価が問われるところ。

キレイゴトでもなんでもなくて、
対人関係に誠意をもっていれば、
お金なんてあとからいくらでもついてくるんです。

逆に人に対して誠意がなくてお金に汚い人間は、
一時的な「成功」を手にしたとしても、所詮は泡沫。大成しません。


わたしが重点を置いていることですか~。。あえて挙げるならば、
   「感謝」「尊敬・敬意」「好き」
の3つでしょうか。

感謝できない人とか尊敬の念をもてない人ってたまに見るけれど、
本当に不幸だと思います。


感謝とか尊敬とかっていうのは、
相手がそれに値する人物であるか否かよりも、

むしろ自分自身が
 「感謝“できる”心」「人を尊敬“できる”心」
をもてるかどうか、の問題だと考えています。


あとはいかなる人や物事に対しても、
まず「好き」という肯定の気持ちから入れるかどうか。
そしてその気持ちを表現したり相手に伝えたりできるかどうか。


そこともつながるんですが、
最近大事だなって思っているのは「自己肯定感」。

自分を愛せない人間は人を真に愛することなんてできない。
自分を大切にできない人間は人を真に大切にすることなんてできない。

(以下略)

-----

“そもそも「成功」とはなにか論”にもつながってくるわけですけれど、
まぁそれはおいおいすこしずつ書いていこうと思っています。

ご質問をくださった方に感謝です。
貴重なきっかけをいただきまして、ありがとうございます!

 

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今日のうれしかったこと

友人のおかあさまがご病気――がんで、
友人がずっと看護にあたってるんです。

彼はなんというかわたしをそのまま男にしたような(?)
どこかすごく似たところがあって、
ひとに弱音を吐くこととか甘えることとか
申し訳ないって思っちゃってできないタイプで、

だから、こちらから突いておいたんです。
彼が吐き出せるように、さりげなく。

そしたら、いま抱えているきついことを
いろいろ話してくれて……


その友人からのメール。

> 麻里ちゃんが励ましてくれた言葉は
> 僕を励ましてくれるから
> 僕は母をもっと励ますことができます。
> ほんとにありがとう。

わたしの気持ちが彼を伝って、
病床の彼のおかあさままで届くなら、
それは本当にうれしいことです。


気持ちは伝えなきゃ伝わらない。


ブログを読んでくださっているだけのお付き合いの方には
意外に感じられるかもしれないけれど、

わたしは自分の気持ちを表現するのが苦手なところがあって、
まぁ話下手なんですよね。
話下手だっていう苦手意識がある。


でもそのぶん
「書いて表現する」という方法を授かったんだから、

自分にできる方法で気持ちは伝えていこうって
ここ最近、特に意識していて。


本音を言わずに、
思ったことも黙っていることが美徳と考えていたこともあるけれど、

気持ちはやっぱり伝えなきゃ……ね。


よかった。
ともだちがちょっとは楽になってくれて。

気持ちを伝えてよかったって思わせてくれて、
伝えることってやっぱり大事だよねって感じさせてくれて、

ありがとうね。

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娘からお年賀写メ!└(>▽<*)┐=З=З

愛娘のKからお年賀写メをもらいました!わーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)グッド(上向き矢印)グッド(上向き矢印)

‥‥‥‥‥‥‥‥
あけましておめでとうございます
Kは元気です。12月26日から30日までウインタァキヤンプに一人で参加してスキーをして来ました。楽しかったよ。今近くの公園で新しい自転車にのっています。o(><)o
‥‥‥‥‥‥‥‥

元お姑さんの携帯電話を借りて送られてきたメール。
自転車に乗っている写メ自転車ダッシュ(走り出す様)ダッシュ(走り出す様)が添付されていましたるんるん

わたしのお返事ラブレター
‥‥‥‥‥‥‥‥
K、あけましておめでとう!

Kはスキーもできるんだね! すごいね!(o^∀^o)
ママはスキーしたことがないから、Kが大きくなったらママにスキーをおしえてね。

あたらしいじてんしゃかってもらったんだね。よかったね!
Kは小さいころ、プーさんのじてんしゃにのっていたんだよ。
そのころからじてんしゃにのるの、おじょうずだったよ。☆⌒(*^▽゜)

さむいから、かぜをひかないように、きをつけてね。

メールありがとうね。うれしかったよ!(*⌒▽⌒*)

大好きなKへ揺れるハート  ママより
‥‥‥‥‥‥‥‥

「ママにスキーをおしえてね」と書いて、
つと考えて
「Kが大きくなったら」と入れる。

「プーさんのじてんしゃでママとあそんでたんだよ」と書きかけて、
つと考えて
「ママとあそんでいた」というところを消す。


元夫、元夫のいまの奥さま、下に生まれた弟くんら元夫家族と暮らす娘。

5年、会えない事情。


わが娘ながら、ふれあいには節度を重んじなければ、と
母娘の距離は切ない……。


情けないけれど、8歳のこどもの発達具合が正直わからないところがあって
文章もどれくらいのかんじがちょうどいいのかな、とか。。


でもKとこうして心を通い合わせあうことができるのは、
すごーく幸せなこと!うまい!クローバー

いつもながら元お姑さんに感謝。
本当にありがとうございます。

ちょうどこのあいだ
わたしがいまのKとおなじくらいの年頃に
ヘビロテで遊んでたともだちと集まる機会があって、
懐かしい話に花を咲かせながら
あぁKもそんなかんじでおともだちと遊んでいるのかなぁ、
なんて思いを馳せていました。

そのとき
自分が当時ともだちから与えてもらっていた自己肯定感の貴さに気付いて
元お姑さんにはまた別にメールをして、
その話を書いて
「Kもそんなふうにおともだちとたくさんの経験をしながら
いまのまま健やかに成長していってくれるといいな」という気持ちをお伝えしました。


写メはここには載せないけれど、

今度会ったら
「見て見て見て見て~~~っハート達(複数ハート)ハート達(複数ハート) ちょ、まじ見てんってexclamation ×2exclamation ×2exclamation ×2」攻撃に遭うことを
大川内フレンズのみなさんは覚悟しておくよーにっ!ウッシッシウッシッシウッシッシ


個人的なお話で恐縮ですが、
大川内から、今年イチバンめのHAPPYシェアシェアでしたっクローバー

今年も幸せなこと、うれしいこと、楽しいこと、役に立つこと、勉強になること、学んだこと、ナドナド
書籍・ブログなどを通じて
いーっぱいみなさんにシェアシェアプレゼントさせていただきますので、
よろしければ受け取ってあげてくださいねリボン

【関連記事】
年の瀬にとびっきりうれしい再会! & 2007年みなさんありがとう!!
娘からはじめてのメール!(>▽<*)

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風邪薬 made in U.S.A

風邪薬 made in U.S.A
日本のなかのアメリカにきています。(*⌒▽⌒*)

今年2度目の風邪をひいてしまいました。(´;ω;`)
小さなこどものいるお宅にお邪魔しておきながら、
風邪をひくなんて〜!(>ω<)

Williams夫妻にアメリカの風邪薬をいただきました。
効っく〜〜〜!!!!

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娘からはじめてのメール!(>▽<*)

離れて暮らす、一人娘のKから
はじめてメールをもらいました!

おばあちゃんにケータイを貸してって言って、
自分で打ったんですって!

写真も何枚も撮って
自分の気に入ったのを添付してくれたみたいです☆⌒(*^▽゜)
笑顔(o^∀^o)の絵文字いっぱいのメール♪♪
Kがすくすくと健康で心豊かな子に育ってくれている証ですね。

これを読んで、
Kは「ママ」のことをこんなふうに思ってくれているんだから、
ママはちゃんと元気に幸せにならなきゃ! って思いました!

K、ありがとう。愛してるよ。

それから元お姑さんに感謝!
おかあさま、おかあさまがKのおばあちゃんで本当によかった。
ありがとうございます。

‥‥‥‥
Title:o(^-^)o
ママへ、Kは、元気にしています。(^O^)/ママはどうですか?生んでくれてありがとう。!(^^)!Kより。

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#103 人との縁をよりよいものにしたいなら、タイミングを大切に!

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 人脈をつくるうえでの基本は相手にコントリビューション(貢献)することです。
 興味のある人にアプローチする際、何かをしてもらいたいとか、誰かを紹介してもらいたいとか、自分の願いを最初に考えるのではなく、まずは相手に何かコントリビューションできないかと考えます。もしコントリビューションできるものがなければ、そのときはアプローチせず、なにかができそうなタイミングで行うとよいでしょう。

出典:
 『レバレッジ・シンキング~無限大の成果を生み出す4つの自己投資術』 本田直之 著 (東洋経済新報社
 115頁/115-116頁「基本はコントリビューション」より
 初版:2007年7月12日

[本の情報を見る][Amazonで購入][本田直之先生のほかの本もオススメ!]



わたしはどこかせっかちなところがあるのか、
もともと何事も「すぐに!」行動しなければ
気のすまないたちでした。です。(笑)

もちろんそれが奏功することもあるのですが、
物事を早計に進めすぎて、
かえって望ましい結果をもたらさない、
ということもよくあります。


そんな経験をしてきて、

“物事にはかならずベストタイミングというものがある”

という考えに至り、

その“タイミングを待つ”ということもできるようになってきました。


人とのご縁もおなじ。
出会いにもやはりベストタイミングというものがあるのです。

相手にコントリビューション(貢献)できるときまで、
すなわち、なにかを「与える」ことができるときまで、
「与える」ことのできる自分になれるときまで、
事を急がず“そのとき”を待つ。

それが、結果として
より素晴らしい良縁を生むことにもなるのです。


#本田直之先生の「レバレッジ」シリーズ36万部突破されたそうですよ!
 まだ読まれていない方はぜひ!! オススメです!


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#000 タイトルに「#番号」のついている記事については こちら をお読みください。

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かづきへ ~離れて暮らす娘の誕生日に

げんきに8さいのおたんじょうびをすごしていますか?

おとうとも生まれて、
華月はおねえちゃんになったんだよね。
とてもかわいがっていて
いいおねえちゃんだって、
おばあちゃんからきいているよ。

8年まえのきょう、
まんげつのきれいなよるに
華月が生まれてきてきてくれたから、
みんなしあわせなんだよ。

しあわせだよ、
華月のおかあさんになれて。

おたんじょうび、おめでとう!

生まれてきてくれて、ありがとう。

おかあさんのいるところは、
こんやも華月のお月さまがきれいです。

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#102 自己愛 ~自分を大切にすること、認めること、愛すること

ブックマークに追加する  

友人、Mさんの出産を祝して。

純粋な自己愛をもった母親なら子どもにどのような影響をおよぼすかをみてみれば、子どもが、愛や喜びや幸福がどんなものであるかを知るには、自分自身を愛する母親に愛されることがいちばんだということがわかるはずだ。

出典:
愛するということエーリッヒ・フロム 著 (紀伊国屋書店
[本の情報を見る][Amazonで購入][エーリッヒ・フロムのその他の著書]


Mさん、無事ママになったね! 心からおめでとう。
いまMさんがSくんに抱いている、
その特別で不思議な気持ちが「愛」なんだと思います。

そういう気持ちを自分にも向けてあげることが、
すこしずつにでもできるようになるといいね。

いまわたしも「健全で建設的な自己愛」の練習中。^^
明日は娘の8歳の誕生日です。

お互い、自分自身を愛することのできる母親でいられるように、
ちょっとずついっしょに練習していこうね。

そして、この子たちを幸せにしようね。

【関連記事】
甘えるということ
甘えるということ(2)
人に理解を求めるとき ~甘えるということ(3)

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#012 だから、あなたの話は通じない

「コミュニケーション」についてのドラッカーの洞察は独特のものです。
(中略)
 まず聞く人がいないとコミュニケーションは成立しないとして、コミュニケーションの主体は情報の発信者と思われがちだが、実は逆で、すぐれたコミュニケーションとは情報の受信者が主人公なのだと指摘しています。
 また、私たちには聞きたいと期待しているものだけを聞き、見ようとしているものだけを見る傾向があります。したがって、円滑なコミュニケーションをするには、受け手の関心がどこにあるか、知的水準はどのくらいかといった点を十分に考えなければなりません

出典:
 『図で読み解く!ドラッカー理論』 久恒 啓一 著 (かんき出版
 96頁/96-99頁「コミュニケーションの主体は受け手」より
 初版:2004年8月9日

[本の情報を見る][Amazonで購入][久恒啓一先生のほかの本もオススメ!]
久恒啓一図解Web *ブログ *メルマガ


 わたしは、年長者の方、人生経験の豊富な方、すぐれた能力をお持ちの方などなど……のお話をおうかがいし、自分なりの解釈を織り交ぜて学ぶことが大好きです。

 また逆にひとさまに『伝える』『教える』ことをしなければならない立場に立つときにきています。


 そんなとき、自分が年長者の方などに、お話をおうかがいするとき、お話しやすかった方としにくかった方がいらしたのを思い出します。


 お話しやすかった方というのは、まず、緊張するわたしをリラックスさせてくださいます。

 そして、若輩者のわたしの目線に合わせてくださる。

 さら に、わたしのツボ、どこをどう突けば、お互いのためになる会話になるかを瞬時に見抜いて、話を進めてくださるのです。


 それによって、わたしは未知の可能性 すら展開することができるようになるのです。


 話をするとき。
 しばしば、そんな方々のことを思い起こします。まだまだ遠く及ばずですし、実際、反省することも多くあります。

 あなたは、相手に『伝えて』いますか?

【2006/04/12 21:24】 | 人付き合い(コミュニケーション)に困ったときに

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こんな生き方・働き方、素敵じゃない?

 

郷里の福岡で入院中
こんな生き方、素敵だなって思う女性に出会いました。

カラオケスナック「出逢」のSママです。


出逢」のお客さまはお年寄りが中心。

1000円でコーヒー付き歌い放題のカラオケ店ですが、
ママはご主人とともに
なんとお客さまであるおじいちゃん・おばあちゃんの
送り迎え(!)までなさっているそう。


ママいわく、

「嫁舅姑、ひとつ屋根の下にいたら、
そりゃ息が詰まるときがあるもの。

そんなとき、ここにきて、
みんなで歌を歌って笑って楽しめばいいじゃない。

遠くてなかなかひとりではこられない方がいたら
それはウチが迎えに行けばいいじゃない」


ママがお客さまを迎えるときの挨拶は
「いらっしゃいませ」ではありません。

「○○ちゃん、おかえり~!」

かならず一度でもきたことのあるひとは
名前を呼んで、
そして「おかえり」と笑顔で出迎える。


たった1000円でコーヒー付き歌い放題で
送迎までしちゃうんだから

「そりゃ赤字よ(笑)。

でもね、ウチはみんなが
いい野菜が採れたからとか
ママに似合いそうな服があったからとか

みーんなが
そんなふうにいろいろしてくれるのよ」


定期的にホールを借りてカラオケ大会を開いたり、
旅行に行ったり、
舞妓さんなどのコスチュームを
貸衣装でレンタルして、
おばあちゃんたちをキレイにお化粧してあげて
それをおじいちゃんたちに見せてあげたり
……なんてこともしているそう。

写真を見せていただいたのだけれど、
そのおじいちゃん、おばあちゃん方の笑顔ったら
これ以上ないってくらい
ほんっと~に輝いているんです。

この笑顔のためならなんでもできる。
きっとママはそうなんだろうなって思いました。


お客さまのお誕生日の話も聞いたけれど、
あたたかい心のこもった、
芯からそのひとの存在を肯定して、
ありがとう、大好きだよって伝える
そのお祝いには感動しきりでした。

「70年80年生きてきて、
こんなふうにしてもらったことなんて
はじめてだ」
って、みなさん、涙を流して喜ばれるそう。


そんなママ、
入院中、せっせせっせとレース編みをされていて
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退院のとき、わたしもいただいちゃいました!

4人部屋で3人それぞれに色違いで

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3人でそれぞれどの色がいいか言ったら、
ちょーどうまいこと3人わかれてよかったー♪^^

わたしはライラックのようなパープル♪ 素敵でしょー?


で、ママがずーーーーっとせっせせっせと
ひたすらなにかを編み続けているので聞いてみたら、

なんとお客さまひとりひとりに名前の入ったコースターを
ひとつひとつ手編みしてらしたの!

それもいつもくるお客さまぶんで1000枚!
顧客が1000人いるってすごいよね。


いまごろ、きっとママは
「○○ちゃん、おかえり~!」って
お名前入りのそのコースターで
コーヒーを出していらっしゃることでしょう。


Sママには、そのほかにもたくさんの心に響くお話を
聞かせていただきました。

幼いころからのコンプレックス、
それでも「とにかく笑顔でいなさい」と
抱きしめ説いてくれたおばあさまのこと、
アルコール依存症で亡くなったまえのご主人のこと、
「おまえの髪だけはほかのもんには渡さんでくれ」
というご主人のお言葉に、
葬儀の場で、腰まであった長い美しい髪を
根元からさらっと切って、お棺に入れたこと、
それ以来、
ずっとベリーショートで絶対に髪を伸ばさないってこと、
いまのご主人との不思議な出会い、
お年寄りに対する考え方……

こんな生き方もあるんだなぁ素晴らしいなって
深く感銘を受けたものです。

Sママ、ありがとうございました!

出逢
福岡県福岡市西区大字桑原2413-1-2
電話:092-802-0388

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#011 それは、本当にいま解決しなければならないことですか? いまやらなければならないことですか?

 

 6月から4ヶ月間、混合性不安抑うつ障害(パニック障害・うつ病・PTSD)の治療のため、入院していました。
 友人や大事な家族の死、大切なひとのご家族の死……本当にいろいろなことがありました。
 つらかった。
 そんな体験を経て、この言葉の意味が、真に理解できました。

ご破算には、問題を何も解決しようとしない態度もあるのです。「解決を放り出し、時間が解決してくれるまで待機する」です。問題によっては、ある意味これが一番いい解決法でもあるのです。
ただし、たいていの人はそこまで辛抱強くまてないのですね。

出典:
大事なことだけを考える技術』 鷲田小彌太 著 (ダイヤモンド社
 70頁/66-70頁「時には、解決そのものを放棄してしまおう」より
 初版:2005年6月9日
本の情報を見る][Amazonで購入][鷲田小彌太先生のその他の本



「時間が解決してくれるよ」
「時がすぎれば忘れられるよ」
「機が熟すまで待とう」

――生きていれば、物事には、ベストタイミングというものがあることに気付きます。
 ココロに余裕をもって、ゆっくりと、焦らずに歩いていくことですよね^^

【2006/04/11 09:16】 | ココロが疲れたときに

大川内 麻里のサイト OkawauhiMari.net
http://okawauchimari.net/

#000 タイトルに「#番号」のついている記事については こちら をお読みください。

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「六月病」への防止法(1) ~新入社員・アルバイト・契約社員・ハケン社員・嘱託社員

 

 新卒社員が社員研修を終え、各部署に配属されてくるこの時期。

 経営者、管理職は、部下の「六月病」に注意せねばなりません。

 六月病とは、社会人が大きな環境の変化に伴って、さまざまな身体症状・精神症状を起こすもので、「適応障害」にあたります。

(ちなみに、人事異動のある9月や3月4月などに起きることもあって、かならずしも「6月」に限られるものではありません。)

 配属決定で希望がかなわなかった新人はもとより、新しい仕事、新しい人間関係のなかに飛びこむということは、だれしも大なり小なりストレスを受けるものなのです。

 主な症状は、いわゆる「プチうつ」「仮面うつ病」と似ていて、たとえば以下のようなものがあります。(参考:五月病・六月病ってどんな病気?~hearthクリニック

身体症状
疲れやすい、朝起きられない、食欲がわかない、吐き気、めまい、倦怠感(だるい)、頭痛・腹痛・便秘・下痢、不眠、動悸など

精神症状
やる気が出ない、イライラする、なんとなく落ち込んでいる、なにをするのも面倒で億劫、興味・関心がわかない、思考力・判断力が鈍る、不安や焦りを感じるなど

 上司は、部下・新入社員の出す小さなサインを見逃さないように気を配ること。

 二者面談や会食などを通して、それとなく本音を聞き出し(とはいえ、そうそうストレートに本音を言う部下はいないもの。言葉や態度の影に隠れた本音を見抜けるようになれればベストなのですが)、小さなことでも、下から上に、どんどん気軽に相談・問題提起できるような環境作りを、経営者・管理職・上司のほうから、積極的に行うことです。


 そして、気をつけなければならないのは、新入社員のことだけではありません。

 アルバイトや契約社員、ハケン社員、嘱託社員など、新入社員が入る以前から、その部署で働いてくれている人材のことを忘れてはなりません。

 わたしは、幾度となく、こんな光景を目の当たりにしてきていますが、彼らの多くは、この時期になると、特に、
「右も左もわからない新人なんかより、自分のほうがよほど仕事ができるのに」
特に就職氷河期世代などは「なぜ入り口が違うだけで、こんなにも差が出るのだろう」

 などといった不満を、新卒配属のこの時期、特に強く抱いています。
 それがもとで、モチベーションが低下してしまう人もすくなくありません。

 彼らの主張がどうなのか、という評価は、とりあえずはさておいて、実際に彼らのような非正規雇用者が会社にとって必要な人材であることは間違いないのですから(経営者ならわかっているはずですが。現場の管理職や先輩社員らにも、彼らなしに業務が成立しないことを経営の観点からわからせるべきです)、彼らを軽視するような態度は禁物です。

 新入社員の前でほめる、待遇を見直す、求められている、必要とされていることを実感させるなど、「自己肯定感」を与えることが大切です。


大川内 麻里のサイト OkawauhiMari.net
http://www.okawauchimari.net/

大川内 麻里が取締役を務める 創藝舎
http://www.sougeisha.com/

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#010 あなたの思いどおりに相手を動かす話し方のコツ

 

 話をするときの理想は情理を尽くすことです。情的にも理の面でもきちんと説明できて相手が納得すれば最高です。でも、世の中はそうはいかないことが多い。むしろ情と理が対立していて、どっちでいくべきか迷うことのほうが多いものです。
(中略)
いったいどういう話し方をしたらうまくいくでしょうか。
 結論から言えば、まず趣旨(目的)を提示して、相手の反応を見ます。そして相手が情で迫ってきたときは理で諭し、理で迫ってきたときは情で納得してもらうというバランス感覚が求められます。
 たとえば、恋愛関係で恋人の男が〈この女は自分にぞっこんだから、少々のわがままは聞いてくれる〉と考え、傲慢な態度を見せ始めたら、たとえ惚れた男に対してでも「フン、なによ!」という態度を取ったほうがいい。そのほうが間違いなく過ちが少なくて済みます。
 逆に男がメロメロで、こっちの言うことを何でも聞くという態度だったら、あまり甘えないで冷静な対処を多くしたほうがいい。冷静に観察していれば、本音が透けて見えてくるものなのです。
 表れた態度は真実とはかぎらない本音は逆という場合がしばしばあります。だから情か理かで迷ったとき、下手に見通しはつけないで、相手の出方の反対を採るという戦略に出ればいいのです。
(中略)
情と理で迷ったときは、相手の出方を見て、その反対の態度を取ると、ウッとなってこちらの思いが通りやすくなる……と覚えておきましょう。


出典:
 『3分以内に話はまとめなさい―できる人と思われるために』 高井伸夫 著 (かんき出版
 203-205頁「情で迫るか理で迫るか迷うとき」より
 初版:2003年9月29日

本の情報を見る][Amazonで購入][高井伸夫先生のほかの本もオススメ!



 このコトバは『態度』を軸に書かれていますね。
 でも、これって『態度』のみならず、『性格』『人柄』を軸にして考えることもできるのではないでしょうか?

 ひとは、情と理、両面をもっているものですよね。
 そして『態度』は、その場の一時的な反応。どんなひとにも、情という態度に出るときもあれば、理という態度に出るときとがある。
 それに対して、『性格』『人柄』などは、ある程度、永続的なもの。つまり、そのひとが、おおむね、どういった『態度』に出る傾向にあるかを予測する判断材料となりうるものです。

 話をするとき、このコトバにあるように「相手の『態度』=出方を見る」余裕があるとは限りません。ときには、こちらから、先手を打たざるをえない場面もあることでしょう。

 そのときに、だいたい、普段の様子から、情に厚い『性格』『人柄』にあるひとなのか、理詰めでくる『性格』『人柄』にあるのかという『傾向』を観察し、知っておくこと。
 これは、確実に武器になります。

 このコトバにあるように、話をするときは、

まず趣旨(目的)を提示


 するわけですが、その趣旨(目的)の提示の仕方にも、さまざまな方法があるのではないでしょうか。

 疑問に感じませんか? その趣旨(目的)の提示の仕方は、どうすればいいのかと。

 そこで、役立つのが「相手が、情と理でわけるとすれば、どちらの傾向の強いひとであるか」ということ。普段から観察していればわかります。

 そして、これはこのコトバとは逆説になりますが、まず、趣旨(目的)を提示するときには、相手の傾向に合わせた提示の仕方をすればよいのです。
 つまり、情のひとならば、情に訴えかけるような。理のひとならば、根拠を明確にして。

 これは使えますよ^^

【2006/04/10 13:49】 | 人付き合い(コミュニケーション)に困ったときに


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終末期医療 ~緩和ケアを断念せざるをえない人々

 ごくごく近しい近親者が、緩和ケアを受けています。
(先日「尊厳」に書いた家族とはまた別です)

 当人のことは詳しくは書きません。
 ただ先日、終末期医療のショッキングな現実を知りました。

 治療は一切やめていて、緩和ケアだけでの入院費が、月30万くらいかかっているのですが(これは公立の病院だから安い方です)、周囲の他の患者さんたちのなかには、「入院費が支払えないから」という理由で退院を余儀なくされる方々もおられる、ということ。

 地獄、ですよね。
 ご本人にとっても、ご家族にとっても。

 病状はもう手の施しようがない。
 せめて、苦しまずに逝かせてやりたい――ご家族は、そう願われて緩和ケアを選ばれたことでしょう。
 ご本人も、それを望まれていたでしょう。もう痛みから開放されたい、と。

 それを経済的な理由で、最期の最期で断念せざるをえないなんて……。


※参考
 非常に痛ましい事件です。国内、海外、2件。

末期がんの母絞殺、容疑で長女を逮捕 栃木
http://www.asahi.com/national/update/0531/TKY200705310123.html

2007年05月31日12時06分

 末期がんの母親の首を絞めて殺害したとして、栃木県警足利署は31日、足利市大沼田町、無職真田初美容疑者(42)を殺人の疑いで逮捕した。真田容疑者は調べに対し「看病に疲れた」と供述しているという。

 調べでは、真田容疑者は30日午後3時半ごろ、自宅の寝室で横になっていた母親の京子さん(68)の首を電気コードで絞めて殺害した疑い。

 同署によると、京子さんは昨年12月1日に胃がんの手術を受け、同月中旬に退院。長女の真田容疑者が自宅で世話をし、4月からは仕事をやめて看病に専念していた。京子さんは今月13日に再入院し、余命1カ月と宣告された。真田容疑者は病院側に「自宅で引き取りたい」と申し出て、24日から自宅療養に切り替え、ほぼ寝たきりの京子さんに食事を食べさせるなどの看病をしていたという。

 真田容疑者は、京子さんと父親の鉄雄さん(75)の3人暮らしで、事件当時、鉄雄さんは不在だったという。

電気代が支払えず、人工呼吸器をつけ自宅療養中の女性死亡

 ニュージーランドで、電気代を払えないことを理由に電気を止められ、人工呼吸器をつけていた44歳の女性が死亡した。
 死亡したのは、人工呼吸器をつけて自宅療養していたフォロレ・ムリアガさん。電力会社の技術者が29日にムリアガさんの家を訪れ、電気の供給を止めたところ、約2時間後に死亡した。
 ムリアガさんは今年2月から、病気のため仕事を休んでいて、滞納していた電気代は、約1万5000円だった。
 その場にいた家族は「ムリアガさんが人工呼吸器を使っている様子を見せたにもかかわらず、電気を止められた」と話しており、警察は捜査を行っている。

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「報道」とはなにか? ~長野・練炭自殺 自殺サイトで知り合った16歳少年と40代男性の2遺体発見

 

 テレビ朝日・報道ステーションさま、その取り上げ方はおかしいのではないでしょうか。

 と思う事件がありました。

2007/05/25-22:49 1人は千葉県の16歳=練炭自殺か、山中2遺体-長野    長野県飯島町の山中の穴の中で25日午前に見つかった男性2人の遺体のうち、1人は14日から行方不明となっていた千葉県の無職の少年(16)であることが長野県警駒ケ根署の調べで分かった。同署はもう一人の40代とみられる男性の身元確認を急いでいる。
 調べによると、穴の中には練炭が入ったしちりんが置かれていた。2人は自殺サイトで知り合ったとみられ、同署は一緒に自殺したとみている。穴は人工的に掘られていた。
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2007052501215

 報道ステーションさんの取り上げ方はこうでした。

 まず、第一報は「16歳の少年が行方不明になり、自殺サイトで知り合ったと見られる40代男性とのメールのやりとりが残されていました。両親が少年が向かったと思われる長野に行き、少年の行方を探しています」というもの。

 他社はまだつかんでいない、テレビ朝日さん独占スクープであったことは明らかでした。


 しかし、どうもこの報道がおかしい。

 流されるのは、男性が少年に自殺の決行について、事前に細かく指示をしていたことを示すメールの履歴。

 モザイクのない、40代男性の住居の映像。もしかすると、窓の外から室内まで映されていたかもしれない。2回目の報道のときは映されていました)

 近所の人々のインタビュー。男性の印象についてうんぬん。

 取材スタッフ(番組スタッフ)とともに、山中を捜索する少年のご両親。
 そして、不自然に物が散らばっている場所を発見。→「警察に通報した」

 数日まえに取り上げられた1度目の報道はここで終わり。


 すでにおかしいと思っていました。

 もちろん、警察は動いていたのだろうけれど、警察とは別に、番組スタッフが独自でご両親を連れて山中を捜索なんかして、それをカメラでずっと撮ったりして。
 しかも、警察が動いていることには微塵も触れずに、まるで自分たちだけが良心を持って捜索をしているかのような見せ方で。

 なんですか? これ。
 ドキュメンタリー? ワイドショー?
 あ、あれか、「テレビのチカラ」だ?
 あぁ違った違った、見間違っちゃった。
 テレビ朝日さんの人気番組だけにね。

 しかも、これ「どうか生きていてほしい」みたいなナレーションをつけながらも、二人とも亡くなっていることを前提にしていますよね?

 じゃなかったら、あんな自殺サイトでのメールのやりとりだなんだを流されて、彼らが生きていた場合、その社会復帰ってどうなります?


 で、すでに1回目の報道でナレーションやインタビューの編集の仕方などで、「40代男性=16歳の少年をそそのかした悪人」という論調ができあがっていたわけですよ。


 そして、昨日流れた続報。「両親の願いは届かず、遺体で発見されました」

 流される映像は、ご両親が遺体が見つかったと泣き崩れる姿、本人確認に向かう姿。
 ナレーションは相変わらず、「止める立場でなければならない大人の男性が、少年を巻き添えに」……

 そして、出た。出たわ。きわめつけ。


 CMインのまえのテロップ。


「少年を巻き込んだ男性の卑劣」


 最後にご両親が、捜索に携わってくれた人たちへお礼をおっしゃっていた。


 ご両親の口から、男性を責めるようなコメントは、ひとつも出ていない。
(出ていれば流すはず)


 この男性にだって親もいれば家族もいるでしょう、命を自ら絶ってしまったというのはおなじです。

 まだ若い少年の尊い命が失われてしまったのは、非常に悲しいことだし、ご両親のご心情はいかばかりかと思うとやりきれません。


 かといって、男性を責めるのはおででかしいのではないでしょうか。


 たしかに、男性が少年と接触することがなければ、少年は自殺の機会なく、死にいたることはなかったかもしれません。
 少年の判断力は未成熟であったかもしれません。


 でも、だからといって。


 繰り返しますが、少年のご両親からは、男性を責めるコメントは出されているご様子はありません。


 であるにもかかわらず、一方的に男性を悪とし、男性が少年を殺したも同然だと、大衆に思わせるような番組作り。

 大きな疑問をかんじざをえませんでした。


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尊厳

 

 家族の見舞いに行ってきました。
 一週間前に入院。いまもICUに入っています。


「本人の尊厳」というものを考えさせられています。ずっと。


 手元に手を添えると、しっかりと握り返してくれ、その手を伝って会話をしてきました。


 なにか言葉を出して訴えようとしているが、聞き取れない。
 話しているつもりなのにわかってもらえない、というのは、どんなにもどかしいだろうと思うから、わかっているふりをしてしまう――わたし。


 呼吸器(酸素投与マスク)を自ら外そうとするため、両手に拘束帯をつけられていました。
 おむつも不本意だという思いからでしょう、とりたがる。


 看護師さんが、家族がきているから、ということで、すこしのあいだだけ拘束帯をとってくださいました。

 手が自由になるや否や、もがいて、懸命に、呼吸器を外そうとする。

 いっしょに行っていた家人は、「ごめんね、これはだめよ」って制止する。


 が、わたしは制止せずに、やりたいようにやらせてはどうか、といった。


 いやなものはいや、外したいものは外したい、それが本人の意思。
 それを表明すること、自らの意思に従って行動しようとすること。


 それができるうちは、したいようにさせたい。そう思ったんです。


 いざ本当に機械が外れそうになったら、そっと本人が気付かないように戻す――。


 こういうやり方、もしかしたら、わたしが一番残酷な人間なのかもしれないけれど。


 もうほとんど聞き取れなくなってしまっている言葉を聞き返さずに、わかったふりをしてうなずくことも。

 握った手を伝ってくる本人の思い、なんていうのも、こちらの勝手な解釈かもしれないわけですし。


 縁起でもない話を持ち出すようだけれど、人が「尊厳死」を選択するとき。
 わたしの家族は、まだ本人の意志表示らしきものがあるけれど、そういった当事者の方たち・ご家族は、本人の意思が確認できなかったり、確認らしきができたとしても、本当にその解釈は正しいのかとか、その狭間で苦悩するのだろう。


 わたしにしがみついて、必死に起きあがろうとする。

「自分はこんなふうにしてひとさまの世話にはなりたくないんだ」と言わんばかりに。

 ついこのあいだまで、まだ話せたときに本人が言っていたことだけれど。
 そういう人だからなぁ。


 そんなことを思い出しながら、抱きしめた。


 たんの吸引をしていただいて、相当苦しがっていたので、それを終えて、ほどなくして帰ることにした。


 あまり「苦しいこと」と「家族」が、本人のなかで結びつかない方がいいと思ったから。
「家族」=「苦しい」
 そんな思い出、いまからつくることないでしょ。


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#102 「別れ」のとき

 

人間というのは「出会い」と「別れ」。

どんな人間であろうとも、
どんな関係の人間同士であろうとも、

いつかはかならず「別れ」のときを迎えるもの――
それは「死」という別れだ。

「人というのは、いつかかならず別れるもの」

その覚悟を、常に持っておけば、
少々のことでは取り乱さず、冷静でいられる。
常に、おおらかでいられる。

伝聞元:
 先日、経営相談(という名の人生相談)をしたときの父の言
 (2007年5月9日)



 そして、「別れ」は、かならず、新しい「出会い」を運んできてくれるものなのですよね。


【関連記事】
#101 ブレイクダウンによる問題解決(悩み解消)方法
父に経営相談


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ママ、ばかだね。

 

 日記ブログにではなく、あえてこの生き方・働き方ブログに、泣き言を書きます。
 たまには、いいよね。許して。


「上昇志向が強すぎる」
「自分への要求水準が高すぎる」
「能力があるのに、さらに上の能力を、自分に求めすぎている」
「強迫観念に駆られているように仕事をする」

 そう、言われます。
 そんなわたしについていけない、とも。


 なんでそうなるか、考えた結果を言いました。
「わたしにはなにもない。
 だからできることを
 ひとつひとつ増やしていかなきゃいけないんだ」


 それがおかしいんだ、できることなんてたくさんあるじゃないか、能力があるじゃないかと指摘され、掘り下げていくうちに、なんでわたしってこんなふうなんだろ……って、根本に至った末に――つい泣き出してしまった。



 そうだ。
 離婚したとき。
 わたしは娘を連れて出ることができなかった。


 高校中退。大検を取って、短大を出てすぐに家庭に入ったわたし。
 社会でいったい自分になにができるのか、まったくの未知数で、こんなわたしが娘を連れて出て、幸せな未来を約束してあげられるのだろうか――自信がもてなくて。

 調停なら、それでも親権は取ることができただろうし、母子家庭で生きていく方法なんていくらでもあったはずなのに。
 でもわたしは怖かった。ただただ自信がなかった。


「いずれ、成長すれば、かならず母親が必要になるときがくるのだから、そのときになったら親権を譲渡するから」

 という元夫の言葉を盲目的に信じ、離婚届に判を押して、なにもわからずに、おすわりで遊んでいる娘の後姿を、目に焼き付けて、ひとり家を出た。



 はじめは700円そこらのアルバイトから。
 バイトで覚えたことは、自分で勉強して、確実に自分のスキルにしていった。
 いやな仕事だってやった。悔しい思いだってたくさんした。こーいう言い方って嫌いだけれど、みじめな思いだってしたんだ。
 バイトで入って、一番はじめに与えられた仕事が、本に付録するポルノビデオのROMを製作だったなんてこともある。
 自分のミスをわたしになすりつけて、ヒステリックにみんなのまえで怒鳴りつける女性上司だっていた。
 悔しくて認めたくはないけれど、明らかないじめってやつだった。

 でも、わたしは言い返さなかった。
 いやだ、とも、違う、とも、言わず、ただただにこにこ笑っていた。
 そして、人目を忍んで泣いた。
 懸命に我慢して、終電のなかで糸が切れたようにぼろぼろ泣いて帰る日々。


 なんでかって?

 こうやってでも、ひとつひとつできることを増やしていけば、娘を迎えに行けるって思っていたからだよ。

 そうじゃなきゃ、あんなに心身ぶっ壊れるまで我慢なんてするもんか。

 経済力をつけて、安定した暮らしを娘にさせてあげることができるようになれば、娘といっしょに暮らせる。

 そう信じていたからだよ。
 思い込んでいたんだよ。
 信じ込んでいたんだよ。



 その日だけのために、わたしはひたすら働いたんだ。




 でも、ママ、ばかだったね……。
 ママ、華月に新しいママがいるなんてことも知らずにね。ばかだったね。
 ごめんね、ごめんね、華月。

 そして、大切なのはこんなことじゃなかったんだよね。
 ママは、働くなんてことなんかよりも、なによりも、華月のそばにいること。
 それが大事だったのにね。ごめんね。ママ、ばかだった。



 離婚協議中、わたしと元夫家は、両方から娘の手を引っ張っているような状態だった。
 わたしは、引っ張ったら痛いから、娘の手を放すことを選んだ。
 そう思っている。


 わたしはいつだってそう。
 相手のことを想う気持ち、思いやる気持ちを表現しようとしたら、いつもこんなかたちになる。

 あぁだこうだ聞き出して、こうしろあぁしろとアドバイスするなんてこと、わたしは絶対にしない。

 遠くから見守る。
 話したくなってくれたら話してくれればいい。
 いつまででもどこまででも聞く。

 そばにいていいのなら、そばにいる。
 抱きしめていいのなら抱きしめる。

 でも、それがかなわなければ、遠くから――


 また?
 またおなじかたちで、また娘を失ったのとおなじかたちで、
 大事なものを、大事な人を、失うの? 失おうとしているの?


 だめ。だめだよね。



 守る。

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生涯、出版人。

春の日に旅立った、大切なあなたへ。
誓います。


「生涯、出版人であり続ける」と。



編集者という生き方の喜びを教えてくれた。
本気で惚れ込んで、人間と人間として、魂をぶつけあって、
これ以上ないほど、心の深くまで肉薄した、著者であり、

そして、おなじ悲しみを体験し、語り合い、
おなじ喜びを共有した、大事な大事な友人に。


わたしはあなたに出会えたことを誇らしく思う。
あなたの生き方を一冊の本にできたことを誇らしく思う。



出版人であることを、
大川内麻里であることを
誇りに
これからも生きていく。





やっと、この一言を言える心境になってきたかな……
――「ありがとう」

あなたに出会えてよかった。







美涼さん、わたしはこれからも、一生、出版人であり続けるよ。

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#009 それは『喜び』の伴う仕事ですか?

この文章は【2006/04/09】に執筆した連載から転載したものです)  

 さらに、給与には外的報酬内的報酬のふたつがある。
 外的報酬とは給与そのものやインセンティブ(奨励金)といった、お金として受け取れるものである。
 それに対して内的報酬とは、給与の額には表れないが、その仕事を通して得られる満足の報酬といったものである。
(中略)
 私の場合、外的報酬よりも内的報酬を増やすことを心がけてきた。
(中略)
 また、仕事を長く続けていくには、内的報酬がちゃんとなくてはつとまらないということもわかってきた。
 仕事をなし遂げたときの「達成感」や、自分が成長していることを実感できる「成長感」こそ仕事の原動力であって、他人からの評価という、自分の努力ではいかんともしがたいものにとらわれすぎるのは得策ではないと気づいたのである。

出典:
 『シゴトのココロ』 松永真理 著 (小学館
 31-33頁/28-35頁「給与の額に不満ですか?」より
 初版:2004年5月10日

[本の情報を見る]Amazonで購入][松永真理さんのほかの著書]



 わたしが、好条件の出版社勤務をやめ、いつ収入が入るか、いつ仕事が途絶えるかわからない、フリーランスの執筆者/編集者に転身したこと。

 それは、外的報酬よりも、内的報酬をとった結果にほかなりません。

 会社のカラーなどにとらわれず、さまざまな出版社とおつきあいさせていただくことで、より「自分のつくりたい本作り」に、すこしでも近づいていこうと。


 不安でした。
 仕事が軌道に乗らなくても、つまり、収入がロクに入ってこなかったとしても、向こう1年は食べていけるだけの貯金を手にしての決断だったとはい え。
 自分の実力よりも、ちょっと高めのハードルを強いた事業計画を立てていたとはいえ。
 具体的な目標設定と、そのために自分のやるべきことを、具体的に計 画していたいたとはいえ。


 不安でした。
 安定という言葉を使うとすれば、わたしは安定を捨てて、不安定な暮らしが待っていることが十分に予測されるところに、身を投じたのですから。


 不安と焦りだけが、わたしを支配していたように思います。


 フリーランスになったとき。
 まずは、フリーランスで、信頼していただける取引先を増やしていくなどといったことに努めよう。
 しかし、個人で請け られる仕事には、やはりキャパシティーや社会的信用の面などから限度がある。しばらくはフリーランスでやっていきながら、そうだな、32歳くらいを目安 に、編集プロダクション(出版下請け会社)を設立しよう。

 それくらいにまでは、起業準備も整うことだろう、否、それくらいまでには整えよう。それを視野に 入れた上でのフリーランス活動をしていこう。そう考えていました。
 25歳のころのことでした。


 しかし、フリーランスになって半年。思わぬ転機が訪れます。
 自分の将来的なビジョンを、もっとも尊敬する執筆者/編集者であったひとに話してみたところ、まったくといっていいほど、おなじビジョンをもっている。
「いっしょに、編集プロダクション(出版下請け会社)を興さないか」
 思ってもみない言葉でした。


 しかし、わたしは、すぐにその話に乗りませんでした。何度も何度も話し合いを重ねました。具体的に。慎重に。最悪の事態を想定して。


『起業』もおなじことなんですよ。
『フリーランス』となにも変わらない。
『フリーター』となにも変わらない。
 すべて経験したからわかるんです。
 なにも変わらないんです。


『起業』したからといって、輝かしい未来だとか、安定した生活だとかが待っているという保障がつくわけではないんです。
 リスクは、常につきまとうものなのです。


 リスクマネジメントができないのならば、なにをやったっていっしょです。
『起業』しようが『フリーランス』として独立しようが『フリーター』で 頑張ろうが。



 リスクマネジメントをするための最良かつ最短である方法は、具体的に、慎重に、そして、最悪の事態を想定しておくことです。


――創業1周年を来月に控えています。1年目にして、決算は、大幅黒字です。 この文章を執筆したのは【2006/04/09 11:59】)


 わたしが、常に忘れずにきたこと。それは、内的報酬の追求です。そして、それを追求し続けるために必要な努力です。


 努力とは、日々の小さな積み重ねこそが根底にあるもの。「ありがとう」と「ごめんなさい」がいえるかどうか。あたりまえのことをあたりまえにできるかどうか。


 逆にいえば、あたりまえのことをあたりまえにやるだけでいいんです。


 より「自分のつくりたい本作り」に、すこしでも近づいていくこと。
 そして、それから生まれてくるもの。たとえば、読者からの言葉。感想。取引先からの「ありがとう」の言葉。

――これらが、わたしの内的報酬です。


 もちろん、「自分のつくりたい本」ばかりつくってきたわけではありません。

 下請けという上下関係がある以上、嫌な思いもしました。悔しい思いもしました。怒りに震えたこともあります。


 それでも、誠実さを忘れないこと。


 自分がどんなに誠実でいるつもりであっても、どうしても、それの伝わらない相手だっています。
 今後も、お互いにプラスとなる関係でいられるのかどうか……――ならば、思い切って、距離を置いてみるという選択もある、ということも知りました。いま現在、思うことがあるので、別のエントリーに追記します
 わたしには、めったにないことというのもあって、本当に、悲しく、苦い、苦い、体験でした。


 自分なりに込めた誠意を評価するのは他人です。
 ここで、冒頭のコトバを思い返してみましょう。著者は、外的報酬=給与などをして

他人からの評価という、自分の努力ではいかんともしがたいもの

 とし、「それにとらわれすぎるのは得策ではないと気づいたのである」と述べています。


 外的報酬についてはもちろんのことですが、自分なりに込めた誠意に対しても、おなじことがいえるのではないでしょうか?


 内的報酬を追求していった結果、そして、そのための努力を怠らなかった結果、外的報酬が、あとからついてくる。
 そんなこともあるんですね。

【2006/04/09 11:59】 | よりよい仕事をするために


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#008 「自分には『才能』がない」とあきらめかけてはいませんか?

 

“『努力できる』という『才能』”に勝る『才能』はない。

伝聞元:
 中学時代の恩師が、卒業時に、わたしに宛ててくれたメッセージ



 なにか新しいことや自分にとって難解なことにチャレンジしようとするとき、そして、それが自分には乗り越えられそうもない壁だと感じたとき。

 ひとは「これをやるには『才能』が必要なんだ。自分には、そんな『才能』なんかない……」と及び腰になってしまいがちです。


 そして、そんなときに、ついつい忘れがちなのが『努力』というものの存在。


『努力』というと、なにかものすごいことをやらなければならないような気がしてしまうかもしれませんね。
 ならば、別の言葉に言い換えてみますね。『ちょっとやる気になってみる』『ちょっとやろうかなと思ってみる』というのはどうでしょう?
 なんだか、簡単にできそうな気がしてきませんか?


 そう、『努力』というのは、実は、だれにでも簡単にできることなんです。そして、それは、どんな『才能』にも勝るものなんです。


 また、あなたには『努力』をしているつもりはなくても、客観的に見ると、「あの子って、すっごい『努力』してるよね」「『努力家』」だよね」ってこともあります。
 そんなとき、あなたは“無意識に『努力』をしている”のであって、それこそ、まさに“『努力できる』という『才能』”にほかならないのです。


 それから、『努力』すること=なんだか恥ずかしいことって意識はありませんか?
 なぜ、恥ずかしいことだと感じてしまうのでしょうか?

 よくありましたよね、学生時代の試験まえの光景(笑)。「勉強した?」「ぜ~んぜん。もうやばいよー」といいつつ、本当は、一生懸命、勉強してきている。


 なぜ隠すのでしょうか? 『努力』したということを。


 それは、『努力』した結果、「努力が報われなかった」ということへの恐れがひとつなのではないでしょうか?


 でもね、大事なのは『結果』ではないんです。『努力』したという、その『過程』なんです。『努力』したという事実なんです。


『努力』したということは、かならず、あなたの糧になります。
それは、テストの点数のように、即座に出る、わかりやすいもの(要は、先述したような所謂『結果』ですね)ではないかもしれません。でも、かならず、「あのとき『努力』してよかった」というときがきます。自分では気付かなくても。かならずくるんです。


 こういったことに主眼を置いていくと、『努力』するということは、決して、恥ずかしいことでも、かっこわるいことでもないことに気付きます。
 そして、先にも述べたように、『努力』は、かならず、あなたの糧になるわけですから、「報われない『努力』はない」のです。


 もう一度、いいます。
『努力』すなわち『ちょっとやる気になってみる』『ちょっとやろうかなと思ってみる』ことは、だれにでもできることなんです。
 また、それは、恥ずかしいことでも、かっこわるいことでもなんでもなく、かならず報われるものなのです。
 そして、『努力』できるということに勝る『才能』はないのです。

【2006/04/08 12:05】 | ココロが疲れたときに


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#007 無理をして強がってしまってはいませんか?

 

「自分は自分以上でも以下でもないのだから、周囲の目を気にして、わざわざ自分以上に見せる努力をする必要はない」
(中略)
 でも、逆に言えば、こういう人は自分に自信がない証拠です。

出典:
 『チャンスを逃がす人 活かす人―自分を変える逆転の仕事術』 西田通弘 著 (かんき出版
 119頁/116-120頁「弱さを隠さない」より
 初版:2003年11月10日

*ホンダ・西田通弘前副社長のサイト
[本の情報を見る][Amazonで購入][西田弘道氏の他のご著書]



 わたしは、中高生のころに、とってもつらい時期をすごしたことがあります。

 でも、そのことを、だれにも打ち明けることができませんでした。そればかりか、たとえ自分がどん底の状況にあったとしても、いつも、ひとの相談には乗っていました。

 なぜか?

 怖かったんです。
 わたし(←むかしもいまも姐御肌とよくいわれる^^;)は『強い人間』で、恵まれていて、底抜けに明るくて……だれもがそう思っている。だれもにそう思われている。
 だから、『違う自分』を見せたら、みんなに嫌われてしまうんじゃないか――『本当の自分』に自信がなかったんですね。

 でも、22歳くらいのころのことかな。ふっと、みんなに『本当の自分』の姿を見てもらおうって思ったんです。不思議な衝動でした。

 そこで、わたしは、WEBサイトを立ち上げ、『本当の自分のこと』を書きました。そして、友だちたちにURLを送ってみたのです。

 そしたら、どうなったと思いますか?

「麻里のこと、なんにも知らなかった……」そういって、泣きながら電話をしてきてくれる友だちがいたのです。
「おまえ、俺らとは違う世界の人間だって思っていたけど、実はいっしょだったんだな」って、メールしてきてくれる友だちがいたのです。
「これ、だれにも話ししたことないんだけれど、わたしも、実はね……」と、『本当の自分』のことを告白してくれる友だちがいたのです。

 共感してくれるひとがいた、わたしなんかのために泣いてくれるひとがいた、自分こそ友だちの素顔を知らなかった。
 わたしのなかで、なにかがふっきれました。

 以来、わたしは、弱みを含めたありのままのわたしでいられるようになりました(もちろん、時と場合によりますが)。

 そうすると、どうなったでしょう?

 そういったところを、かえって、わたしの『人間的魅力』として、好いてくれるひとたちが出てきたのです。

 そんなひとたちは、積極的に、わたしを支えてくれます。協力してくれます。困ったときは力になってくれます。

 そして、そんなひとたちに囲まれていることを、わたしは日々「ありがとうございます」と感謝しています。本当に恵まれていることだと思います。
 そして、そんなみんなに対して、逆に、わたしにできることがあれば、なんでもさせていただきたいと、常に考えています。

 自分に自信がないことは、わるいことではありません。謙虚さなど、ひととして大切なことを生む源ともなりうるのですから。

 等身大の自分をさらけ出すこと、ありのままの自分でいること、肩の力を抜くこと。とっても難しくて、勇気のいることだけれど、そうすることによって、あなたが得られることは、とても大きなものです。

 ひとは、ひとりでは生きていけないのですから。

 自分に素直に生きてみませんか?

【2006/04/07 18:32】 | なんとなく疲れたときに




大川内 麻里のサイト OkawauhiMari.net
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サプライズの技術 ~小さな感動が大きなリターンとなる瞬間

 

 あるダイニングバーの女性用お手洗いにて。

0704bpic_0272
おしぼり、油取り紙、デンタルフロス、綿棒。
0704bpic_0273
歯磨きセット、紙コップ。


 このサービスを最初にはじめたのは、 「個人商店(自己完結)主義」を経営戦略とし、そしてそれこそが商いの原点商売の法則であると提唱する、宇都宮俊晴社長ご著書)率いるUG UTSUNOMIYA corporation(株式会社 UG・宇都宮)グループの飲食店だったと記憶しています。


 UG UTSUNOMIYA corporationは、「ブッツトリック・バー」「キリストンカフェ」「エレファントカフェ」など、強烈なインパクト&話題性の高い、エンターテインメントレストランを多数経営されています。
 いま現在、大型直営店舗を名古屋・大阪・神戸・東京・福岡に18店舗。小型店舗を全国に86店舗展開されているそうです。
 先日行き損ねてしまった^^;「恋のしずく」もそのひとつですね。


 同グループの飲食店に追随するかたちで、エンターテインメントレストランが次々とオープンしました。(ただし、撤退も早いのですが)
ほかのエンターテインメントレストランの一例
 監獄居酒屋「ザ・ロックアップほか・・・セラヴィリゾート株式会社経営。

「ザ・ロックアップ」2000年に初出店。「ブッツトリック・バー」は1998年に初出店。


 こういったエンターテインメントレストランは、お店のコンセプト・存在そのものが、客にとっては「サプライズ」であると思います。

 だから、話題性も高いし、「なんかおもしろそうだな、行ってみよう」という初回客をつかむのは、比較的容易と言ってもいいでしょう。


 が、大切なのは、その先
 その一度きた客が、リピーターとなってくれるかどうか

 そのためには、お店のコンセプトであるエンターテインメント性というサプライズだけでは不足、とわたしは考えます。

 必要なのは、サービスの中身と質、そしてそれらに裏打ちされた小さなサプライズです。


 料理の味はもちろんのことですが(もちろんのことだけれど、ここがだめなエンターテイメントレストランを何店も見かけたので)、従業員の接客態度(これもあたりまえだけど、できていないところ多し)、そして「思いがけないところへの小さな配慮」が大事


 それらに欠けるお店は、良質なリピーターをつかむことは難しいでしょう。

 たとえば、個人的な感想で恐縮なのですが、「ザ・ロックアップ」は話題のお店ということで、できたばかりのころ、一度行ってみたことがあります。
 が、その料理の味に閉口してしまい、二度と足を運ぶことはありませんでした。



 ここで、冒頭のケータイ写真で載せた、女性用お手洗いに置かれたグッズに話を戻します。
 これには、わたしは素直に感動を覚えました

 油取り紙、綿棒は、女性のメイク直しに役立ちます。
 食事中、口元が気になってきた女性にはうれしいであろう、歯磨きセット、デンタルフロス。


 デートをしていて、予想外にいい雰囲気になって、「キスかも……」ってシチュエーションはよくあること。
 でも、そんなとき、接近されたときにメイク崩れが気になったり、飲み食いしたあとの口臭が気になったりしてしまう女性も、すくなからずいるのではないでしょうか?
 そんなことに気をとられているうちに、恋のチャンスを逃しちゃう子も……。

 そんなシーンを想像して、その小さなサプライズに感動したのです。


 先にも、(わたしの記憶では)「UG UTSUNOMIYA corporationグループの飲食店が、こういったサービスの走りだった」と書きましたが、同社のエンターテイメントレストランは、そのエンターテイメント性、インパクトの強さだけではなく、料理もおいしいですし、加えて、こういった女性のお手洗いへのサービスなどにも余念がないのですね。


 わたしは、このお手洗いの小さなサプライズにはじめて出合ったとき、先のように、きっといま、このお店のお客さんのなかにもいるであろう、デート中のオンナノコのことを想像して、感動しました。


 そして、決めました。
「またこのお店にこよう」と。



 自分の店がどんな客層に利用されるかを考え、店内の客のひとつひとつのシーンを想像することから、このような細やかなところへの配慮が生まれ、発想が生まれるのだと思います。

 そして、「小さなサプライズ」「小さな感動」は、かならずリピーターや口コミなどによって、店側に大きな利潤となってリターンしてくるものなのです。


【関連記事】
最近おいしかった
恋に落ちる空間 「ル・アラダン」

【関連リンク】
宇都宮俊晴社長の「個人商店(自己完結)主義」にご興味のある方は、「宇都宮の法則」をお読みになられてみては?
http://www.ug-gu.co.jp/company/company-project.html

【関連書籍】
宇都宮俊晴社長のご著書です。



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#006 考え込みすぎてはいませんか?

「真剣だけど深刻じゃない」

出典:
『コミュニケーション集中治療室』 須子はるか・松村香織 著 (東洋経済新報社)
 26頁「「コミュニケーション集中治療室」誕生秘話」より
 初版:2005年12月22日
ジャストレード株式会社 代表取締役 須子はるかさんのブログ「夢を実現させる起業日記
須子さんも、取締役の松村さんも、わたしと同年代。そのパートナーシップと経営手腕には頭が下がります。とっても前向きで聡明で、キラキラしている女性たちです!^^



 このコトバは、著者らの経営理念ですが、これって、生き方、考え方、物事の見方や捉え方、態度などのヒントにもなりうるのではないでしょうか?

 ココロが疲れているとき。
 ココロが落ち込んでいるとき。
 悩んでいるとき。

 もしかすると、あなたは、真剣になりすぎるあまり、自分を深刻な状況に追い込んでしまっているのかもしれません。

 でも、そんな自分を責めないで。
 それだけ真剣に考えたというのは、素晴らしいこと。
 まずは、そんな自分をほめてあげて。

 それから、自分に教えてあげましょう。「真剣になることと、深刻になることは違うんだよ」って。

 ちょっと視点を変えてみるだけで、目のまえが開ける――そんな体験をしたことはありませんか?

 視点を変えるといっても、悩んだり、落ち込んだりしているときには難しいもの。だから、無理に視点を変えようと意気込まなくてもいいんです。そのヒントを知るだけでいいんです。

 真剣さと深刻さの違い。それを知るだけで、あなたは、大切な自分という存在を、悩みや苦しみ、つらいことから解放してあげることができうるのです。

 『真剣』と『深刻』。あなたは、どこに違いを見出しましたか?

【2006/04/06 15:34】 | 落ち込んだココロを癒すヒント・悩んでいるときに

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#100 幸せをシェアすれば、もっと幸せに、もっと豊かになれる

 

 カンボジアの子どもたちは教えてくれました。モノは奪い合えば足りず、分け合えば足りるのです。自分だけの幸せなんてないんだ。幸せは、人のそれと重ねるものなんだ、と教わりました。

出典:
 『きみはなぜ働くか。―渡邉美樹が贈る88の言葉』 渡邉美樹 著 (日本経済新聞社
 4/1-5頁「はじめに」より
 初版:2006年9月19日
*ワタミ創業者・渡邉美樹社長のサイトWatanabeMiki.net
[本の情報を見る][Amazonで購入][渡邉美樹社長の他の本]



 ワタミの渡邉美樹社長は、ご自身が理事長を務めておられるNPO法人SAJ(スクール・エイド・ジャパン)で建てた学校で、WEP(国際連合世界食糧計画)の協力を得て、給食をはじめられたそうです。

 その給食風景について、このように述懐しておられます。

 三日に一食しか食べられない子どもがいる、カンボジアの田舎の貧しい村です。早朝から給食を待ちきれずに、食器を持って子どもたちが集まってきます。
 朝七時、豆入りごはんが炊き上がりました。おかずは魚の缶詰のスープです。
「いただきます」
 元気よく給食が始まりました。その中で、ひとりだけ食べようとしない子がいました。ビニール袋に自分の給食を入れています。給食が終わろうとした時、何事もないように周りの友だちが自分の分の三分の一ほど残し、そのこのビニール袋に給食を分けました。
 聞くと、その子は家に食事をしていない小さな弟と妹がいて、自分の給食を持って帰るのだそうです。その子は給食が終わると、一生懸命、走って学校を後にしました。

 そして、冒頭に引用させていただいたお言葉がでてくるのです。


 人間の心は、互いに共鳴しあうもの。
 わたしたちは、日々、だれかの影響を受け、だれかに影響を与えながら生きています。たとえ、自覚がなくとも。

 だから、幸せな気持ち、豊かな心は伝染するし、また逆に、不幸せな気持ち、貧しい心も伝染するのです。

 幸せには相乗効果があります。

 幸せをわかちあえば、もっと大きな幸せとなって、あなたのもとに返ってきます。
 そして、あなた自身はもちろん、そればかりか、あなたのまわりの人々をも豊かにし、その心を満たしてくれることでしょう。

 また、不幸せな気持ち、貧しい心は、受容や共感、癒しにより変わることだっておおいにあります。

 幸せは、だれかとシェアすれば、もっと幸せに、もっと豊かになれるのです。

#この記事は、FPN-新規事業とイノベーションを考えるニュースコミュニティにも寄稿しています。
(⇒http://www.future-planning.net/x/modules/news/article.php?storyid=2279


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#数字 の 記事について【お知らせ】

 タイトルのあたまに「#数字」のついた記事についてお知らせします。

 このたび、わたしの別のところで書いていたブログ「大川内 麻里の“人生がより心豊かになる”コトバ 1日1文」と、
いまご覧いただいている、このブログ「フリーターから起業した女性経営者の“心豊かに生きる”ブログ by OkawauchiMari.net(旧タイトル:元フリーター編集者の出版日記、フリーターから起業した女性経営者が考える「働く・人・社会」)」とを統合することにしました。


#数字の記事の趣旨
大川内 麻里の“人生がより心豊かになる”コトバ 1日1文」とは、
わたし(大川内麻里)が、日々膨大に読む読み物や、人から見聞きする言葉、出会ってきた素敵な言葉たちのなかから

“あなたの人生が、より心豊かなものになる”コトバ
 をご紹介し、
+わたしのちょっとしたコラムを綴っていく

 というブログでした。

あなたの毎日に、“ちょっとした豊かさ”をプラスできるようなコトバたちを、お届けしたい」というのがコンセプト。
 わたし自身、心の豊かさを追求しながら綴ってきたもので、いただいたコメントから、たくさんの学びや喜び、幸せをいただいてきました。
 わたしのモノの見方、考え方がもっとも顕著に現れるブログでもありました。
 おかげさまでご好評もいただいてまいりました。

 そんな1日1文を、これからはこちらのブログで配信していこうと考えています。
 もちろん、これまでこのブログで書いてきたようなテーマの記事も続けていきます

 ただ、1日1文については、タイトルのはじめに「#数字」をつけることで区別することにしました。


#001~099はバックナンバー
 この統合にあたって、2006年4月~1年間に書いてきた過去記事を、すこしずつこちらに移行していきます。

 タイトルに#数字のついた記事のうち、#001~099は、その移行した過去記事、つまりバックナンバーです。

 もともとのこのブログで書いてきたテーマと共通するテーマも多いので、楽しんでいただけるとうれしいです。


#100~は新しい記事(新しい1日1文)
 バックナンバーを移行していくだけではなく、これから新しい1日1文もお届けしていきます。

 今後、書いていく新しい1日1文は、#100からはじめます。

 つまり、タイトルのはじめの番号が、#100以降のものは新記事となります。


1日1文だけをご覧になりたい場合
 1日1文だけをご覧になりたい場合には、サイドバーのカテゴリから「■心豊かに生きるための1日1文」をクリックしてください。(でも、たぶんすごい見づらい……(~~;)



 わたし自身、まだまだ発展途上で、日々修練の身でありながら、こういったコンセプトの記事(1日1文)を書かせていただくのは恐縮なのですが、未熟であるからこそ、アンテナに引っかかる言葉、お伝えできる言葉があるのでは、という気持ちで綴っております。

 先にも述べたように、わたし自身学びながら、と申しますか、わたし自身の学びの場として、このブログがあります。

 その研鑽の場を、だれかと共有することができたらあなたと共有することができたら――チョット素敵だなって思いませんか?^^

 1日1文は、わたしからあなたへの「毎日の暮らしのなかにある、ほんのちょっとの幸せ、シェアしませんか?^^」というご提案でもあるのです。

 プチバラシをしちゃいますと、わたしのブログのなかでも、特に1日1文において、断定形の文体を使っているのは、ある意図あってのことです。^^ゝ


 この統合によって、単純にこのブログの更新頻度は、以前よりも増えることとなると思います^^
(……って、企業合併の記者会見みたい^^;)
 そんなわけで、みなみなさま、今後とも当ブログ・大川内麻里をよろしくお願いします!


なお、著作権法を遵守し、引用は、著作権法の規定するところを逸脱することはございません。
引用について、著作者さまの不利益となるような悪意あるご紹介の仕方は一切いたしません。



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#003 『ひとりの人間』として生きていますか?

 さて、女性であることで損したことは何ですか?
と聞かれて、あなたはどう答えるだろうか。
 私なら、こう答える。
 女性であることを損だと思い込むことが、もっとも損である、と。

出典:
『シゴトのココロ』松永真理 著(小学館)
 57頁/52-59頁「女性は損! と感じてはいませんか?」より
 初版:2004年5月10日

****************************

女性であることを損だと思い込むことが、もっとも損である

――この考え方の方向性って、いろんなことに応用できませんか?

 たとえば、
自分はフリーターだから。
自分はルックスがよくないから。
自分は高学歴ではないから。
自分は運がわるいから。
自分は恵まれた環境に育たなかったから。
……などなど、いくらでも出てきます。

 でもね、そんなもの、ただの『属性』にしかすぎないんです。
『属性』にとらわれることって、実は、あなたにとって、とても損なことなんです。

 人間というのは、自分が望ましい方向に進めないとき、そのファクターを、自分のウィークポイントや不利な点だと“思い込んでいる”ことに帰結させることには、非常に長けた動物です。

 あるいは、原因の対象を、自分のウィークポイントや不利な点だと“思い込んでいる”ことばかりか、外的な阻害要因だと“思い込んでいる”ことのせいにしてしまう。端的にいうと、“ひとのせい”にしてしまう。

 断言します。
 それは、ただの『言い訳』です。

 そして、そんな『言い訳』を続ける限り、あなたは、自分にとって望ましい方向に進めることはないでしょう。

 それでも、あなたは『属性』にとらわれ続けますか?
 もしくは、これは、とても勇気のいることだけれど――自分は自分、『ひとりの人間』として生きてみませんか?


#000 この記事は、2006年4月~1年間、ブログ「大川内 麻里の“人生がより心豊かになる”コトバ 1日1文」で連載していたものを転載しております。

#000 タイトルに「#番号」のついている記事についてはこちらをお読みください。

 

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#002 自分の本当にやりたいことをやっていますか?

 自分で決めた仕事を途中で投げ出して違う道に進む――こんな生き方 を、日本人はあまりよく思いません。「我慢が足りない」「人生を安易に考えすぎている」と厳しい評価をしてしまいがちです。 確かにそうもいえるかもしれ ません。しかし、やむにやまれぬ路線変更はあってもいいと思います。
 私の人生は頓挫の連続でした。だからはっきりいえます。自分の気持ちに素直に生きようとすると、「どうしてもここにいてはダメだ」という場面があるのだ、と。
(中略)
 路線変更はリスクのある選択です。しかし、自分を裏切ってまで我慢をして、嫌なことにしがみつく義理はありません。
 自分の人生は自分で決めればいいのです。だから、「ここにいては、自分の使命は果たせない」と思えば、迷うことなく違う道を進むべきです。
(中略)
 路線変更は現実逃避ではありません。そのまま行こうと思えば行けるかもしれないけれど、それは自分への裏切り行為になる。それは許せないから、その路線から「降りた」のです。
(中略)
 真剣に考えて起こした行動なら、堂々としていられるはずです。
(中略)
 自分の志がはっきりしているのなら、その望みを捨てずに、最後まで必死に追いかけてみるのは悪いことではない。そういう勇気も必要だと思います。



出典:
『仕事で本当に大切にしたいこと――自分を大きく伸ばすために』大竹美喜 著(かんき出版)
 43~46頁「路線変更で理想の生き方をつかむ」より
 初版:2004年5月31日

****************************

 わたしが、出版社勤務の編集者であったころ。
 会社のカラーや方針により、わたしは“自分の本当にやりたい本作り”からは、程遠いところにいました。
 やりたいことができない。どんなに企画を出そうとも、著者を口説いてこようとも、わたしの意向は通らない。伝わらない。それも、到底納得しがたい理由で。

 そのうち、身体に不調が現れはじめ、内科、婦人科など、あらゆる病院にかかってみても、異常は見つからない。なにかがおかしい。なぜ……? この不調の理由は……?
 そんなある日でした。会社に行こうとしても、どんなに行こうとしても、行けなくなってしまったのです。突然のことでした。

 心療内科の門を叩いたわたしに告げられたのは、『仮面鬱病』――ココロの鬱が身体症状として現れてしまう――という病名でした。間もなく、『鬱病』も発症。

『退職』という選択肢が、頭に浮かびました。けれど、すぐに、それを選ぶことはなかったのには、二つの理由があります。

 そんなわたしでも、会社はわたしは必要としてくれていて、「常勤しなくていい。週に1回であっても、月に1回であっても、これるときにきてくれ ればいい」そして、そんな(同社にとって)前代未聞の勤務スタイルであっても「ギャランティーは、これまでと同額を支払う」と提示してくれたのです。
 ただでさえ、自分に自信がない上に、鬱病によって会社に行けなくなってしまったことで、完全に自信を喪失していたわたしにとって、“こんなわ たしなんかでも、会社はわたしを必要としてくれている。わたしなんかを必要としてくれる場所がある”というのは、にわかには信じがたいほど、奇跡的であり がたいことでした。

 また、当時のわたしには、これまで、高校は中退するわ、結婚も仕事は続かないわ……という自分に劣等感や嫌悪感を感じていました。“なにごとも続かないというレッテルを貼られてもおかしくない道を歩んできた”と、それを払拭しなければという思いがありました。
 いま振り返れば、その思いは、自分自身に対する戒めであると同時に、他人や社会の目を気にしすぎていたことからくるものであったことに気付きます。
『戒律』とは、自発的に規範を守ろうとする、自律的な心の働きをいう『戒』と、他律的な規範に基づいて守ろうとする『律』という、二つの意味を表す字で成り立っています。当時のわたしは、ある種の『戒律』めいたものに縛られていました。自分を縛っていました。
 しかし、あるとき、気付いたのです。
 会社とわたしのあいだには、ただの互いの『甘え』『依存』しかなく、いまのこの関係は、だれのためにもなっていないと。

 ……わたしは、正式に退社しました。

 逃げたのではない。「降りた」のだ。――そう、この本が教えてくれたのです。

 いま、本当に自分のやりたいこと、目標、夢に向かって、一歩一歩、着実に進んでいるという実感を、全身でたしかに感じとっているわたしがいます。

 最後に、わたしの本当にやりたいこと、目標、そして夢とはなにかを付記しておきます。

------------------

 過去の自分とおなじように悩み苦しんでいるひとがいたら、すこしでもいいから役に立ちたい。つらかったあのころのわたしが求めていたひとになりたい。求めていた本を書きたい。
 そして、世の中に怒るべきことがあれば、その怒りのエネルギーを昇華しモチベーションとしたいし、また真っ向から立ち向かっていきたい。いつだって、わたしは強者よりも弱者の視点に立ってものごとを見ていたい。
  ――それが、わたしの出版人としての原点だから。

 たった一行でもいい。ほんの一言でもいい。「この言葉に出会えてよかった」「救われたような気持ちになれた」と読者の心に刻まれ、何度でも読み 返したくなるような本を、もし生涯に一冊でも書くことができたとしたら、わたしはこれでようやく出版人としてのミッションを果たすことができたと思えるこ とでしょう。

------------------

あなたの本当にやりたいことはなんですか?


#000 この記事は、2006年4月~1年間、ブログ「大川内 麻里の“人生がより心豊かになる”コトバ 1日1文」で連載していたものを転載しております。

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世論はこうして作られてゆく―「赤ちゃんポスト」という“通称”の罪。ないがしろにされる「こうのとりのゆりかご」の本質論

「赤ちゃんポスト」というのは、あくまでも報道機関が呼称しているだけであって、正式名称は「こうのとりのゆりかご」です。

 この「赤ちゃんポスト」という通称が与えるイメージだけが先行してしまい、「赤ちゃんを物として扱うなんて」と、事の本質には遠く及ばないところで、論議や国民感情が沸騰してしまっているようですが、本質はそこにはありません。

 各報道機関は、いまからでも「こうのとりのゆりかご、いわゆる赤ちゃんポスト」とでも呼称を正すべきです。

「なまえ」の与えるイメージは非常に大きいです。
 ネーミングがウケて爆発的にヒットした商品などが多数あることからも、その影響力の大きさをはかることができるでしょう。

 報道機関が、今回の件のような大事な事柄について、ふさわしくない呼称を使ってしまったら。
 その影響は甚大です。

 物事の本質をも隠蔽し、本来あるべきところとはかけ離れたところで、不用意に世論をあおってしまうことすらあるのです。

 議論されるべきところで議論が展開されず、違うところで世論に火がつき燃え上がってしまう。
 そんなふうにして「つくられた」世論というのは、非常に危険です。

 なお、「こうのとりのゆりかご」に関するわたしの見解は、別のブログの記事「「赤ちゃんポスト」という“通称”に踊らされないでください。事の本質が見えなくなってしまう危険性があります。」に述べました。

【関連記事】
「赤ちゃんポスト」という“通称”に踊らされないでください。事の本質が見えなくなってしまう危険性があります。
「こうのとりのゆりかご(俗称:赤ちゃんポスト)」に預けられた子のその後を考える(1)~養子縁組と里親制度

* 大川内 麻里のサイト OkawauhiMari.net
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WEB2.0考(1)ネット上で表出する攻撃性―自殺しようとした女性を救助した警察官死亡

 なんとか命だけはと切に祈っていました。本当に残念なことです。

 もうひとつ、残念なことがあります。

 この事件で、宮本巡査部長を巻き込んだかたちとなってしまった、自殺をしようとした女性。
 彼女への批判が、非常に多いこと。
 実際、この事件を取り上げたブログや日記などで、辛らつな言葉を多く目にしました。

 たしかに、尊いひとりの警察官の命が奪われる原因となる行動をとった女性を批判し、厳しい言葉を投げかけたくなるのも人の情でしょう。

 しかし、それは宮本巡査部長の遺志に添うものでしょうか?
 彼は、そんな人々の声を聞いて喜ぶでしょうか?

 宮本巡査部長は、わたしたちに、命の貴さ、生きる尊厳、職務とは、など、大切なことを教えてくれました。
 彼の遺してくれたものを、彼にとって不本意なかたちとはならないように、大事に受け継いでいきたい。そう思います。

 宮本邦彦巡査部長。心よりご冥福をお祈り申し上げます。


救助の巡査部長死亡=東京都板橋区の東武線事故
2月12日16時0分配信 時事通信
 東京都板橋区の東武東上線ときわ台駅で、線路に侵入した女性を助けようとした警視庁板橋署の宮本邦彦巡査部長(53)が電車にはねられた事故で、重体だった宮本さんが12日午後2時25分、治療を受けていた同区内の病院で死亡した。 
最終更新:2月12日17時30分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070212-00000044-jij-soci

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自殺対策(2)◆日本人は“安易な”引責辞任という風潮をなくすべきだ

 辞めることで、責任をとる。
 辞めさせて、それを責任とする。
 辞めて、お詫びする。

 不祥事など負の出来事が起きたとき。
 日本人には、

責任を取るということ、お詫びを表すということ=辞める

というカタチが、あまりにも安易に浸透しすぎてはいないでしょうか
 政治の世界でも、企業においても、教育現場でも。


 わたしは、自殺対策の一環として、「“安易な”引責辞任をなくすべきだ」と考えます。
 では、なぜ、これが自殺対策なのか。


 自殺というのは、究極の「辞任」だと考えるからです。


 死んで責任を取る。死んで負の出来事を(本人にとってのみ)終わりにする(できるとかんじている)。死んでお詫びをする。

 

生きるのをやめる。自らの人生を辞する。まさに究極の「辞任」。


 自殺する場合、その理由はそれこそさまざまですが、大きく分けるとすれば、下記のふたつが考えられるでしょう。
(1)自分が負の出来事を起こしてしまった場合(例:不祥事を起こした、いじめや犯罪の加害者となったなど)
(2)自分が負の出来事に遭ってしまった場合(例:いじめや犯罪の被害に遭った、生活苦、病気を苦にしてなど)


(1)の場合、たとえ当人が自殺をしたとしても、それが解決になるわけでは決してない。

(2)どうにも逃げ場がないとかんじる閉塞感。行き場の見えない絶望感。
 もう終わりにしたい……そこで浮かぶ選択肢――死。
 つらいよね。苦しみから逃れたいんだよね。でも「死んで楽になれる」というのは「錯覚」だよ
 逃げていいんだ。逃げて、お願い。逃げることはわるいことなんかじゃない死を選ぶくらいなら逃げ道をもっともっともっともっと探してあるから、かならずあるから。


(1)にしても(2)にしても、自殺に至るまでの過程は違えど、死ぬことで白紙にしたい、リセットしてしまいたいという点で、直前の精神状態は近いのではないかとも思います。

 前回の「「いじめをなくそう」というスローガンが“強すぎる”状況下は「危険」である」という記事でも、「負の出来事」→「自殺」という直結こそが危険で、まずはそこを断ち切らなければと強調しました。

 では、その策は、と考えたとき、対策を練るには、原因を把握すること、すなわち原因の究明と多角的な分析が必要です。
 そこで、思い至ったひとつの要因が「安易な辞任」だったわけです。

 「人生を辞する=自殺」という選択肢が、安易にひとびとのなかに存在していること。
 これは、日本人の「辞めることで、“一見”物事が解決したかのように、“表面上”収める」という風習がすくなからず影響しているように、わたしには思えます。


 ただし、わたしはすべての引責辞任を否定しているわけではありません。
 辞任することが、建設的、本質的な解決策とならない場合、一見解決したかのように見せ、表面上収める、という場合を問題視しています。

「実質的な意味のある辞任」というものもあると考えていて、それは辞任することで、物事が建設的な方向に進む場合辞任そのものが解決策のひとつとなりうる、意義あるものである場合が挙げられます。

 たとえば、柳沢大臣の失言問題の場合は、厚生労働大臣として「少子化対策」にあたるにふさわしくないという道義があるため、後者にあたると考えています。
(この問題については、性に関するブログ「SEX-Therapy【セックスセラピー】 by Mari Okawauchi」で、追って取り上げます)


 安易に辞めるのではなく、続けることで解決していく根本的な解決を
 政治家にも、企業人にも、教育者にも、そういったモデルを見せてほしい


「人生を辞することではなく、人生を続けていくことで、光を見出すこともできる」
「人生を辞することではなく、人生を続けていくことこそが、事態の根本的な解決につながる」

 そういうメッセージになりうるのではないかと。一縷の望みをかけるのです。


※自殺対策について、報道のあり方についての提案は「自殺対策(1)◆報道が助長する事件連鎖」に書いています。


【関連記事】
教室内の力関係に迎合する教師――福岡のいじめ自殺事件に思う
いじめたこと、ありますか?
いじめにまつわる体験を話して!
自殺対策(1)◆報道が助長する事件連鎖
嫌われ役・悪役・憎まれ役こそを愛しみたい
「いじめをなくそう」というスローガンが“強すぎる”状況下は「危険」である



*参考

続きを読む "自殺対策(2)◆日本人は“安易な”引責辞任という風潮をなくすべきだ"

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「いじめをなくそう」というスローガンが“強すぎる”状況下は「危険」である

自殺中2も「いじめられてストレス」…暴行被害の生徒

2月3日18時37分配信 読売新聞

 千葉県松戸市で同級生への集団暴行をとがめられた市立中学2年の男子生徒(14)が自殺した問題で、暴行の被害者となった同級生の男子(14)は、自分の母親(37)に「(男子生徒は)まじめないい子。彼もいじめられ、ストレスになっていたのでは」と話しているという。

 男子生徒は、被害者の男子が住むマンションで飛び降り自殺しており、この母親は、倒れている生徒の姿を目の当たりにした。「生きて帰ってきて」という願いは、届かなかった。

 男子生徒は1日午後、マンションの8階通路から、飛び降りた。自宅にいたこの母親は「ドスン」という物音に気付いて外に駆け出し、敷地内に倒れているのを見つけた。母親によると、救急車を待つ間に、男子生徒が学生服の下に息子と同じ中学校のジャージーを着ているのに気付き、同校教頭の携帯電話に連絡。ジャージーに記された名前を伝えて、「まさか(集団暴行した)8人のうちの1人では」と尋ねると、「そうです」との答えが返ってきた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070203-00000105-yom-soci


 集団リンチの加害者として叱責を受けた男子生徒が、被害者である男子生徒、つまり自分が集団で暴行を加えた男子生徒のマンションから飛び降り自殺をするという事件が起きました。
 自殺を図った少年の第一発見者は、奇しくも被害者の母親でした。「どうか生きて帰ってきて」願いもむなしく――。
 自殺した少年自身も、集団リンチの加害者であると同時に、いじめの被害者でもあったといいます。


 以前に「報道が助長する事件連鎖」という記事を書きました。
 それにコメントを寄せてくださったgigababaさんとのやりとりのなかで、わたしは下記のように述べていました。(同記事のコメント欄参照)
◆「いじめをなくそう」っていうスローガンがあまりにも強すぎる状況下って、すごい危ない気がする。
親も教師も疑心暗鬼になって、お互いを監視する。また子どもたちも監視下に置かれる。
そんなの健全な教育環境とはとてもじゃないけれどいえないよね。

 これについて書こうと思いながら書いていなかったんだけれど――報道がいじめの連鎖を助長していることを問題視していて、わたしがブログに書くことも、(不本意ながらも)それとおなじことなのではないか? と思えてきたために控えていました。本質が異なると気付くことができ、いま書いています――、この事件が起きて「あぁ恐れていたことが……」と、いま筆を走らせています。


「いじめをなくそう」というスローガンが、過度に強すぎる状況下というのは、非常に危険です。
 理由は、代表的なものを挙げると3つ。


 ひとつは、学校・教師による、いじめの事実の隠蔽を加速させてしまう危険性
 いじめが発覚した場合、その事実は担任教師ひいては学校の評価に直接的に響きます。「いじめをなくそう」というスローガンが強すぎると、その影響はより大きなものとなり、それにしたがって、自身の保身に走る教師・学校が増加する恐れがあります。
 それがいじめの隠蔽を加速させる危険性はないでしょうか。

 いじめの事実を隠蔽した学校の校長が自殺をしたという事件がありましたが、これも一例だとわたしは考えています。


 また、隠蔽は教師・学校だけによるものではありません。
 当事者である子どもたちにも及びます。

 子どもたちは、教師や親に「バレないように」、より見えにくい、狡猾な手段でいじめを行うようになるでしょう。


 ふたつめは、先述のコメントにも書いたように、親や教師が疑心暗鬼になって、お互いを監視する。子どもたちは厳重な監視下に置かれる。
 このような環境が、健全な教育環境であるといえるでしょうか。

 そういった監視されるストレスが、さらに子どもたちをいじめに向かわせる要因となりえはしないでしょうか。

 子どもを持つ友人から聞いたことですが、いまはお友だちのことを「さん」づけで呼ぶように指導している小学校もあるといいます。
 ニックネーム禁止なんです。いじめの種になるからと。

 たしかに一理ありますが、しかしながら滑稽だと思いませんか。
 ニックネームは個性を表すものでもあります。それが剥奪されているというのは。


 最後に。
 今回の事件以前から、「いじめたこと、ありますか?」という記事で、お寄せいただいたコメントに、下記のように答えたり、いろいろなところで発言してきたことでもあるけれど、
◆いじめ加害者への出校停止処分などについて、加害者が元被害者である場合もたぶんにあるし、加害者集団のあいだにも力関係があって、いじめたくなくても逆らえない子とか、そういった個々の汲むべき事情が見落とされはしないかと危惧していたんですね。
 
いじめは「加害者」「被害者」と簡単に二分化してしまえるようなものではない。事実はもっと複雑で、集団の力関係というものを慎重に見ていく必要がある。

 一時期「体罰」が社会問題になって、教師はいかなる場合であっても、生徒に手をあげてはならないと、まるで指一本触れるにも神経を過敏にとがらせまくる風潮ができあがってしまったけれど、それが学級崩壊、教師の指導力不足(という言い方をされる)など、別の問題を生み出したと、わたしは考えています
(わたしは“場合によっては「指導の範囲の体罰」は必要だ”という考えです。)

 それとおなじで、「いじめをなくそう」というスローガンを、あまりにも強くしすぎると、また別の新たな問題を生み出しかねない。そう危惧しています。

 なお「報道が助長する事件連鎖」でも、下記のように書きましたが、
◆いじめを防ぐことと、自殺を防ぐこととは別問題。
 対策も異なります。これらを混同してはいけない。

 いじめは悲惨なことです。
 しかし自殺の悲惨さは(比べられるものではありませんが、あえて言うなれば)いじめを防ぐこともだけれど、まずは自殺を防ぐことのほうが先決なのではないでしょうか。

 いじめなり、親や教師からの叱責なり、強いストレスなり、なにかことが起きたときに、そこに安易に「自殺」という文字が、選択肢としてある
 これは心理学や精神医学の面から見ても非常に危険な精神構造です。

 まず、「負の出来事」→「自殺」という直結、ここを早急に断ち切らなければ。


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歯科医兄妹・遺体切断事件に見る「後継者」問題と、夢を追うことのできる「自由」

 東京都渋谷区の歯科医宅で長女の短大生の切断遺体が見つかった事件で、次兄の予備校生、武藤勇貴容疑者=死体損壊容疑で逮捕=が「歯科医になるのは人のまねだ、と言われ怒りが爆発した」と供述していることが新たにわかりました。すでに公表されてはいますが、被害者の実名を伏せるのはわたしの信念です)

 被害者と加害者のあいだになにがあったのか、事実を知るのは加害者しかいないわけで、ここでは供述の真偽は置いておくとして……。


 この供述を聞いて、ふと思い起こしたことがあります。

 USEN代表取締役社長、宇野康秀さんが、以前にインタビューでおっしゃっていたことです。
 宇野社長は、ご経歴を見ればわかるとおり、USEN創業者の次男。
 といっても、大学卒業後にそのままストレートにあとを継いだのではなく、リクルートコスモス(現コスモスイニシア)に1年在籍したのち、25歳でインテリジェンス(人材派遣業)を興し、代表取締役に就任、といった経歴をたどっています。

 そんな宇野社長。自らの子ども時代を振り返ってこう語っていらっしゃいます。
*****************************
 大阪有線がどんな仕事なのかをはっきり認識したのは、たぶん小学校1年生か2年生くらいですかね。母親と一緒に“有線放送大賞”に行って、それで「あぁ、有線ってこういうことやってるんだぁ」って思ったのを覚えています。

* * *

 まぁ、例え中学生でも子供ながらに親の後を継ぐのか継がないのかとか、そんなことは意識しはじめますよね。
 親が会社をやっていて、自分は次男で、自分はどうするんだろうということは考えていました。
 ただ自分は二代目の経営者として後を継ぐとか、そういう選択をしたくないっていうのが強かったものですから。じゃあ自分で独立して自分で事業家にならなきゃいけないな、と思ったんでしょうね。

* * *

 親はどうなれとかそういうのは一切言いませんでしたね。
 ただ周りが子供に対して言うじゃないですか。「大きくなったら、お父さんの会社に入って一緒に頑張んなきゃね」とか「いずれは社長よね」みたいな(笑)。
 そんなことを言われるのがすごい嫌で。それに対する反骨心みたいなものが強かったのかもしれないです。
*****************************

 これを聞いたときに、「あ、わかる」と思ったんです(おこがましくも、、、)

 なにがわかるのかというと、わたしの父も経営者なんです。父の兄弟で会社を興していて。
 で、ウチは二人姉弟で、わたしが長女、5歳下の弟が長男なんですね。

 わたしは、まえ別のブログでも書いているけれど、
「この父の娘として生まれていなかったら、わたしはいまの生き方を選んでいなかっただろう」と思っています。
 いまの生き方というのは、フリーランスとして独立したのち、会社を興こす、経営するという生き方
 世でいうところの「雇われない生き方」というやつだろうけれど、これに対してはわたしは「独立も起業も単なる手段であって目的ではない」という考え方なので、抵抗があるというか一言二言あるわけですが、まぁそれは別の機会に……ということで。

 ただ、その目的を果たすための手段として、「独立・起業」という選択肢が、おそらくまわりのひとたちよりも、すんなりと、割と自然なこととして自分のなかにあったようには思っているんですね。

 わたしも子どものころ、父の仕事場に連れて行ってもらうことがあったし、建設業という仕事柄、父の手がけた仕事、その結果を「建設物」という目に見えるかたちで見ることもできて。
 親にそんな意識はなかっただろうけれど、こうして幼いころに父の働く姿、仕事を見せてもらえたのは、わたしという人間の職業意識を成長させるのに、大きく貢献(笑)してくれたと思います。


 ウチも宇野社長のところとおなじく、親はあとを継げとか継ぐなとか、そういったことを云々言うひとではありませんでした。
 ただ、これまた宇野社長とおなじく、まわりの大人たちは「大きくなったらお父さんの会社で云々」「次期○長云々」みたいなことを言ってくるわけですよね、わたしにも弟にも。友だちにも言われてたし、子どもだからね(笑)

 それがいやで宇野社長は「反骨の精神があった」「そのまま親のあとを継ぐという選択をしたくなかった」と語っています。
 また「次男の自分はどうするんだろう」という思いが漠然とあったとも。

 このあたりがキーなんだけれども、わたしも「親の七光り呼ばわりはされたくない!」って中学生ごろに漠然と思っていたし、「父には絶対に勝てない」という偉大な父への畏怖にも似た念があったから、「父とは違う土俵で勝負する」って思いが強くなっていったんですね。
(結果、その土俵が、本を書くこと、出版することになるわけだけれども)


 あとね、正直な話、「自分は女の子だからな」ってあきらめにも似た思いがあったんです。
 建設業だし、父の会社に仮に入らせてもらうことがあったとしても、女性である自分にやれることには限界があるのでは? と。
 だから、もしあとをつぐということがあるのならば、候補者はわたしではなく、男の子である弟だと。自分のなかで、勝手に結論づけた。

 そのあきらめの気持ちが、実は、とってもラッキーなことだったんですよ。

「あきらめ」という“仮面”を借りて、わたしは「自由」を手にした。


 後継者候補から自分を勝手にはずす「自由」。
 自分の好きなことを見つけて。
 自分のやりたいことを見つけて。
 夢に向かってまい進する「自由」。


 ここで、冒頭の歯科医師宅の兄妹の殺害・遺体損壊事件に戻って考えてみましょう。

(女の子である)妹=被害者には、その自由があった自由を手にした(おそらく「自分の力で手にしたのだ」という自負が強くあったのでは?)。
 家業の後継者候補から自分をはずす自由。自分の好きなことを見つける自由。やりたいことを見つける自由。夢に向かってまい進する自由。

 一方、加害者となった次男。宇野社長も「次男の自分はどうするんだろう」と漠然と中学生のころに思ったというけれど、次男という立場は、やはり後継云々という問題においては「自分はどうなるんだろう、どうすればいいのだろう」といった迷いや葛藤に、すくなからず駆られざるをえない立場にあると思うのです。
 実際にこの加害者の兄である長男は、順調に歯科医=あとを継ぐ方向に向かっていたのだし、なおさらでしょう。(次男は母方の歯科を継ごうとしていたとか)


 親が口にしなくても、子どもって、「後継ぎ」ということについて、自ら幼いころから、なんとなくではあるけれど、子どもなりに考えているものなんですよね。

 被害者は、たまたまそこから自由になれただけ。女の子に生まれたという、偶発的なラッキーもあったけれど、彼女自身の力でもある。彼女自身が好きなことを見つけて、それにまい進した。ラッキー・彼女の力、いずれもそれだけではない。

 一方、加害者は、迷いのなかからも、そこを目指すことに決めた。拘束されていたとまではいわないが、自分で見えない拘束縄で縛っていた・縛られていたのではないかなとは思う。

「歯科医になることが人まねだ」と被害者である妹に言われたのが事実か否かは定かではありませんが、すくなくとも供述で加害者がそう述べたということは、仮に言われていなかったとしても、そう思われているようにかんじていたなど、とにかく、その言葉が、彼にとっての触れられたくない「NGワード」であったということはうかがえるでしょう。

「NGワード」はコンプレックスを示唆するものです。
「人まね」=親の七光り、兄のフォロアー、というようなところは、次男である加害者の一番触れられたくない部分でしょう。


 とはいえ、わたしは加害者を擁護するわけでもありません。
 この事件はさまざまな観点から考察でき、社会的な意味があるものです。
 そのひとつの観点として、後継者とそこから自由になることという点から考えてみました。
 経営者の娘として。また、子をもつ経営者として。


この文は、一般的に女の子よりも男の子のほう、こと長男が家を継いでいく、という現代日本の風潮に倣って書いただけです。わたし個人は、男系後継をよしとは決して思っているわけではありません)

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働く幸せ(1) 菊地成孔さんインタビュー「好きなことを仕事にするということ」

 

 最近よく反芻する言葉があります。
 かつて仕事でインタビューをさせていただいた、ジャズミュージシャン・菊地成孔さんのお言葉です。ニート問題などにも積極的に発言されてきた方です。

 若手ビジネスパーソンへ向けて「好きなことを仕事にするということとは?」をテーマにお話いただきました。

 以下、その原稿を掲載します。
・雑誌『COBS』――いい仕事といい人生を楽しみたいと願う20代のアッパークラスビジネスマンのための情報誌(毎日コミュニケーションズ)に寄稿させていただきました
※原稿は2005年10月時点のものです


**********************<以下、原稿>***

 音楽家、著述家、音楽講師という三つの顔をもつ菊地成孔。

 ジャズサックス奏者としての活動を中心に、DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDENなど複数のプロジェクトでの活動に加えて、UA、カヒミ・カリィなどさまざまなアーティストの作品にも参加。自身のソロアルバムとしては「南米のエリザベステイラー」が最新作。
 また「ペンギン音楽大学」を主宰するほか、アテネ・フランセ経営の「映画美学校・音楽美学講座」の理論科主任講師を務める。
 また文筆家としても活動。近著に「CDは株券ではない」(ぴあ刊)。

 その一方で、現代社会に内包されているニート問題についてなどにも、メディアを通して、積極的に発言。

 音楽家、著述家、音楽講師――三つの顔に共通するのは、すべて菊地が「好きでやっている仕事」であるということ。そんな菊地に好きなことを仕事にするとはどういうことなのか、若手ビジネスパーソンへ向けて語ってもらった。

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はじめて音楽に触れ
そして仕事にするまで

 菊地の音楽の原点は、当初からジャズに……と思いきや、実はクラシックにあったという。小学校6年生から高校生までファゴットを演奏。
 しかし、高校生のときにジャズに傾倒していく。
 そして手にした楽器がサックス。いまの菊地を語る上で、大きなファクターとなる楽器との出合いだ。

 やがて音楽学校在籍中に「フィフツ・ディメンション」というプロミュージシャングループのサックスパートの欠員募集に応募。
 そして、1984年に横須賀米軍ベースの「フィフツ・ディメンション」公演で、遂にサックス奏者としてプロ・デビュー。菊地、21歳のときのことだった。

 そのときの菊地の日当は1万5000円。時は80年代、バブル期の最中にあった当時にして、それは決して高い収入源とは言いにくいものだった。

 しかし、それでも「はじめて、音楽という好きなことで、お金をもらえた」という事実は、菊地にとって、何ものにも代えがたいものだった。「音楽=自分の仕事」という自覚は、自然、菊地に音楽のプロフェッショナルとしての意識を芽生えさせる。

 当時はアイドルが1枚シングルを出せば、全国ツアーをやっていた時代。そのバックバンドなどの仕事が舞い込む。やがてソングライトやプロデュースなどに携わる一方、山下洋輔グループやグラウンド・ゼロ、ティポグラフィカなどに参加。89年以降、多数のヨーロッパ公演を経験。現在はDATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDENとSPANK HAPPYなどのバンドを主宰する傍ら、UA、カヒミ・カリィなどの作品にも参加している。



いまの仕事を好きになる
逆転の発想術!

「仕事中毒」と称されるほど、精力的な活動を展開する菊地。しかし、彼自身は「自分=仕事中毒」という図式にいまいちピンとこないという。

 なぜなら、客観的事実をもって「仕事」と呼ばれることでも、彼のなかでは、それは好きでやっていること、好きですごしている時間であるため、主観的には「仕事」という感覚ではないのだという。

 そればかりか、なかには
「“仕事”であっても、自分にとっては“休息”“安らぎ”であることすらあるんだよね」

 誰もが一度は憧れを抱きながらも、多くの人々が現実に打ちのめされてあきらめていく「好きなことを仕事にすること」。菊地は、それを手にした最たる例。だからこそ「仕事」という感覚が希薄で、そこに安らぎすら見出すことができる。だが、それと同時に――
「地獄でもありますよね、好きなことを仕事にするというのは……」とこぼす。

 実は菊地自身、成功しすぎるあまり、不安神経症になってしまったことがあるという。次々と目標をクリアしていくばかりに、ついには目指すべき目標がなくなってしまい、心が病に侵されてしまったというのだ。
「地獄のような苦しみだった。死にたいんじゃなくて、自殺してしまうかもしれないという恐怖で眠れなかった。楽をして成功したら、それなりのツケは、必ずまわってくるってことだね。これが好きなことをして成功した人が背負わざるをえない大きなリスクだよね」

 好きなことを仕事にすることに成功したひとつのモデルとして、菊地の成功までの道程を掲げるとすれば、一億人のなかから選ばれた天分に恵まれた人間だと言っても過言ではないだろう。そういった一握りの人しか手にすることができない可能性に恵まれ、才能を発揮した結果ゆえの成功だと言える。しかし、そこには菊地が自身の不安神経症の経験を例示するように、その恵まれた天分ゆえの苦しみやリスクがあるのも事実。

 また成功のもうひとつのモデルとして、努力や我慢をしながら、必死に頑張りに頑張って、その末に、やっと好きな仕事を手に入れたという人もいるだろう。実はこちらの方がより現実的な成功法であるにもかかわらず、ライブドアの堀江貴文氏や楽天の三木谷浩史氏など、日本社会のビジネスにおける成功者たちが世のなかに躍り出るにつけ、そういった成功の背景にある、コツコツと積み重ねてきた努力や我慢、失敗しては這い上がってきたなどといった苦労などに焦点が当てられず、一般のビジネスパーソンからは見えにくくなってきているのも事実だ。

 いま、あなたは好きなことを仕事にしているだろうか?
 答えはおそらく「NO」、もしくは自分でも曖昧模糊としている人が大多数だろう。

 そんなあなたたちへ菊地は、こう提言する――
「“好きなことを仕事にしよう”とするから、苦しみや地獄がそこに存在するわけで、そうではなく、“仕事にしたことを好きになる”という方法もあるのではないか?」

 仕事をしていく上で、どんな局面であれ、必ず達成感や喜びを感じられるところはあるはずだ。
「そういった発想の転換をした方が、どんな人にとっても、仕事への充足感や幸福感へと繋がりやすいのではないかと思いますね」


社会人としての可能性や
使命感を活かそう!

 菊地が仕事をする上で社会に対して譲れないものとは?
「何かを発信していかなければという、ある種の使命感ですよね」
 COBS読者のように、意識の高いビジネスパーソンならば、仕事にこういった強い使命感を抱いている人も多いだろう。

 また菊地は自らのこれまでを振り返り、こう話す。
「やりたい仕事で稼ぎはじめたころとバブルが崩壊したのがちょうどおなじ時期で。バブルのときは、本当にいい加減で好き放題やって、それでも仕事が入ってくる。そんなときが一生続くわけなんかないよね。気付いたら、収入は半分以上に激減していたけど、やりがいは10倍くらいになっていたんだ」

 これは、お金がかならずしも仕事のやりがいと直結するわけではないという菊地の仕事観を表していると言えるだろう。そして不景気下での仕事にやりがいを強く感じていたという姿は、現代のビジネスパーソンの姿そのものとリンクし、そこにある可能性を示唆する。

 ひところの日本社会では「リセット願望」が流行った。「リセットすれば、自分が変わる。すべてがうまくいく」という幻想に基づいた願望だ。転職願望なども、そのひとつと言えよう。そういった若い層の姿をもって、菊地はこう語る。

「彼らにとっては、人生=博打なんでしょうね。もちろん、そういった側面も必要なんだけれど、コツコツ積み重ねていくことも絶対に必要」 そして、菊地の目に映るそんな若年層の姿に警鐘を鳴らす。
「最近は博打的な成功を望む若い連中が多すぎる。それってかなりリスキーなことだよ。だって博打だけで人生うまくいくわけなんかないじゃない」
 と強調する。

 菊地の仕事観と生き様は、われわれに「好きなことを仕事にすること」の本質――成功と表裏一体をなすものとして苦しみや痛みが存在することを明示。そして、いまの仕事を好きになることの大切さや、より現実的な07bimgp1179成功法、若手ビジネスパーソンに秘められた可能性を見せてくれる。

Interview&Words:(C)Mari Okawauchi,Sougeisha,
**********************

写真は菊地さんに「いいですね♪」と褒められたリング&チョーカー。いつもお世話いただいているブランド、MICATEさんのDesign&Create。ありがとうです~!*^^*07bimgp1181_1(撮影環境がよろしくなく、写真では魅力を存分に表現しきれていませんね、、涙)







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◆菊地成孔official web site PELISSE
◇菊地成孔プロフィール
新作
CD & DVD
著書
作品(著書・CD・DVD)

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原みつ子さん、クリスマスコンサート――その歌声に、素直に、泣いた。

 歌声は、わたしのココロのピュアな部分――弱いところも、強いところも――にそっと触れ、やさしくなでてくれる。

 その歌声に
 素直に、泣いた。

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 元宝塚女優のお友だち、原みつ子さんのクリスマスコンサートに行きました。
 宝塚歌劇団・宙組で「すがた香」として約10年間に渡り活躍。
 宝塚を卒業後、現在は女優・歌手として、ますます躍進中の方です。

 歌を聴いて、こんなに自然に涙することがあるんだな、って。
 一曲目から涙が止まらなくて。

 なぜだろう。
 なぜこの歌声は、こんなにやさしくて。
 なぜこの歌声は、こんなにあたたかくて。
 なぜこの歌声は、こんなにしなやかで。
 なぜこの歌声は、こんなに美しくて。

 なぜ、この歌声は、こんなにココロに響いてくるんだろう。


――女優“原みつ子”さんとの出会い。
 それは、一本のインタビューでした。
 彼女の半生と生き方をインタビューさせていただくことになったのです。
 宝塚を卒業して3年のころだったでしょうか。

 夢中になって話を聴く(訊く)自分がいました。
「出会えてよかった」
 この出会いに心から感謝し、
「これはいいインタビューになる」
 そう直感するまでに、5分とかかりませんでした。

 物書きとして。
 編集者として。
 出版人として。
 表現者として。
 女性として。
 娘として。
 母として。
 人間として。

 そんな出会い、そんな時間でした。

 * + *

 インタビューというのは、
 インタビュー対象者が主役で
 インタビュアーが演出の
 舞台のようなものだと思っています。

 仕上がった原稿には、
 読者へ“伝えるべきを伝えるための”
 主役の姿があるようにと。

「こんなにすばらしいひとがいるんだよ!」って。
「ひとりでも多くのひとに知ってほしい!」って。
 だから、そのひとの魅力を最大限に引き出せるように。そのお手伝いをさせていただけるように。
 そのためには、技術だけでは絶対に不足で、さまざまな修練が必要だと考えています。


 つまるところ、インタビューというのは、
 インタビュー対象者とインタビュアーが
 いっしょにつくりあげるもの。
 両者の相互作用によって生み出されるもの。
 描き出されるもの。表現。心象。心象風景。
 そんなふうに、わたしは考えているんですね。

 そして文字になり、世に送り出すことができたら、そこに読者ひとりひとりが加わる。
 読者の心の琴線に響けば、そこでまた新たな心象風景が描き出される。


 そんなわたしがインタビューのお仕事をさせていただいていて(まだまだ経験の浅いひよっこですが)、ふと「あ、これはいいインタビューになるな」とかんじる瞬間があります。

 お互いの感性が共鳴しあう瞬間なんじゃないかなって思っています。(おこがましいです)

 原みつ子さんとの出会いのきっかけとなったインタビューのときにも、1時間弱の時間ではありましたが、そんな瞬間がたしかにあったのです。(ホントおこがましいです、、、)
(もちろん、1時間弱のインタビューで彼女のすべてを描ききれたみたいなことを思っているわけもなく、まだまだ語りつくせぬものをいっぱいいっぱい秘めた方です)

 また実際に「いい原稿が書けた」と自負しています。


「人を書きたい」――この仕事をはじめたころ、よく言っていたように思います。
出版社勤務時代、雑誌「編集会議」の「転職成功物語」のインタビューを受けたときにも(→記事「転職成功物語―24歳当時の大川内麻里をインタビューしていただいた記事です(雑誌「編集会議」&書籍「出版界就職ガイド」掲載))、そんなようなことを言っていました、、インタビューを受けている最中に「インタビューをやりたい」と熱く語る25歳(だったかな??)のわたし^^;(笑)
あれって「出版界就職ガイド」にも掲載されているんでしたっけ……^^;;


 人を通して自分を書きたかったのかも知れない。
 今日、コンサートを観ていて、そんなことが思い浮かびました。

 * + *

 原みつ子さん。
 また、彼女を、書きたい。

 

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原みつ子さんのファーストミニアルバム
ココロのままに

とびっきり輝いている彼女のココロに触れてみてください。

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Bimgp1034


本日のまりをさん:このスーツのライン、かなり気に入ってます。襟とウェスト、、ってこの写真あまりわからない?^^; スーツが大好きなわたしですが、これがイチバン気に入っているかもだな。4年くらいまえの
EMPORIOです。Bimgp1021

 すごくいい涙、でした。わたし自身にとって。
 すごくいい涙をいただきました。

 今日はサイコーのクリスマスプレゼントをいただきました!
 あと勝手に誕生日プレゼントをいただいた気になってます!(笑)

Bimgp1047


 最前列で一曲目からちり紙(ティッシュではなく「ちり紙」、「ちりし」と呼んでください(笑)。ハンカチ忘れちゃったんだよ^^;)をぐしゃぐしゃにしているわたしは、さぞや恐ろしい画だったことでしょう、、、が!

 みつ子さん、本当に本当にありがとうございました!!

【関連記事】
素敵なお祝いをいただきました♪ ~原みつ子さん(女優/シンガー/ソングライター)大川内、独立&復帰元年です!
転職成功物語―24歳当時の大川内麻里をインタビューしていただいた記事です(雑誌「編集会議」&書籍「出版界就職ガイド」掲載)

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自殺対策(1)◆報道が助長する事件連鎖

 いじめ自殺の連鎖。
 連日の報道が引き金になっているのではないかという批判も多くあります。

 いま、なにが危険かというと「いじめ+自殺」がセットになっていることです。
 これはいじめに遭っている子どもたちに「自分の置かれている状況は、自ら命を絶っても仕方のない状況なのだ」というメッセージ性をもって受け止められてしまうのです。

 1980年代のオーストリアでは、自殺が相次いでいたそうです。開通したばかりの地下鉄へ飛び込むという方法で。
 連日、自殺の話題は報道され、それによって拡大していることが明らかでした。

 それに対し、精神科医らがメディアに向けて、報道の仕方のガイドラインを提案。主に以下のような内容でした。
・自殺手段を報道しない
・遺書、自殺の動機を報道しない
・自殺者を英雄視するような表現を避ける など
 いまでは、オーストリアの自殺者数は当時の約60%にまで減っているそうです。(もちろん、そのことだけが影響しているわけではなく、ほかにも要因はあるでしょうが)

 なにか事件が起きたときに、それが連鎖していくという現象はよく見られることです。犯罪だってそう。模倣犯、愉快犯というのもいますが、今回のいじめ自殺の連鎖と似たメカニズムで連鎖しているものもあると、わたしは考えています。

 たとえば、下関駅、池袋サンシャイン通りなどの通り魔殺人事件。
 犯罪者の生い立ちや事件背景が語られるにつれ、「自分のような人間は、こんなことをしでかしても仕方のない人間なんだ」と。

 また犯罪者や自殺者は、その予備軍にとって、「事を成し遂げたヒーロー」のような存在となってしまいうるのです。

 とはいえ、もちろん、報道することの意味は、こういった負の側面だけではありません。そのことは忘れないでほしいと思います。

ちなみにちなむと……
※いじめを防ぐことと、自殺を防ぐこととは別問題。
 対策も異なります。これらを混同してはいけない。

※いじめによる殺人があったことも知ってください!
山形県明倫中学校マット死事件

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教室内の力関係に迎合する教師――福岡のいじめ自殺事件に思う
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いじめにまつわる体験を話して!

「いじめをなくすには子どもたちにどのように教えていけばよいのか」
 いまそんなふうに悩んでいる親や教師は多いことだろう。

 わたしは思う。
「いじめを“なくそう”と“教える”」姿勢では良策は出てこないのではないかと。

 まず大人たちにはよく思い出してほしい。
 自分自身、いじめにまつわる実体験はなかったか。
 子どものころ(否、大人になってからですら)、ひとをいじめたことはなかったか。いじめられたことはなかったか。周囲にいじめが起きていたことはなかったか。
 そのときの自分の心境。行動。
 そして、そのことを振り返って、いまどう思うか。

 それを子どもたちに語ってほしい。“教える”のではない。
 リアルな実体験から出た言葉、話というのは、どんな道徳思想や抽象論にも勝って、子どもたちの心に響くはずである。

 どんな立場にせよ、いじめに一切関わらずに生きてきたひとというのは皆無といっても過言ではないのではないか。であれば、その体験を語ってあげること、そこから自らが学んだことを子どもたちに伝えることのできる大人はとても多いはずだ。

 またそれほどにいじめは子ども社会はもとより、大人社会にも存在するもの。
 だから「いじめを“なくそう”」と考えるというよりも、「いじめは厳然としてあるものだ」という前提に立ち、かといって「なくすことはできない」という無力感を抱くのではなく、防止策を考えていく。そのほうが、より現実的だろう。

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いじめたこと、ありますか?

 いじめ問題について、筆を執るまえに、まずこのことを述べておかなければならない。

 わたしにはいじめた経験といじめられた経験、その両方がある。
 ここでは、あえて「いじめた経験」、つまりは加害者としての体験を告白したい。

 自分がいじめの対象となったとき。
 自分がいじめられていると認めるのが悔しくて、自分が嫌われていると認めるのが苦痛で、わたしは「いじめをいじめと思わず」抗った。

 一方、自分がひとをいじめたとき。
 いじめの手法の参考とされるのを防ぐため、具体的な内容は書くことを避けるが、わたしは自分の犯してしまっている過ちに対して、まったくもって無自覚だった。「これはいじめだ」ということに気付いていなかったのである。

 では、いつ「いじめている自分」に気付くことができたのか。

 その子が、いよいよ学校に来られなくなってしまってから、だった。その状況にまで追い詰めてしまい、わたしたちの行っていたいじめが、被害者の子のご両親と担任の先生の知るところとなって、先生に呼び出されてはじめて、だったのだ。
 否、先生に呼び出されたときでさえも信じられなかった。自分で自分のしたことが。いや、自分のした行為はわかっている。けれども、それによって、その子を学校に来られなくなるまで追い詰めてしまったということが信じられずにいた。「いじめ」という感覚がまるで欠落していたのである。
 小学校の中学年であったが、未熟さゆえに、いじめという自覚がなかった。自覚がないがゆえの悪質さがあったと、いま思う。

 そして、自分がいじめてしまった、という事実に大きなショックを受けていた。
 もちろん、いじめられていた子の受けた苦痛の比ではない。比べようもない。
 しかし、わたしにとって「自分が(その意識はなかったとはいえ、結果として)いじめてしまっていた」という事実は精神的なダメージとなっていた。

 これまで、自分がいじめられたこと(「いじめと思っていないいじめ」)についてであったり、なにをされてどう反撃したかとか、弟がいじめに遭ったときに割って入ったこととかは、割とひとに話してきたように思う。

 だけど、いじめたことについては、話したことはあるが、そう積極的には口にしてこなかったように思う。

 なぜか。それは、とても恥ずべきことだからだ。恥ずかしい自分、ふたをしてしまいたい自分、許せない自分。汚い自分。ひとさまに晒したくない自分。

 そんな自分をいまここに告白しました。意味なく行ったことではありません。

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大川内麻里>またすこしずつお話お付き合いくださいませね^^

 長らくご無沙汰してしまいました。療養中@博多の大川内です。
久々のブログなので、心なしかどきどきしております^^;

 郷里にて長期療養中のわたしですが、病気(パニック障害・鬱病・パニック性鬱病・PTSD・突発型の難治性アトピーなど)の状態から、パソコンを立ち上げるのも、ままならずにおりました。

 そのあいだ、みなさまには、ご心配をおかけいたしまして、申し訳ございませんでした。
 そして、わたしの不在中にも、ブログを覗いてくださったり、あたたかい書き込みやメールをくださったりと、本当にありがとうございました。

 おかげさまで、すこしずつ感情や意欲も取り戻しはじめ、また心身の声に耳を傾けることができるようになりました。
 自分に負荷のかからない範囲で、無理せず、ひとつひとつ、楽しめること、やりたいことを、できるときに、やっていっている次第です。

 かつては、この無理のない範囲が見えていなかったんですよね~^^;
 いまでは無理だなってところがわかって、事前に警報がなるんです。それでヤメ、と。
 それだけでも、わたしにしては随分な進歩かな……。

 そういった次第で、だんだんパソコンを触れるようになってきて、ネットをやりたいな、ブログやりたいなって気持ちもわいてきて……帰ってきちゃいました(笑)

 ただ、やはりまだまだ不完全な状態とあって、心身に無理のない範囲で調整していくこととなりますので、出没頻度やコメントの早さなどなど、忘れたころに的なことも多々あるやもしれませんが^^;、どうか、みなさま、すこしずつ、一歩一歩で、またよろしくお話お付き合いいただければ幸いです^^

#すでにいただいておりますコメントへのお返事は、追ってさせていただきますね。

#これまでに
大川内宛にメールをくださって、お返事をさせていただいていない方。
 お手数ですが、メールをご再送いただけませんでしょうか?
 大事なお話やご相談のメールもあったものを、わたしの手違いで、一部紛失してしまっております。まことに申し訳ございません。
 いただいたメールには、
遅くなっても、かならずご返信させていただくようにいたしておりますので、「あれ? 大川内にメールをしたけれど返信ないぞ??」「メールのやり取りをしていたのに途絶えているぞ??」という方は、お手間を頂戴いたしまして恐れ入りますが、その旨のご連絡、メールのご再送をお願いできればと存じます。

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新聞やテレビでは報道されない真実<社会復帰NPO施設で男性死亡 「しごかないと治らぬ」/アイ・メンタルスクール事件>

 全国に衝撃を与えた事件なので、ほとんどの方が、すでにご存知でしょう。
 名古屋市の社会復帰施設と自称していたNPO法人「アイ・メンタルスクール」に入寮していた男性の逮捕監禁致死事件。(わたしも、即、このブログで取り上げようとしていたのですが、健康上の理由により、なかなか手付かずの状況でした)

 実は、本事件の取材を、弊社の者(わたしのパートナー)の友人である新聞社社会部の報道記者が担当しています。
 その足で追って、その目で見て、その耳で聞いてきた記者でこそ知りえた、貴重なお話をうかがうことができました。(もちろん、守秘義務に反さない範囲でですよー)

 ですので、全国紙やテレビでは取り上げられなかった続報、より詳細な生の情報を含めて、お伝えしたいと思います。

 この事件を風化させないためにも。この事件を、より多くのひとたちに考察してもらうことで、日本社会が学ぶべきこと、認識すべきことを、広く散布するためにも。

 なによりも、この社会の歪みによって、奪われてしまった彼の貴い命を無にしないためにも。

 まずは、本件の第一報から。

社会復帰NPO施設で男性死亡 「しごかないと治らぬ」

2006年 5月 3日 (水) 09:33

 名古屋市のNPO法人「アイ・メンタルスクール」に入寮していた男性(26)が、手足に多くの傷を負って死亡した事件が波紋を広げている。同スクールは、引きこもりや家庭内暴力などで行き場のない人たちの社会復帰を促すことが目的だが、退寮者が相次いでいる。愛知県警は、男性が入寮当初から手錠や鎖などの拘束具で監禁状態にあったとみて、逮捕監禁致死容疑で捜査を進めている。

 男性が自室でぐったりしているのを、職員が見つけたのは4月18日午前8時ごろ。職員らが車で病院に運んだが、午前9時10分に心肺停止が確認された。

 施設側の説明によると、男性は家庭内暴力などで、同月14日に入寮したが、暴れることがあったことから、手錠や鎖で拘束していた。前夜にも暴れたため、職員が抑えたという。

 

同スクールは、愛知県内で親族と学習塾を経営していた杉浦昌子代表理事(49)が91年に立ち上げた。名古屋市東区に本部事務所を置き、同市北区に寮を開設している。事件当時の入寮者数は10~40代の男女約70人だったが、50人程度まで減っているという。

 

ホームページによると、寮は1カ月13万円。社会にうまく適応できない人たちを主に預かり、更生させるとしている。関係者の話では、寮では自炊生活をしており、人によってはアルバイトをしている。「働かざる者は食うべからず」と、仕事を紹介して自ら生活費を稼ぐよう指導しているという。

 杉浦代表によると、入寮者は、家庭内暴力をふるったことがある人が少なくないという。

 市民団体の会合に4年前に招かれた杉浦代表は「鉄工所で働いたり、チラシ配りをしたりして、社会復帰をした人もいる。引きこもりは甘え、怠けの結果。しごいてやらないと治らない」などと話したという。

 一方、こうした手法に対し、「深夜までアルバイトをさせられた」といった苦情も、入寮経験者や親から出ていた。

 東京のNPO法人青少年自立援助センターの推計ではこうした施設は全国に100カ所ほど。18歳以上は児童福祉法に基づく保護制度は適用されない。家庭内暴力などで親にとっては「手に負えない」成人を受け入れる公的な制度はなく、民間施設以外には行き場がないのが現状だ。
出典:asahi.com

 このように、「働かざる者は食うべからず」「引きこもりは甘え、怠けの結果。しごいてやらないと治らない」という持論に基づき、杉浦昌子容疑者ならびに「アイ・メンタルスクール」は運営されていました。

 ひきこもりには、ひきこもるだけの理由があるはずです。それも個々の理由が。
 なかには、甘えた人間もいたかも知れませんが、基本的に、杉浦昌子容疑者の論ずるところは、大きな誤りであると、わたしは断言します。

 そんな“ひきこもりにならざるをえなかった”ひとたちの、個々の背景を見ようともせず、画一的で時代錯誤な暴論に基づいておいて、なにが『社会復帰NPO施設』だと。笑わせるなと。(一見すると、先般、反省の色のまるでないままに釈放されてきた戸塚ヨットスクールを髣髴とさせられるようだが、その本質は、まったくもって異なるものです。)

 以下、続報の連載です。
 ぜひとも、リンク先をクリックしてご覧ください。写真や図版もあります。
写真の無断転載は著作権侵害に値するのと、図版は作成して掲載したいところですが、あいにく、現在、実家でロースペックなマシンしか持ち帰っていないという理由で。全文引用をしたいところですが、あいにく、それも著作権侵害に値しますので、以下、記事に私見を交えた要約にてお書きいたします。)

 取材にあたった記者によれば、当然ながら、職員は口を開きたがらない。そこで、朝、バイト先へ自転車で向かう入寮生を、話しかけながら、走って追いかけたといいます。
 しかし、入寮生とのコミュニケーションは困難なものだった。毎朝4キロ走り続けて、都合30人くらいにあたって、話ができたのは、わずか3人だったとのこと。(あらためて、本件は、物言えぬ弱者への暴行であったと、わたしはかんじた。)
 それでも、施設や家族らの抱える悲惨な実体が浮き彫りになったという……。

【自立支援の迷路-アイ・メンタル事件】(上)
入寮先は「カギ部屋」

2006年05月09日

【自立支援の迷路-アイ・メンタル事件】(中)
「居場所ない」すがる親子

2006年05月10日

【自立支援の迷路-アイ・メンタル事件】(下)
長引く「困難」受け皿なく

2006年05月11日

<記事要約+私見>
“彼”が死に至るまで
 2006年4月14日。ひきこもり自立支援施設を名乗る「アイ・メンタルスクール」に、両手を縛られた男性(26)が、職員に抱きかかえられて連れ込まれる。彼こそが、後に、この残虐な事件により、命を失った犠牲者となる男性だった。

 彼は、上半身裸、内出血で身体中が紫色になってしまっている状態。手首からひじにかけて、無数の傷。出血、出血、出血……。
 職員らが包帯を巻こうとするも、男性は痛みに耐えかね、身体を激しく動かす。それに対し、頭と足を持ったり、馬乗りになったりして押さえつける職員たち。
 苦痛に暴れる男性を押さえつけることを、入寮者も手伝わされた。心中に、自分もおなじように「『拉致』されてきた」彼への思いを秘めたまま。 

同スクール代表理事の杉浦昌子容疑者は、冷たくこう言い放つ。

「こういうことはみんなが経験した方がいい」

 その『拉致』されてきた男性は、やがて、腹に鎖を巻かれて、1階の柱にくくりつけられた。眠るときでさえ、鎖は巻かれたまま。トイレにも行かせてもらえない。おむつのなかに用を足す。

 食事には、ほとんど手をつけず、ただひたすら「鎖を外してくれ」と訴え続けていた。
 その叫びは、施設内にむなしく響く。だれの耳にも、否、だれの心にも、彼のその心の叫びは届かない。だれもたすけてくれない。

 入寮者たちは、どんな気持ちであったろうか。

 4日後の18日朝。男性はぐったりとし病院に運ばれたが、間もなく亡くなった。

 杉浦容疑者は、こう嘯いていた――「男性は、自傷行為があったほか、寮でもずっと暴れていた。食事は十分に与えたが、毒が入っていると言って吐き出された」

 真相を知っているのは、果たして――。

「アイ・メンタルスクール」での生活とは?
 男性がいた1階にある2部屋を、杉浦容疑者らは「大部屋」と称していたという。

 県警によれば、事件当時の入寮者64人のうち男性21人、女性8人の計29人が、ここで寝起きしていた。

「集団生活を通してコミュニケーションの楽しさを学び、ひきこもりから脱する一歩を体得させる」――そんなふれこみだった。

 しかし、入寮者との認識には、大きな溝があった。

 杉浦容疑者らが「大部屋」と称するそこは、入寮者らにとっては「カギ部屋」。
 一日中施錠された2枚のドアで、他の部屋から隔てられ、外出が禁止されていたからだ。

「各自で自炊する」と、公称していた食事。その実体はというと、入寮者は米を炊くだけ。おかずはサンマやサバなどの缶詰か、ハンバーグやカレーといったレトルト食品を1食に1品与えられるのみだったという。

 2、3階は個室。個室の入寮者には、外出が認可され、ほとんどがアルバイトをしていた。

 寮生がアルバイトで得た給料は、職員が管理。そのうち、週に2000円~5000円程度だけが、当人のものとして与えられる。

 カギ部屋で暮らす入寮者は、杉浦容疑者の主観と独断で、生活態度を評価。すると、飲食店などのアルバイト先が紹介される。辞めずに続ければ、個室へ移ることができるということを餌にしていたのだ。

 入寮者は、原則として1階から生活をはじめる。親の依頼を受け、本人の意思に反して、カギ部屋に強引に連れ込まれるひともいる。
 死亡した彼もそうだった。

杉浦昌子容疑者の人物像とは?
 驚くべきことに、杉浦昌子容疑者は「熱血カウンセラー」「行動派カウンセラー」として知られた存在だった。今年2月には、子どもたちのさまざまな問題をとりあげた民放の討論番組にも出演している。

 若いころは、姉とともに、愛知県内で補習学習塾を経営。その塾で、不登校などの相談を受けるようになり、カウンセリングを始めたという。

 91年、アイ・メンタルスクールを設立。20代の職員を補助者に使いながら、ひきこもりや不登校に悩む本人や、親の相談に応じてきたという。長年の経験をもとに、カウンセリングした事例は2000件を超すという。

 杉浦代表はこれまで、本人が入寮に強い抵抗を示しても、家から強引に連れ出す手法をとってきた。

「私はときに屈強なひとの助けを借りて家から寮、または病院に連れ出す方法もとる」と著書で述べ、自らあえて『拉致』と表現している。

 こうした手法について、自著では、家庭内暴力など深刻な事態になっている場合、「『本人がその気になるまで待ちましょう』と、悠長なことは言えるわけがない」と正当な手段であることを強調。

 また、同書では「精神科医や評論家からすれば、誠に無手勝流の蛮行に思える指導の仕方も、なかにはあるだろう」とも語っている。

ひきこもりや家庭内暴力に悩む家族の行き場は?
 アイ・メンタルスクールの寮にはいまも40人近くが暮らしている。
 県警によると、被害者の男性が死亡し、捜査が始まると、家族に引き取られるなどして20数人が退寮。しかし、5月8日現在、なお40人弱が、施設内に残されているのだ。

 県警は、入寮者の家族と連絡をとるも、引き取りに応じない家族もいた。いったん退寮したものの、「施設に戻れ」と追い返されたひともいるという。

 ひきこもりや家庭内暴力を振るうひとで、18歳以上となると、受け入れる公的施設はなく、他の民間施設に移るのも容易ではないのが現状だ。

 しかし、年齢や体格、身体的な力の差を考えても、圧倒的に、子どもの方が強いのは自明。

 殴る。ける。家具を壊す。『親殺し』『一家心中』――そんな新聞記事を見るたびに怯える親たちも多いだろう。「次はうちかも知れない」

ひきこもりや家庭内暴力に悩む家族の現在の実情
 ひきこもりの子を持つ親の会のひとつ、愛知県江南市の「なでしこの会」代表の伊藤進さん(70)。大学の研究者らでつくる「ひきこもり家族調査委員会」のアンケートに目を通す。

 回答を寄せた約600世帯のうち、ひきこもりをしているひとの半数が30歳以上。ひきこもり期間が、10年以上にわたるひとも4割近い。ひきこもりは、年齢が高くなり、長期化するほど立ち直る道は狭まってしまうもの。

 厚生労働省の推計では、ひきこもりを抱える世帯は02年度に、全国で41万世帯。
 親の会の間には、総数160万人とする推計もある。
 しかし、これらは、あくまでも推計である。

 子どものうちは、児童福祉法の保護対象となるが、18歳以上の『大人』に行政がさしのべる手だてはないに等しい。

 また、厚生労働省精神・障害保健課は、支援施設の実態を把握していない。

 ひきこもりは、医療や福祉の谷間に置き去りにされてきたのだ。

 したがって、ひきこもりや家庭内暴力に悩む親たちには、実質的な行き場がないのが現状だ。

 保健所、行政機関、親の会など、どこに相談しても、具体的な対策は教えてもらえない。病院の精神科に行くと投薬されるだけ。

 前出の「ひきこもり家族調査委員会」のアンケートの報告書によれば、親の3割は医師やカウンセラー、公的機関に相談したことがなかった。「費用がかかる」「どこに相談すればいいのかわからない」
 相談を思い立っても、受け皿は十分ではないのだ。

 国立精神・神経センターの研究者らは、00~02年度に各地の行政関係の窓口を調べた。
 「ひきこもりを支援するうえでどれだけ困難感があるか」との問いに、全国の保健所の約7割が「かなり困難」と答えた。「困難なく対応できる」としたのは1%ほどしかない。

 よって、こういった家庭には、アイ・メンタルスクールのような民間の施設に頼るほか、道は残されていないに等しいのだ。

「自立支援に教科書はない」
 東京都福生市で三つの寮を運営するNPO法人「青少年自立援助センター」の理事長、工藤定次さん(55)は、知人らと全国の入所型施設を調べ、生活ぶりなどを紹介する本を03年に出した。

 インターネットなどで当時把握できたのは79施設。「今は100カ所程度はあるだろう」と推測する。それぞれが、それぞれのやり方で入所者と接していた。

 約30年の経験がある工藤定次さんも、手探りしながら多くの人たちと向き合ってきた。「自立支援に教科書はない」からだ。

「なかで何をやっているのかわからない現状では、いつかどこかでこういう事件が起きると思っていた」

 それだけに、工藤定次さんは力をこめて言う。

 「情報を共有できるような風通しのいい環境をつくり、互いの経験をやりとりしていきたい」

子どもと正面から向き合わず、安易に民間施設を頼る親
 なかには、こんな親もいる。
 不登校気味の中学生息子を、民間施設入寮させたいという。施設の職員が結論を急がないよう勧めると、母親は言った。
「子どもが学校に行っていないのでは、世間体が悪くて私が困る」

 自分の手に負えなくなると、他の道を考えず、「面倒見のいい」施設に飛びつく。
逃げているのだ。子どもと正面から向き合うことから。そこに大きな落とし穴があること、ことの本質があることに気付くこともなく。

 愛知県の市民団体「子どもの権利を考える会」の共同代表、永野千津さん(49)も、別の親から同様の相談を受け、安易な入寮に反対した。

 テレビやインターネットで、成功例ばかり紹介される『ひきこもりビジネス』に危機感を感じる。「親の弱みにつけ込むやり方だ」と手厳しい。

 親が正面から、自分と向き合ってくれること。体当たりでもいいから、逃げないこと。

 それこそを、ひきこもりのひとたちや家庭内暴力を振るうひとたちは求めているのではないか。
 それに早期に気付くべきは、親自身なのではないか。(しかし、気付いたときには、時、すでに遅しであることが多い……。)

 わたしは、そう考える。

家庭という密室、施設という密室の狭間で
 フリースクールのガイド本を発行する田口教育研究所(東京)の所長、田口正敏さん(51)は、杉浦容疑者について、複雑な心中を告白する。

 今回の犯罪行為を認めるわけではない。だが、別の思いもぬぐえない。

「亡くなった男性にしても、もし彼女が入寮を断ったら、一体誰が面倒をみたのか」

●精神科医・学者らの話
▽適切な知識なく受け入れ
「社会的ひきこもり」の著者で精神科医の斎藤環さんの話》 事件は、引きこもりに関する適切な知識やまっとうな方法論を持たないまま、力量以上に対応困難な人を受け入れようとした結果だ。引きこもりの社会復帰に必要なことは、最初の一歩として本人の自発性を待つことだ。だが、この施設は、強制的な介入で本人の自尊心を破壊し、そのうえで若者の「怠け心」を治療しようという発想をしていた。こうした間違った考えは、一般に根強く残っているのが現状だ。

▽親の不安背景 ビジネス化
《愛知県立大学の長谷川俊雄助教授(家族相談援助論)の話》 社会制度が貧困で、民間施設が代替的に親の不安を解消している。児童福祉法の対象は18歳未満で、それより上の年齢に公的な保護施設はない。家庭内暴力で危険を感じたら親は逃げるのが基本だが、ホテルを転々とするには経済力がいるし、安く逃げ込める避難所も十分にない。そういった中で、子どもを閉じこめるビジネスが成立している。こうした施設を容認する社会や制度とは何かを問い直す必要がある。

==========================

「物事には、原因と結果がある。
なのに、ひとは、なぜか原因ではなく、結果の方をなんとかしようとする。
ここにきているひとたちは、みんな、その家族の代表として、家族に潜む病理の代表としてきているんだ。
そして、その結果となるのは、常に、子どもなど、その家族のなかで一番弱い立場の人間だ」

 なぜだろう。
 12年まえ。16歳のわたしが、神経症・不安神経症と病名を付けられ、入院していた精神病院にいた、壮年の男性の言葉が思い起こされた。
 彼は、自身に躁病という病名が付けられていることを知らなかった。

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大川内 麻里の“人生がより心豊かになる”コトバ 1日1文
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#001 「心豊かに生きるための1日1文」の趣旨・自己紹介

※この記事はブログ「大川内 麻里の“人生がより心豊かになる”コトバ 1日1文」から移行しました。
http://blog03.okawauchimari.net/

 
 はじめまして! 大川内 麻里(おおかわうち まり)と申します。

 わたしは、『著者 / 編集者』という仕事柄もあって、膨大な量の読み物をします。

 ビジネス書や自己啓発書から、ノンフィクション、文藝や詩、心理学などの専門書、エンターテイメント系。
 それから、男女とも読めるもの、男性向けのもの、女性向けのもの。
 また、対象年齢もさまざまなものを読みます。
 媒体も、書籍から雑誌、ムック、インターネット上のものなど、多岐にわたります。

 このブログでは、そんな読み物たちのなかから、
“あなたの人生が、より心豊かなものになる”コトバ
 を紹介し、
+わたしのちょっとしたコラムを綴っていきます。

 コトバは、読み物からの引用を基本としますが、たとえば、だれかのふと口にしたコトバでも、“あなたの人生が、より心豊かなものになる”コトバであれば、ご紹介していきたいと思います。

 そんなブログですが、1日1文、あなたの毎日に、“ちょっとした豊かさ”をプラスできるようなコトバたちを、お届けできればと思っています。すこしでも、あなたの心に響くコ