自殺中2も「いじめられてストレス」…暴行被害の生徒
2月3日18時37分配信 読売新聞
千葉県松戸市で同級生への集団暴行をとがめられた市立中学2年の男子生徒(14)が自殺した問題で、暴行の被害者となった同級生の男子(14)は、自分の母親(37)に「(男子生徒は)まじめないい子。彼もいじめられ、ストレスになっていたのでは」と話しているという。
男子生徒は、被害者の男子が住むマンションで飛び降り自殺しており、この母親は、倒れている生徒の姿を目の当たりにした。「生きて帰ってきて」という願いは、届かなかった。
男子生徒は1日午後、マンションの8階通路から、飛び降りた。自宅にいたこの母親は「ドスン」という物音に気付いて外に駆け出し、敷地内に倒れているのを見つけた。母親によると、救急車を待つ間に、男子生徒が学生服の下に息子と同じ中学校のジャージーを着ているのに気付き、同校教頭の携帯電話に連絡。ジャージーに記された名前を伝えて、「まさか(集団暴行した)8人のうちの1人では」と尋ねると、「そうです」との答えが返ってきた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070203-00000105-yom-soci
集団リンチの加害者として叱責を受けた男子生徒が、被害者である男子生徒、つまり自分が集団で暴行を加えた男子生徒のマンションから飛び降り自殺をするという事件が起きました。
自殺を図った少年の第一発見者は、奇しくも被害者の母親でした。「どうか生きて帰ってきて」願いもむなしく――。
自殺した少年自身も、集団リンチの加害者であると同時に、いじめの被害者でもあったといいます。
以前に「報道が助長する事件連鎖」という記事を書きました。
それにコメントを寄せてくださったgigababaさんとのやりとりのなかで、わたしは下記のように述べていました。(同記事のコメント欄参照)
◆「いじめをなくそう」っていうスローガンがあまりにも強すぎる状況下って、すごい危ない気がする。
親も教師も疑心暗鬼になって、お互いを監視する。また子どもたちも監視下に置かれる。
そんなの健全な教育環境とはとてもじゃないけれどいえないよね。
これについて書こうと思いながら書いていなかったんだけれど――報道がいじめの連鎖を助長していることを問題視していて、わたしがブログに書くことも、(不本意ながらも)それとおなじことなのではないか? と思えてきたために控えていました。本質が異なると気付くことができ、いま書いています――、この事件が起きて「あぁ恐れていたことが……」と、いま筆を走らせています。
「いじめをなくそう」というスローガンが、過度に強すぎる状況下というのは、非常に危険です。
理由は、代表的なものを挙げると3つ。
ひとつは、学校・教師による、いじめの事実の隠蔽を加速させてしまう危険性。
いじめが発覚した場合、その事実は担任教師ひいては学校の評価に直接的に響きます。「いじめをなくそう」というスローガンが強すぎると、その影響はより大きなものとなり、それにしたがって、自身の保身に走る教師・学校が増加する恐れがあります。
それがいじめの隠蔽を加速させる危険性はないでしょうか。
いじめの事実を隠蔽した学校の校長が自殺をしたという事件がありましたが、これも一例だとわたしは考えています。
また、隠蔽は教師・学校だけによるものではありません。
当事者である子どもたちにも及びます。
子どもたちは、教師や親に「バレないように」、より見えにくい、狡猾な手段でいじめを行うようになるでしょう。
ふたつめは、先述のコメントにも書いたように、親や教師が疑心暗鬼になって、お互いを監視する。子どもたちは厳重な監視下に置かれる。
このような環境が、健全な教育環境であるといえるでしょうか。
そういった監視されるストレスが、さらに子どもたちをいじめに向かわせる要因となりえはしないでしょうか。
子どもを持つ友人から聞いたことですが、いまはお友だちのことを「さん」づけで呼ぶように指導している小学校もあるといいます。
ニックネーム禁止なんです。いじめの種になるからと。
たしかに一理ありますが、しかしながら滑稽だと思いませんか。
ニックネームは個性を表すものでもあります。それが剥奪されているというのは。
最後に。
今回の事件以前から、「いじめたこと、ありますか?」という記事で、お寄せいただいたコメントに、下記のように答えたり、いろいろなところで発言してきたことでもあるけれど、
◆いじめ加害者への出校停止処分などについて、加害者が元被害者である場合もたぶんにあるし、加害者集団のあいだにも力関係があって、いじめたくなくても逆らえない子とか、そういった個々の汲むべき事情が見落とされはしないかと危惧していたんですね。
いじめは「加害者」「被害者」と簡単に二分化してしまえるようなものではない。事実はもっと複雑で、集団の力関係というものを慎重に見ていく必要がある。
一時期「体罰」が社会問題になって、教師はいかなる場合であっても、生徒に手をあげてはならないと、まるで指一本触れるにも神経を過敏にとがらせまくる風潮ができあがってしまったけれど、それが学級崩壊、教師の指導力不足(という言い方をされる)など、別の問題を生み出したと、わたしは考えています。
(わたしは“場合によっては「指導の範囲の体罰」は必要だ”という考えです。)
それとおなじで、「いじめをなくそう」というスローガンを、あまりにも強くしすぎると、また別の新たな問題を生み出しかねない。そう危惧しています。
なお「報道が助長する事件連鎖」でも、下記のように書きましたが、
◆いじめを防ぐことと、自殺を防ぐこととは別問題。
対策も異なります。これらを混同してはいけない。
いじめは悲惨なことです。
しかし自殺の悲惨さは(比べられるものではありませんが、あえて言うなれば)いじめを防ぐこともだけれど、まずは自殺を防ぐことのほうが先決なのではないでしょうか。
いじめなり、親や教師からの叱責なり、強いストレスなり、なにかことが起きたときに、そこに安易に「自殺」という文字が、選択肢としてある。
これは心理学や精神医学の面から見ても非常に危険な精神構造です。
まず、「負の出来事」→「自殺」という直結、ここを早急に断ち切らなければ。
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「報道が助長する事件連鎖」
「嫌われ役・悪役・憎まれ役こそを愛しみたい」
「自殺対策(1)◆報道が助長する事件連鎖」
「自殺対策(2)◆日本人は“安易な”引責辞任という風潮をなくすべきだ」
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