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2007年2月の7件の記事

世論はこうして作られてゆく―「赤ちゃんポスト」という“通称”の罪。ないがしろにされる「こうのとりのゆりかご」の本質論

「赤ちゃんポスト」というのは、あくまでも報道機関が呼称しているだけであって、正式名称は「こうのとりのゆりかご」です。

 この「赤ちゃんポスト」という通称が与えるイメージだけが先行してしまい、「赤ちゃんを物として扱うなんて」と、事の本質には遠く及ばないところで、論議や国民感情が沸騰してしまっているようですが、本質はそこにはありません。

 各報道機関は、いまからでも「こうのとりのゆりかご、いわゆる赤ちゃんポスト」とでも呼称を正すべきです。

「なまえ」の与えるイメージは非常に大きいです。
 ネーミングがウケて爆発的にヒットした商品などが多数あることからも、その影響力の大きさをはかることができるでしょう。

 報道機関が、今回の件のような大事な事柄について、ふさわしくない呼称を使ってしまったら。
 その影響は甚大です。

 物事の本質をも隠蔽し、本来あるべきところとはかけ離れたところで、不用意に世論をあおってしまうことすらあるのです。

 議論されるべきところで議論が展開されず、違うところで世論に火がつき燃え上がってしまう。
 そんなふうにして「つくられた」世論というのは、非常に危険です。

 なお、「こうのとりのゆりかご」に関するわたしの見解は、別のブログの記事「「赤ちゃんポスト」という“通称”に踊らされないでください。事の本質が見えなくなってしまう危険性があります。」に述べました。

【関連記事】
「赤ちゃんポスト」という“通称”に踊らされないでください。事の本質が見えなくなってしまう危険性があります。
「こうのとりのゆりかご(俗称:赤ちゃんポスト)」に預けられた子のその後を考える(1)~養子縁組と里親制度

* 大川内 麻里のサイト OkawauhiMari.net
http://www.okawauchimari.net/

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企業買収ビジネスをめぐる経済エンターテイメント・土曜ドラマ「ハゲタカ」がすごい!―企業とは? 人間とは? 正義とは?

 人生の悲劇はふたつしかない。
 ひとつは金のない悲劇。

 そして、もうひとつは金のある悲劇。

 そんなセンセーショナルな一言からはじまった、ドラマ「ハゲタカ」
 オープニングから吸い込まれるようで、1時間、画面にくぎづけになってしまいました。


 バブル崩壊後の日本。
 外資ファンドで辣腕をふるうファンド・マネージャー鷲津(大森南朋さん)が帰国する。
 この外資ファンドのビジネスモデルは、破綻に瀕した企業を買収したり、不良債権をまとめ買いしたりという手法で、ファンドを運用していくというもの。冷徹な合理主義で莫大な利益を手中に収める彼らはこう呼ばれる――「ハゲタカ」。

 さながら、バブル崩壊後、光の見えない日本にふわりと降り立ったかのような「ハゲタカ」鷲津は、まずある銀行の抱える膨大な不良債権をまとめ買いする。

 その銀行とは、実は鷲津が5年まえまで勤めていた銀行だった。そう、鷲津はかつて自分が勤めていた銀行の債権を買い叩いたのである。

 いま企業再生を目指す銀行マンとして、鷲津と対峙する芝野(柴田恭兵さん)は、遠い記憶をたぐりよせる。

 5年まえに、支店の上司であった芝野から命ぜられたとおり、町工場への融資を断り、自責の念にひとり涙する青年、鷲津。
 そして、その貸し渋りが原因で自殺した経営者。
 葬儀で「人殺し!」と遺族になじられ、土下座する鷲津。

 しかし、鷲津はもうあのころの鷲津ではなかった。
 老舗旅館の債権を手に入れた鷲津は、経営者の懇願をはねつけて売り飛ばす。
 「二代目経営者として、じいちゃんほどの手腕はおまえにはねぇんだよ!」と息子(松田龍平さん)にもなじられた経営者。失意のまま、息子宛に「おまえの言うとおりだったのかもな」と一言留守電を残し、ふらふらとした足取りでトラックに突っ込み、命を絶つ。

 「おまえは変わったな」とつぶやく芝野に、鷲津はこう言い放った。
「私を変えたのは、あなたです」

 そんな鷲津を執拗に取材する経済記者、由香(栗山千明さん)。
 彼女はほかでもない、5年まえに銀行の貸し渋りによって自殺した町工場の経営者の娘。
 そう、彼に「人殺し!」と叫んだ娘だった。


 栗山千明さん、松田龍平さん、柴田恭兵さん、大森南朋さん、中尾彬さん、みなさんの迫真の演技に圧倒され、現実(リアル)よりリアルなのではないかとすらかんじさせられました。

 ぐさりと胸に刺さる印象的な台詞もあって、経済ドラマとしてはもちろん、人間の本質を問う、「人間ドラマ」としても、非常に完成度の高いものだと感服です。

 経営者のかた、企業人のかた、さまざまなビジネスパーソンの方々にぜひ見ていただきたいです。おすすめです。
 人間とはなにか、ということを見る者に鋭く訴えかけてくる秀作だと思います。


 原作は“緻密な取材をもとに虚実の隙間を抉る、経済小説の新鋭”と名高い、真山仁先生「ハゲタカ」「バイアウト」(ダイヤモンド社)。
「救命病棟24時」「ビッグマネー」「離婚弁護士」「医龍」など、数々のヒット作を生んだ林宏司さんが脚本に。
 音楽は「GOOD LUCK!!」「海猿」、そして先日日本アカデミー賞最優秀音楽賞を受賞した「ALWAYS 三丁目の夕日」の佐藤直紀さん。

 出演者、制作者ともに豪華な顔ぶれ!!

 ドラマ「ハゲタカ」毎週土曜21:00~(全6回)NHK
 次回も楽しみです!!
 ドラマとはまた一味違う、原作もチェキ!!


※参考
・ドラマ「ハゲタカ」公式サイト
http://www.nhk.or.jp/hagetaka/
・「ハゲタカ」ディレクターの「渋谷で働くドラマディレクターの日記」
http://www.nhk.or.jp/hagetaka-blog/
・原作の真山仁先生の公式サイト
http://www.mayamajin.jp/
・原作の書籍「ハゲタカ」の情報は
http://www.diamond.co.jp/


* 大川内 麻里のサイト OkawauhiMari.net
http://www.okawauchimari.net/

▼このブログの執筆者である私、創藝舎の大川内 麻里はこんな本を書いています。

* 大川内 麻里のサイト OkawauhiMari.net
http://www.okawauchimari.net/

* 大川内 麻里が取締役を務める 創藝舎
http://www.sougeisha.com/

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WEB2.0考(1)ネット上で表出する攻撃性―自殺しようとした女性を救助した警察官死亡

 なんとか命だけはと切に祈っていました。本当に残念なことです。

 もうひとつ、残念なことがあります。

 この事件で、宮本巡査部長を巻き込んだかたちとなってしまった、自殺をしようとした女性。
 彼女への批判が、非常に多いこと。
 実際、この事件を取り上げたブログや日記などで、辛らつな言葉を多く目にしました。

 たしかに、尊いひとりの警察官の命が奪われる原因となる行動をとった女性を批判し、厳しい言葉を投げかけたくなるのも人の情でしょう。

 しかし、それは宮本巡査部長の遺志に添うものでしょうか?
 彼は、そんな人々の声を聞いて喜ぶでしょうか?

 宮本巡査部長は、わたしたちに、命の貴さ、生きる尊厳、職務とは、など、大切なことを教えてくれました。
 彼の遺してくれたものを、彼にとって不本意なかたちとはならないように、大事に受け継いでいきたい。そう思います。

 宮本邦彦巡査部長。心よりご冥福をお祈り申し上げます。


救助の巡査部長死亡=東京都板橋区の東武線事故
2月12日16時0分配信 時事通信
 東京都板橋区の東武東上線ときわ台駅で、線路に侵入した女性を助けようとした警視庁板橋署の宮本邦彦巡査部長(53)が電車にはねられた事故で、重体だった宮本さんが12日午後2時25分、治療を受けていた同区内の病院で死亡した。 
最終更新:2月12日17時30分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070212-00000044-jij-soci

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転職成功物語―24歳当時の大川内麻里をインタビューしていただいた記事です(雑誌「編集会議」&書籍「出版界就職ガイド」掲載)

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 2002年の夏だから、いまからかれこれ5年ほどまえ。
 当時、わたしは24歳
 リクルートグループの制作会社・リクルートコンピュータパブリシング(現リクルートメディアコミュニケーションズ)「ケイコとマナブ」などスクール情報誌制作ディレクターから、宝島社編集者として転職して間もないころでした。

 そんなころ、「転職編集者に訊く! 転職成功物語」という企画で、雑誌「編集会議」からインタビューを受けて掲載されました。(さらに「出版界就職ガイド」にも載りました)

 久々に、その記事を懐かしく読みました。
 あおくさいところもあるけれど、それも含めて、こうしてたまに自分の軌跡を振り返ることって大事だなって思います。

 これから出版業界を目指す方々や転職を考えていらっしゃる方へ、お役に立てる部分がすこしでもあればと掲載させていただくことにしました。

情報は2002年当時のものです。

***************************************

繰り返し長く読まれる
本を作りたい
制作とは違う編集の面白さ


株式会社宝島社 大川内麻里さん

0702b_027_1  短大を卒業後、リクルートコンピュータパブリシング(現リクルートメディアコミュニケーションズ)に、『ケイコとマナブ』『仕事の教室』などスクール情報誌の制作ディレクターとして一年ほど勤めていました。仕事の内容はモノクロのコマで広告が並ぶような誌面なのですが、その広告のディレクション――デザイン、DTP制作、コピーライティングなど――です。会社そのものが出版業界とし広告業界の中間のような位置づけにあったのですが、やはりDTPなどの技術的なことを身につけたかったというのと、お客さんが持っているコンセプトをどうやって形にしていくのかといった、広告的なビジュアル面を学びたかったんです。

 そのときの面接では、矢野経済研究所でのアルバイト経験や、学生時代に専攻していた心理学をどう仕事に結びつけるのかを考えてアピールしました。例えば、『ケイコとマナブ』は二十代の働く女性向けの本だし、『仕事の教室』は三十代、四十代の男性向けとターゲットが分かれています。同じスクールさんでも、両誌で男性向け、女性向けと、見せ方に違いをつけていかなければならない。

 そこで、女性は男性よりも口コミ情報などに弱く、男性は女性よりも理詰めの説明に心が動かされるなど、心理学が応用できるんです。そういう面では、実際に仕事の上でも役立ちましたね。

 でも、情報誌というのは、読み終えた後、何度も再読されるという性質のものではありませんよね。一年ほど勤めていたんですが、繰り返し読まれ、長く愛される本を作りたいという思いが強くなり、転職することにしました。0702bimgp1345

 宝島社は、パソコン関連のムックの求人で応募したんですが、パソコンに関する知識など も、幅広く身につけられると思って。宝島社は何よりも、その企画力に魅力を感じました。出版点数も多いし、様々な可能性を展開できそうな気がしたんです。

 前の社での作品を持参して、DTPの技術や編集スキルを見てもらいました。DTPは前の社に入社するまでまったく経験がなかったのですが、仕事から学んでいきましたね。作品は、お客さんの描いたラフに基づいて作ったものから、アピールしたいコンセプトなど、漠然としたイメージから作っていったものまで見てもらって。DTPの場合は口で言うよりも、作品を見てもらうのがいちばんですから。

 宝島社では、いろいろな人と出会えてコミュニケーションできるし、本当に楽しいです。編集の仕事は、自分たちひとりひとりの意見が誌面に反映されるところに、制作とは違う面白さがあります。

 今後の課題は、様々な分野での知識を広げ、企画力をつけること。将来的には取材や原稿のライティングもやりたいですね。

おおかわうちまり 心理学を専攻。リクルートコンピュータパブリシング(現リクルートメディアコミュニケーションズ)制作ディレクターを経て、2002年6月に宝島社へ入社。ムックを担当。制作から編集までを経験している。

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 NGショットも含め、写真も最近いただいたので、それも♪ 24歳のわたし……若い?!(笑)
 ていうか、インタビューショットとしてイタダケナイ写り方だな~^^; いまはインタビュー経験も積んだので(自分がするほうもね)、ぜったいにこんな写り方はしません、、身振り手振りつけたり工夫します^^;

 24歳のおおかわうちまりさん。課題はクリアしてますよ!^^
 また新たな課題へ、また次へと、挑戦は続くのであーります!

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自殺対策(2)◆日本人は“安易な”引責辞任という風潮をなくすべきだ

 辞めることで、責任をとる。
 辞めさせて、それを責任とする。
 辞めて、お詫びする。

 不祥事など負の出来事が起きたとき。
 日本人には、

責任を取るということ、お詫びを表すということ=辞める

というカタチが、あまりにも安易に浸透しすぎてはいないでしょうか
 政治の世界でも、企業においても、教育現場でも。


 わたしは、自殺対策の一環として、「“安易な”引責辞任をなくすべきだ」と考えます。
 では、なぜ、これが自殺対策なのか。


 自殺というのは、究極の「辞任」だと考えるからです。


 死んで責任を取る。死んで負の出来事を(本人にとってのみ)終わりにする(できるとかんじている)。死んでお詫びをする。

 

生きるのをやめる。自らの人生を辞する。まさに究極の「辞任」。


 自殺する場合、その理由はそれこそさまざまですが、大きく分けるとすれば、下記のふたつが考えられるでしょう。
(1)自分が負の出来事を起こしてしまった場合(例:不祥事を起こした、いじめや犯罪の加害者となったなど)
(2)自分が負の出来事に遭ってしまった場合(例:いじめや犯罪の被害に遭った、生活苦、病気を苦にしてなど)


(1)の場合、たとえ当人が自殺をしたとしても、それが解決になるわけでは決してない。

(2)どうにも逃げ場がないとかんじる閉塞感。行き場の見えない絶望感。
 もう終わりにしたい……そこで浮かぶ選択肢――死。
 つらいよね。苦しみから逃れたいんだよね。でも「死んで楽になれる」というのは「錯覚」だよ
 逃げていいんだ。逃げて、お願い。逃げることはわるいことなんかじゃない死を選ぶくらいなら逃げ道をもっともっともっともっと探してあるから、かならずあるから。


(1)にしても(2)にしても、自殺に至るまでの過程は違えど、死ぬことで白紙にしたい、リセットしてしまいたいという点で、直前の精神状態は近いのではないかとも思います。

 前回の「「いじめをなくそう」というスローガンが“強すぎる”状況下は「危険」である」という記事でも、「負の出来事」→「自殺」という直結こそが危険で、まずはそこを断ち切らなければと強調しました。

 では、その策は、と考えたとき、対策を練るには、原因を把握すること、すなわち原因の究明と多角的な分析が必要です。
 そこで、思い至ったひとつの要因が「安易な辞任」だったわけです。

 「人生を辞する=自殺」という選択肢が、安易にひとびとのなかに存在していること。
 これは、日本人の「辞めることで、“一見”物事が解決したかのように、“表面上”収める」という風習がすくなからず影響しているように、わたしには思えます。


 ただし、わたしはすべての引責辞任を否定しているわけではありません。
 辞任することが、建設的、本質的な解決策とならない場合、一見解決したかのように見せ、表面上収める、という場合を問題視しています。

「実質的な意味のある辞任」というものもあると考えていて、それは辞任することで、物事が建設的な方向に進む場合辞任そのものが解決策のひとつとなりうる、意義あるものである場合が挙げられます。

 たとえば、柳沢大臣の失言問題の場合は、厚生労働大臣として「少子化対策」にあたるにふさわしくないという道義があるため、後者にあたると考えています。
(この問題については、性に関するブログ「SEX-Therapy【セックスセラピー】 by Mari Okawauchi」で、追って取り上げます)


 安易に辞めるのではなく、続けることで解決していく根本的な解決を
 政治家にも、企業人にも、教育者にも、そういったモデルを見せてほしい


「人生を辞することではなく、人生を続けていくことで、光を見出すこともできる」
「人生を辞することではなく、人生を続けていくことこそが、事態の根本的な解決につながる」

 そういうメッセージになりうるのではないかと。一縷の望みをかけるのです。


※自殺対策について、報道のあり方についての提案は「自殺対策(1)◆報道が助長する事件連鎖」に書いています。


【関連記事】
教室内の力関係に迎合する教師――福岡のいじめ自殺事件に思う
いじめたこと、ありますか?
いじめにまつわる体験を話して!
自殺対策(1)◆報道が助長する事件連鎖
嫌われ役・悪役・憎まれ役こそを愛しみたい
「いじめをなくそう」というスローガンが“強すぎる”状況下は「危険」である



*参考

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「いじめをなくそう」というスローガンが“強すぎる”状況下は「危険」である

自殺中2も「いじめられてストレス」…暴行被害の生徒

2月3日18時37分配信 読売新聞

 千葉県松戸市で同級生への集団暴行をとがめられた市立中学2年の男子生徒(14)が自殺した問題で、暴行の被害者となった同級生の男子(14)は、自分の母親(37)に「(男子生徒は)まじめないい子。彼もいじめられ、ストレスになっていたのでは」と話しているという。

 男子生徒は、被害者の男子が住むマンションで飛び降り自殺しており、この母親は、倒れている生徒の姿を目の当たりにした。「生きて帰ってきて」という願いは、届かなかった。

 男子生徒は1日午後、マンションの8階通路から、飛び降りた。自宅にいたこの母親は「ドスン」という物音に気付いて外に駆け出し、敷地内に倒れているのを見つけた。母親によると、救急車を待つ間に、男子生徒が学生服の下に息子と同じ中学校のジャージーを着ているのに気付き、同校教頭の携帯電話に連絡。ジャージーに記された名前を伝えて、「まさか(集団暴行した)8人のうちの1人では」と尋ねると、「そうです」との答えが返ってきた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070203-00000105-yom-soci


 集団リンチの加害者として叱責を受けた男子生徒が、被害者である男子生徒、つまり自分が集団で暴行を加えた男子生徒のマンションから飛び降り自殺をするという事件が起きました。
 自殺を図った少年の第一発見者は、奇しくも被害者の母親でした。「どうか生きて帰ってきて」願いもむなしく――。
 自殺した少年自身も、集団リンチの加害者であると同時に、いじめの被害者でもあったといいます。


 以前に「報道が助長する事件連鎖」という記事を書きました。
 それにコメントを寄せてくださったgigababaさんとのやりとりのなかで、わたしは下記のように述べていました。(同記事のコメント欄参照)
◆「いじめをなくそう」っていうスローガンがあまりにも強すぎる状況下って、すごい危ない気がする。
親も教師も疑心暗鬼になって、お互いを監視する。また子どもたちも監視下に置かれる。
そんなの健全な教育環境とはとてもじゃないけれどいえないよね。

 これについて書こうと思いながら書いていなかったんだけれど――報道がいじめの連鎖を助長していることを問題視していて、わたしがブログに書くことも、(不本意ながらも)それとおなじことなのではないか? と思えてきたために控えていました。本質が異なると気付くことができ、いま書いています――、この事件が起きて「あぁ恐れていたことが……」と、いま筆を走らせています。


「いじめをなくそう」というスローガンが、過度に強すぎる状況下というのは、非常に危険です。
 理由は、代表的なものを挙げると3つ。


 ひとつは、学校・教師による、いじめの事実の隠蔽を加速させてしまう危険性
 いじめが発覚した場合、その事実は担任教師ひいては学校の評価に直接的に響きます。「いじめをなくそう」というスローガンが強すぎると、その影響はより大きなものとなり、それにしたがって、自身の保身に走る教師・学校が増加する恐れがあります。
 それがいじめの隠蔽を加速させる危険性はないでしょうか。

 いじめの事実を隠蔽した学校の校長が自殺をしたという事件がありましたが、これも一例だとわたしは考えています。


 また、隠蔽は教師・学校だけによるものではありません。
 当事者である子どもたちにも及びます。

 子どもたちは、教師や親に「バレないように」、より見えにくい、狡猾な手段でいじめを行うようになるでしょう。


 ふたつめは、先述のコメントにも書いたように、親や教師が疑心暗鬼になって、お互いを監視する。子どもたちは厳重な監視下に置かれる。
 このような環境が、健全な教育環境であるといえるでしょうか。

 そういった監視されるストレスが、さらに子どもたちをいじめに向かわせる要因となりえはしないでしょうか。

 子どもを持つ友人から聞いたことですが、いまはお友だちのことを「さん」づけで呼ぶように指導している小学校もあるといいます。
 ニックネーム禁止なんです。いじめの種になるからと。

 たしかに一理ありますが、しかしながら滑稽だと思いませんか。
 ニックネームは個性を表すものでもあります。それが剥奪されているというのは。


 最後に。
 今回の事件以前から、「いじめたこと、ありますか?」という記事で、お寄せいただいたコメントに、下記のように答えたり、いろいろなところで発言してきたことでもあるけれど、
◆いじめ加害者への出校停止処分などについて、加害者が元被害者である場合もたぶんにあるし、加害者集団のあいだにも力関係があって、いじめたくなくても逆らえない子とか、そういった個々の汲むべき事情が見落とされはしないかと危惧していたんですね。
 
いじめは「加害者」「被害者」と簡単に二分化してしまえるようなものではない。事実はもっと複雑で、集団の力関係というものを慎重に見ていく必要がある。

 一時期「体罰」が社会問題になって、教師はいかなる場合であっても、生徒に手をあげてはならないと、まるで指一本触れるにも神経を過敏にとがらせまくる風潮ができあがってしまったけれど、それが学級崩壊、教師の指導力不足(という言い方をされる)など、別の問題を生み出したと、わたしは考えています
(わたしは“場合によっては「指導の範囲の体罰」は必要だ”という考えです。)

 それとおなじで、「いじめをなくそう」というスローガンを、あまりにも強くしすぎると、また別の新たな問題を生み出しかねない。そう危惧しています。

 なお「報道が助長する事件連鎖」でも、下記のように書きましたが、
◆いじめを防ぐことと、自殺を防ぐこととは別問題。
 対策も異なります。これらを混同してはいけない。

 いじめは悲惨なことです。
 しかし自殺の悲惨さは(比べられるものではありませんが、あえて言うなれば)いじめを防ぐこともだけれど、まずは自殺を防ぐことのほうが先決なのではないでしょうか。

 いじめなり、親や教師からの叱責なり、強いストレスなり、なにかことが起きたときに、そこに安易に「自殺」という文字が、選択肢としてある
 これは心理学や精神医学の面から見ても非常に危険な精神構造です。

 まず、「負の出来事」→「自殺」という直結、ここを早急に断ち切らなければ。


【関連記事】
教室内の力関係に迎合する教師――福岡のいじめ自殺事件に思う
いじめたこと、ありますか?
いじめにまつわる体験を話して!
報道が助長する事件連鎖
嫌われ役・悪役・憎まれ役こそを愛しみたい
自殺対策(1)◆報道が助長する事件連鎖
自殺対策(2)◆日本人は“安易な”引責辞任という風潮をなくすべきだ

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求人の年齢制限を禁止。フリーターの雇用促進目指す

求人の年齢制限を禁止へ=フリーター対策で与党協議会が合意

 自民、公明両党は24日、雇用問題についての実務者協議会を開き、企業が労働者を募集・採用する際の年齢制限を禁止することで合意した。安倍政権が掲げる再チャレンジ支援策の一環として、就職氷河期に就職できなかった年長フリーターや団塊世代など中高年の就労を促進するのが狙い。

 現在の雇用対策法は企業に対し、労働者の年齢にかかわりなく均等な機会を与えることを努力義務として課しているだけ。この緩やかな規定が新卒者以外の就職の障害になっているとして、協議会の結果を受けて両党は、年齢制限撤廃の義務付けを通常国会に提出予定の同法改正案に盛り込むよう政府に調整を要請した。ただ、違反に対する罰則は設けない方向だ。

(時事通信社 - 2007年01月24日 21:10)


 就職氷河期に就職できなかった20代後半~30代のフリーターや、中高年の雇用を促進することを目的として、求人の年齢制限を禁止する方向へと向かっています。

 もちろん喜ばしいことなのですが、ただ、この問題点は、女性の雇用とおなじで、表面上の応募資格と実質的な応募資格との溝です。
 本当は男性を対象とした求人であるにもかかわらず、それが明示されないために、無駄足を踏むことになってしまった女性というのが多くいたし、いまも確実にいます。

 わたしはリクルートグループにいたのでわかるけれど、「求人と言えばココ!」の同社が扱う広告の表現などの基準は非常にシビア。
 今回の雇用対策法の改正が施行されれば、同社の求人広告から、年齢の記載は徹底的になくされるでしょう。


 男女雇用機会均等法については、女性を雇用するメリット、あるいはメリットとまでは言わずとも、すくなくともデメリットではないな、という点に、企業が気付きはじめたことで、徐々に表面上の応募資格と実質的な応募資格の溝は埋まっていったように思えます。

 たとえば、女性の雇用に積極的な企業、女性管理職率の高い企業は、企業イメージの向上に成功しています。株価にもいい影響を及ぼしているでしょう。


 20代後半~30代のフリーターや、中高年の場合、彼らを雇うメリットが企業側になくてはならない。
 低賃金の労働力。これだけでは不十分。


 わたしは常々「元フリーターの経営者」として、フリーターの意識向上を!、と声高に叫んできたし、それが企業側の意識を変えることにもつながり、ひいては企業とフリーターのあいだに好循環を生むと論じてきました。

 このあたり、これまで以上に本気で取り組みたい

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