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2007年1月の5件の記事

日経ビジネスAssocie(WEB2.0特集)に掲載されています

 わたしの愛読誌のひとつ、日経ビジネスAssocie

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 いま売りの号の「WEB2.0本当の使い方」特集にて、
弊社の著書グーグル完全活用本」が紹介されていました。

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 本書は、刊行以来、大変なご好評をいただいており、多くのメディアにも取り上げていただきました。読者のみなさまからたくさんの喜びの声を頂戴し、私どもといたしましても、とってもとってもとってもうれしい限りです! おかげさまで35万部突破しました。


 ところで、WEB2.0といえば……
実を言うと、弊社はWEB2.0の本も出してるんですよ~♪ ↓

Web20 

 グーグルやミクシィ、アマゾン、ブログなど――いまや私たちの生活に欠かせないものとなったインターネット。そのインターネットの世界が激変しています。
 本書は「WEB2.0とは幻想である」という観点から、WEB2.0を考察した一冊です。
 他にない切り口なので、WEB2.0について知ってるつもりだったよー! という方にも、十分お楽しみいただけるものと自負しております。

  • 売れない商品がなぜ収益につながるのか?
  • アマゾンの「ロングテール」とは本当に新しいウェブの姿なのか?
  • グーグルがこれほどユーザーに支持され、使われる利便性が高い理由は?
  • ミクシィとはいったい何なのか?
  • SNSとブログはどのように違うのか?

得するウェブ活用法」、ご一読くださいませ。
(タイトルで内容を言い表せていないわけですが……(ノ-;))


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 「グーグル完全活用本」の弟分(!?)として、ヤフー・ジャパン完全活用本も出しています。Yahoo!って実はこんな使い方もあるんですよーっ♪な、新しい使い方を提案してます。
 「グーグル完全活用本」には、
より見やすく大判(B5版)にした「グーグル完全活用本 セレクト集―見やすい大型判もあります。

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歯科医兄妹・遺体切断事件に見る「後継者」問題と、夢を追うことのできる「自由」

 東京都渋谷区の歯科医宅で長女の短大生の切断遺体が見つかった事件で、次兄の予備校生、武藤勇貴容疑者=死体損壊容疑で逮捕=が「歯科医になるのは人のまねだ、と言われ怒りが爆発した」と供述していることが新たにわかりました。すでに公表されてはいますが、被害者の実名を伏せるのはわたしの信念です)

 被害者と加害者のあいだになにがあったのか、事実を知るのは加害者しかいないわけで、ここでは供述の真偽は置いておくとして……。


 この供述を聞いて、ふと思い起こしたことがあります。

 USEN代表取締役社長、宇野康秀さんが、以前にインタビューでおっしゃっていたことです。
 宇野社長は、ご経歴を見ればわかるとおり、USEN創業者の次男。
 といっても、大学卒業後にそのままストレートにあとを継いだのではなく、リクルートコスモス(現コスモスイニシア)に1年在籍したのち、25歳でインテリジェンス(人材派遣業)を興し、代表取締役に就任、といった経歴をたどっています。

 そんな宇野社長。自らの子ども時代を振り返ってこう語っていらっしゃいます。
*****************************
 大阪有線がどんな仕事なのかをはっきり認識したのは、たぶん小学校1年生か2年生くらいですかね。母親と一緒に“有線放送大賞”に行って、それで「あぁ、有線ってこういうことやってるんだぁ」って思ったのを覚えています。

* * *

 まぁ、例え中学生でも子供ながらに親の後を継ぐのか継がないのかとか、そんなことは意識しはじめますよね。
 親が会社をやっていて、自分は次男で、自分はどうするんだろうということは考えていました。
 ただ自分は二代目の経営者として後を継ぐとか、そういう選択をしたくないっていうのが強かったものですから。じゃあ自分で独立して自分で事業家にならなきゃいけないな、と思ったんでしょうね。

* * *

 親はどうなれとかそういうのは一切言いませんでしたね。
 ただ周りが子供に対して言うじゃないですか。「大きくなったら、お父さんの会社に入って一緒に頑張んなきゃね」とか「いずれは社長よね」みたいな(笑)。
 そんなことを言われるのがすごい嫌で。それに対する反骨心みたいなものが強かったのかもしれないです。
*****************************

 これを聞いたときに、「あ、わかる」と思ったんです(おこがましくも、、、)

 なにがわかるのかというと、わたしの父も経営者なんです。父の兄弟で会社を興していて。
 で、ウチは二人姉弟で、わたしが長女、5歳下の弟が長男なんですね。

 わたしは、まえ別のブログでも書いているけれど、
「この父の娘として生まれていなかったら、わたしはいまの生き方を選んでいなかっただろう」と思っています。
 いまの生き方というのは、フリーランスとして独立したのち、会社を興こす、経営するという生き方
 世でいうところの「雇われない生き方」というやつだろうけれど、これに対してはわたしは「独立も起業も単なる手段であって目的ではない」という考え方なので、抵抗があるというか一言二言あるわけですが、まぁそれは別の機会に……ということで。

 ただ、その目的を果たすための手段として、「独立・起業」という選択肢が、おそらくまわりのひとたちよりも、すんなりと、割と自然なこととして自分のなかにあったようには思っているんですね。

 わたしも子どものころ、父の仕事場に連れて行ってもらうことがあったし、建設業という仕事柄、父の手がけた仕事、その結果を「建設物」という目に見えるかたちで見ることもできて。
 親にそんな意識はなかっただろうけれど、こうして幼いころに父の働く姿、仕事を見せてもらえたのは、わたしという人間の職業意識を成長させるのに、大きく貢献(笑)してくれたと思います。


 ウチも宇野社長のところとおなじく、親はあとを継げとか継ぐなとか、そういったことを云々言うひとではありませんでした。
 ただ、これまた宇野社長とおなじく、まわりの大人たちは「大きくなったらお父さんの会社で云々」「次期○長云々」みたいなことを言ってくるわけですよね、わたしにも弟にも。友だちにも言われてたし、子どもだからね(笑)

 それがいやで宇野社長は「反骨の精神があった」「そのまま親のあとを継ぐという選択をしたくなかった」と語っています。
 また「次男の自分はどうするんだろう」という思いが漠然とあったとも。

 このあたりがキーなんだけれども、わたしも「親の七光り呼ばわりはされたくない!」って中学生ごろに漠然と思っていたし、「父には絶対に勝てない」という偉大な父への畏怖にも似た念があったから、「父とは違う土俵で勝負する」って思いが強くなっていったんですね。
(結果、その土俵が、本を書くこと、出版することになるわけだけれども)


 あとね、正直な話、「自分は女の子だからな」ってあきらめにも似た思いがあったんです。
 建設業だし、父の会社に仮に入らせてもらうことがあったとしても、女性である自分にやれることには限界があるのでは? と。
 だから、もしあとをつぐということがあるのならば、候補者はわたしではなく、男の子である弟だと。自分のなかで、勝手に結論づけた。

 そのあきらめの気持ちが、実は、とってもラッキーなことだったんですよ。

「あきらめ」という“仮面”を借りて、わたしは「自由」を手にした。


 後継者候補から自分を勝手にはずす「自由」。
 自分の好きなことを見つけて。
 自分のやりたいことを見つけて。
 夢に向かってまい進する「自由」。


 ここで、冒頭の歯科医師宅の兄妹の殺害・遺体損壊事件に戻って考えてみましょう。

(女の子である)妹=被害者には、その自由があった自由を手にした(おそらく「自分の力で手にしたのだ」という自負が強くあったのでは?)。
 家業の後継者候補から自分をはずす自由。自分の好きなことを見つける自由。やりたいことを見つける自由。夢に向かってまい進する自由。

 一方、加害者となった次男。宇野社長も「次男の自分はどうするんだろう」と漠然と中学生のころに思ったというけれど、次男という立場は、やはり後継云々という問題においては「自分はどうなるんだろう、どうすればいいのだろう」といった迷いや葛藤に、すくなからず駆られざるをえない立場にあると思うのです。
 実際にこの加害者の兄である長男は、順調に歯科医=あとを継ぐ方向に向かっていたのだし、なおさらでしょう。(次男は母方の歯科を継ごうとしていたとか)


 親が口にしなくても、子どもって、「後継ぎ」ということについて、自ら幼いころから、なんとなくではあるけれど、子どもなりに考えているものなんですよね。

 被害者は、たまたまそこから自由になれただけ。女の子に生まれたという、偶発的なラッキーもあったけれど、彼女自身の力でもある。彼女自身が好きなことを見つけて、それにまい進した。ラッキー・彼女の力、いずれもそれだけではない。

 一方、加害者は、迷いのなかからも、そこを目指すことに決めた。拘束されていたとまではいわないが、自分で見えない拘束縄で縛っていた・縛られていたのではないかなとは思う。

「歯科医になることが人まねだ」と被害者である妹に言われたのが事実か否かは定かではありませんが、すくなくとも供述で加害者がそう述べたということは、仮に言われていなかったとしても、そう思われているようにかんじていたなど、とにかく、その言葉が、彼にとっての触れられたくない「NGワード」であったということはうかがえるでしょう。

「NGワード」はコンプレックスを示唆するものです。
「人まね」=親の七光り、兄のフォロアー、というようなところは、次男である加害者の一番触れられたくない部分でしょう。


 とはいえ、わたしは加害者を擁護するわけでもありません。
 この事件はさまざまな観点から考察でき、社会的な意味があるものです。
 そのひとつの観点として、後継者とそこから自由になることという点から考えてみました。
 経営者の娘として。また、子をもつ経営者として。


この文は、一般的に女の子よりも男の子のほう、こと長男が家を継いでいく、という現代日本の風潮に倣って書いただけです。わたし個人は、男系後継をよしとは決して思っているわけではありません)

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ウォークマンさる大往生(本をつくらせていただいたことあります)

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 ウォークマンのおさるさんこと初代チョロ松くん、亡くなっちゃいましたね……。

 なぜこの話題をこのブログで取り上げたかというと、実はチョロ松くんの調教師である村﨑五郎さんと師弟関係にある、村﨑太郎さんのご著書の編集をお手伝いさせていただいたことがあるんです。そのご縁で取り上げました。

ありがとう! 次郎」(ダイヤモンド社

 さるまわしの村﨑太郎さんが、二代目次郎くんと歩んだ14年間の軌跡を追ったもので、次郎さんの目線から書かれている本です。かわいい写真も満載!
 動物と人間という枠を越えた、親子関係にも似たコンビの心のふれあいを描いた笑いあり、涙ありの一冊です。
 小学校高学年から読めます。

 次郎くんの死の場面の描写では、わたしも編集しながら、村﨑さんのお話をうかがいながら、思わず目頭が熱くなってしまったほど、、、

 だから、今回のチョロ松くんの死も……なんだか……村﨑五郎さんのご心中を思うとね……。

 日本中のお茶の間に、ほんわかとした笑顔を広げさせてくれた、ウォークマンのCM。チョロ松くん。安らかにおやすみください。


 そーいえばこの本つくったのって、出版社常勤をやめて、まだいまの会社も興すまえ。フリーランスになったばかりの駆け出しの駆け出しのころだわ、、
 ここまでこれたのも、ひとえに、わたしを信頼してお任せくださったり、つらいときにご支援くださったり、支えてくださった、見守ってきてくださった、みなさまのおかげ……としみじみ。
 ご縁をいただきましたみなさまに、いつもいつも感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます!!

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働く幸せ(1) 菊地成孔さんインタビュー「好きなことを仕事にするということ」

 

 最近よく反芻する言葉があります。
 かつて仕事でインタビューをさせていただいた、ジャズミュージシャン・菊地成孔さんのお言葉です。ニート問題などにも積極的に発言されてきた方です。

 若手ビジネスパーソンへ向けて「好きなことを仕事にするということとは?」をテーマにお話いただきました。

 以下、その原稿を掲載します。
・雑誌『COBS』――いい仕事といい人生を楽しみたいと願う20代のアッパークラスビジネスマンのための情報誌(毎日コミュニケーションズ)に寄稿させていただきました
※原稿は2005年10月時点のものです


**********************<以下、原稿>***

 音楽家、著述家、音楽講師という三つの顔をもつ菊地成孔。

 ジャズサックス奏者としての活動を中心に、DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDENなど複数のプロジェクトでの活動に加えて、UA、カヒミ・カリィなどさまざまなアーティストの作品にも参加。自身のソロアルバムとしては「南米のエリザベステイラー」が最新作。
 また「ペンギン音楽大学」を主宰するほか、アテネ・フランセ経営の「映画美学校・音楽美学講座」の理論科主任講師を務める。
 また文筆家としても活動。近著に「CDは株券ではない」(ぴあ刊)。

 その一方で、現代社会に内包されているニート問題についてなどにも、メディアを通して、積極的に発言。

 音楽家、著述家、音楽講師――三つの顔に共通するのは、すべて菊地が「好きでやっている仕事」であるということ。そんな菊地に好きなことを仕事にするとはどういうことなのか、若手ビジネスパーソンへ向けて語ってもらった。

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はじめて音楽に触れ
そして仕事にするまで

 菊地の音楽の原点は、当初からジャズに……と思いきや、実はクラシックにあったという。小学校6年生から高校生までファゴットを演奏。
 しかし、高校生のときにジャズに傾倒していく。
 そして手にした楽器がサックス。いまの菊地を語る上で、大きなファクターとなる楽器との出合いだ。

 やがて音楽学校在籍中に「フィフツ・ディメンション」というプロミュージシャングループのサックスパートの欠員募集に応募。
 そして、1984年に横須賀米軍ベースの「フィフツ・ディメンション」公演で、遂にサックス奏者としてプロ・デビュー。菊地、21歳のときのことだった。

 そのときの菊地の日当は1万5000円。時は80年代、バブル期の最中にあった当時にして、それは決して高い収入源とは言いにくいものだった。

 しかし、それでも「はじめて、音楽という好きなことで、お金をもらえた」という事実は、菊地にとって、何ものにも代えがたいものだった。「音楽=自分の仕事」という自覚は、自然、菊地に音楽のプロフェッショナルとしての意識を芽生えさせる。

 当時はアイドルが1枚シングルを出せば、全国ツアーをやっていた時代。そのバックバンドなどの仕事が舞い込む。やがてソングライトやプロデュースなどに携わる一方、山下洋輔グループやグラウンド・ゼロ、ティポグラフィカなどに参加。89年以降、多数のヨーロッパ公演を経験。現在はDATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDENとSPANK HAPPYなどのバンドを主宰する傍ら、UA、カヒミ・カリィなどの作品にも参加している。



いまの仕事を好きになる
逆転の発想術!

「仕事中毒」と称されるほど、精力的な活動を展開する菊地。しかし、彼自身は「自分=仕事中毒」という図式にいまいちピンとこないという。

 なぜなら、客観的事実をもって「仕事」と呼ばれることでも、彼のなかでは、それは好きでやっていること、好きですごしている時間であるため、主観的には「仕事」という感覚ではないのだという。

 そればかりか、なかには
「“仕事”であっても、自分にとっては“休息”“安らぎ”であることすらあるんだよね」

 誰もが一度は憧れを抱きながらも、多くの人々が現実に打ちのめされてあきらめていく「好きなことを仕事にすること」。菊地は、それを手にした最たる例。だからこそ「仕事」という感覚が希薄で、そこに安らぎすら見出すことができる。だが、それと同時に――
「地獄でもありますよね、好きなことを仕事にするというのは……」とこぼす。

 実は菊地自身、成功しすぎるあまり、不安神経症になってしまったことがあるという。次々と目標をクリアしていくばかりに、ついには目指すべき目標がなくなってしまい、心が病に侵されてしまったというのだ。
「地獄のような苦しみだった。死にたいんじゃなくて、自殺してしまうかもしれないという恐怖で眠れなかった。楽をして成功したら、それなりのツケは、必ずまわってくるってことだね。これが好きなことをして成功した人が背負わざるをえない大きなリスクだよね」

 好きなことを仕事にすることに成功したひとつのモデルとして、菊地の成功までの道程を掲げるとすれば、一億人のなかから選ばれた天分に恵まれた人間だと言っても過言ではないだろう。そういった一握りの人しか手にすることができない可能性に恵まれ、才能を発揮した結果ゆえの成功だと言える。しかし、そこには菊地が自身の不安神経症の経験を例示するように、その恵まれた天分ゆえの苦しみやリスクがあるのも事実。

 また成功のもうひとつのモデルとして、努力や我慢をしながら、必死に頑張りに頑張って、その末に、やっと好きな仕事を手に入れたという人もいるだろう。実はこちらの方がより現実的な成功法であるにもかかわらず、ライブドアの堀江貴文氏や楽天の三木谷浩史氏など、日本社会のビジネスにおける成功者たちが世のなかに躍り出るにつけ、そういった成功の背景にある、コツコツと積み重ねてきた努力や我慢、失敗しては這い上がってきたなどといった苦労などに焦点が当てられず、一般のビジネスパーソンからは見えにくくなってきているのも事実だ。

 いま、あなたは好きなことを仕事にしているだろうか?
 答えはおそらく「NO」、もしくは自分でも曖昧模糊としている人が大多数だろう。

 そんなあなたたちへ菊地は、こう提言する――
「“好きなことを仕事にしよう”とするから、苦しみや地獄がそこに存在するわけで、そうではなく、“仕事にしたことを好きになる”という方法もあるのではないか?」

 仕事をしていく上で、どんな局面であれ、必ず達成感や喜びを感じられるところはあるはずだ。
「そういった発想の転換をした方が、どんな人にとっても、仕事への充足感や幸福感へと繋がりやすいのではないかと思いますね」


社会人としての可能性や
使命感を活かそう!

 菊地が仕事をする上で社会に対して譲れないものとは?
「何かを発信していかなければという、ある種の使命感ですよね」
 COBS読者のように、意識の高いビジネスパーソンならば、仕事にこういった強い使命感を抱いている人も多いだろう。

 また菊地は自らのこれまでを振り返り、こう話す。
「やりたい仕事で稼ぎはじめたころとバブルが崩壊したのがちょうどおなじ時期で。バブルのときは、本当にいい加減で好き放題やって、それでも仕事が入ってくる。そんなときが一生続くわけなんかないよね。気付いたら、収入は半分以上に激減していたけど、やりがいは10倍くらいになっていたんだ」

 これは、お金がかならずしも仕事のやりがいと直結するわけではないという菊地の仕事観を表していると言えるだろう。そして不景気下での仕事にやりがいを強く感じていたという姿は、現代のビジネスパーソンの姿そのものとリンクし、そこにある可能性を示唆する。

 ひところの日本社会では「リセット願望」が流行った。「リセットすれば、自分が変わる。すべてがうまくいく」という幻想に基づいた願望だ。転職願望なども、そのひとつと言えよう。そういった若い層の姿をもって、菊地はこう語る。

「彼らにとっては、人生=博打なんでしょうね。もちろん、そういった側面も必要なんだけれど、コツコツ積み重ねていくことも絶対に必要」 そして、菊地の目に映るそんな若年層の姿に警鐘を鳴らす。
「最近は博打的な成功を望む若い連中が多すぎる。それってかなりリスキーなことだよ。だって博打だけで人生うまくいくわけなんかないじゃない」
 と強調する。

 菊地の仕事観と生き様は、われわれに「好きなことを仕事にすること」の本質――成功と表裏一体をなすものとして苦しみや痛みが存在することを明示。そして、いまの仕事を好きになることの大切さや、より現実的な07bimgp1179成功法、若手ビジネスパーソンに秘められた可能性を見せてくれる。

Interview&Words:(C)Mari Okawauchi,Sougeisha,
**********************

写真は菊地さんに「いいですね♪」と褒められたリング&チョーカー。いつもお世話いただいているブランド、MICATEさんのDesign&Create。ありがとうです~!*^^*07bimgp1181_1(撮影環境がよろしくなく、写真では魅力を存分に表現しきれていませんね、、涙)







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◆菊地成孔official web site PELISSE
◇菊地成孔プロフィール
新作
CD & DVD
著書
作品(著書・CD・DVD)

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2007年・新春のご挨拶

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 新春のお慶びを申し上げます。

 去年もさまざまな本を執筆・編集させていただきました。
 貴い機会をくださいました方々、お力をお貸しくださいました方々、そして、ご一読くださいましたみなさま、ありがとうございました。

 また出会ってくださったみなさま、おひとりおひとりとのご縁に。
 ありがとうございます。

 今年もよろしくお願いいたします。

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