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2006年5月の3件の記事

新聞やテレビでは報道されない真実<社会復帰NPO施設で男性死亡 「しごかないと治らぬ」/アイ・メンタルスクール事件>

 全国に衝撃を与えた事件なので、ほとんどの方が、すでにご存知でしょう。
 名古屋市の社会復帰施設と自称していたNPO法人「アイ・メンタルスクール」に入寮していた男性の逮捕監禁致死事件。(わたしも、即、このブログで取り上げようとしていたのですが、健康上の理由により、なかなか手付かずの状況でした)

 実は、本事件の取材を、弊社の者(わたしのパートナー)の友人である新聞社社会部の報道記者が担当しています。
 その足で追って、その目で見て、その耳で聞いてきた記者でこそ知りえた、貴重なお話をうかがうことができました。(もちろん、守秘義務に反さない範囲でですよー)

 ですので、全国紙やテレビでは取り上げられなかった続報、より詳細な生の情報を含めて、お伝えしたいと思います。

 この事件を風化させないためにも。この事件を、より多くのひとたちに考察してもらうことで、日本社会が学ぶべきこと、認識すべきことを、広く散布するためにも。

 なによりも、この社会の歪みによって、奪われてしまった彼の貴い命を無にしないためにも。

 まずは、本件の第一報から。

社会復帰NPO施設で男性死亡 「しごかないと治らぬ」

2006年 5月 3日 (水) 09:33

 名古屋市のNPO法人「アイ・メンタルスクール」に入寮していた男性(26)が、手足に多くの傷を負って死亡した事件が波紋を広げている。同スクールは、引きこもりや家庭内暴力などで行き場のない人たちの社会復帰を促すことが目的だが、退寮者が相次いでいる。愛知県警は、男性が入寮当初から手錠や鎖などの拘束具で監禁状態にあったとみて、逮捕監禁致死容疑で捜査を進めている。

 男性が自室でぐったりしているのを、職員が見つけたのは4月18日午前8時ごろ。職員らが車で病院に運んだが、午前9時10分に心肺停止が確認された。

 施設側の説明によると、男性は家庭内暴力などで、同月14日に入寮したが、暴れることがあったことから、手錠や鎖で拘束していた。前夜にも暴れたため、職員が抑えたという。

 

同スクールは、愛知県内で親族と学習塾を経営していた杉浦昌子代表理事(49)が91年に立ち上げた。名古屋市東区に本部事務所を置き、同市北区に寮を開設している。事件当時の入寮者数は10~40代の男女約70人だったが、50人程度まで減っているという。

 

ホームページによると、寮は1カ月13万円。社会にうまく適応できない人たちを主に預かり、更生させるとしている。関係者の話では、寮では自炊生活をしており、人によってはアルバイトをしている。「働かざる者は食うべからず」と、仕事を紹介して自ら生活費を稼ぐよう指導しているという。

 杉浦代表によると、入寮者は、家庭内暴力をふるったことがある人が少なくないという。

 市民団体の会合に4年前に招かれた杉浦代表は「鉄工所で働いたり、チラシ配りをしたりして、社会復帰をした人もいる。引きこもりは甘え、怠けの結果。しごいてやらないと治らない」などと話したという。

 一方、こうした手法に対し、「深夜までアルバイトをさせられた」といった苦情も、入寮経験者や親から出ていた。

 東京のNPO法人青少年自立援助センターの推計ではこうした施設は全国に100カ所ほど。18歳以上は児童福祉法に基づく保護制度は適用されない。家庭内暴力などで親にとっては「手に負えない」成人を受け入れる公的な制度はなく、民間施設以外には行き場がないのが現状だ。
出典:asahi.com

 このように、「働かざる者は食うべからず」「引きこもりは甘え、怠けの結果。しごいてやらないと治らない」という持論に基づき、杉浦昌子容疑者ならびに「アイ・メンタルスクール」は運営されていました。

 ひきこもりには、ひきこもるだけの理由があるはずです。それも個々の理由が。
 なかには、甘えた人間もいたかも知れませんが、基本的に、杉浦昌子容疑者の論ずるところは、大きな誤りであると、わたしは断言します。

 そんな“ひきこもりにならざるをえなかった”ひとたちの、個々の背景を見ようともせず、画一的で時代錯誤な暴論に基づいておいて、なにが『社会復帰NPO施設』だと。笑わせるなと。(一見すると、先般、反省の色のまるでないままに釈放されてきた戸塚ヨットスクールを髣髴とさせられるようだが、その本質は、まったくもって異なるものです。)

 以下、続報の連載です。
 ぜひとも、リンク先をクリックしてご覧ください。写真や図版もあります。
写真の無断転載は著作権侵害に値するのと、図版は作成して掲載したいところですが、あいにく、現在、実家でロースペックなマシンしか持ち帰っていないという理由で。全文引用をしたいところですが、あいにく、それも著作権侵害に値しますので、以下、記事に私見を交えた要約にてお書きいたします。)

 取材にあたった記者によれば、当然ながら、職員は口を開きたがらない。そこで、朝、バイト先へ自転車で向かう入寮生を、話しかけながら、走って追いかけたといいます。
 しかし、入寮生とのコミュニケーションは困難なものだった。毎朝4キロ走り続けて、都合30人くらいにあたって、話ができたのは、わずか3人だったとのこと。(あらためて、本件は、物言えぬ弱者への暴行であったと、わたしはかんじた。)
 それでも、施設や家族らの抱える悲惨な実体が浮き彫りになったという……。

【自立支援の迷路-アイ・メンタル事件】(上)
入寮先は「カギ部屋」

2006年05月09日

【自立支援の迷路-アイ・メンタル事件】(中)
「居場所ない」すがる親子

2006年05月10日

【自立支援の迷路-アイ・メンタル事件】(下)
長引く「困難」受け皿なく

2006年05月11日

<記事要約+私見>
“彼”が死に至るまで
 2006年4月14日。ひきこもり自立支援施設を名乗る「アイ・メンタルスクール」に、両手を縛られた男性(26)が、職員に抱きかかえられて連れ込まれる。彼こそが、後に、この残虐な事件により、命を失った犠牲者となる男性だった。

 彼は、上半身裸、内出血で身体中が紫色になってしまっている状態。手首からひじにかけて、無数の傷。出血、出血、出血……。
 職員らが包帯を巻こうとするも、男性は痛みに耐えかね、身体を激しく動かす。それに対し、頭と足を持ったり、馬乗りになったりして押さえつける職員たち。
 苦痛に暴れる男性を押さえつけることを、入寮者も手伝わされた。心中に、自分もおなじように「『拉致』されてきた」彼への思いを秘めたまま。 

同スクール代表理事の杉浦昌子容疑者は、冷たくこう言い放つ。

「こういうことはみんなが経験した方がいい」

 その『拉致』されてきた男性は、やがて、腹に鎖を巻かれて、1階の柱にくくりつけられた。眠るときでさえ、鎖は巻かれたまま。トイレにも行かせてもらえない。おむつのなかに用を足す。

 食事には、ほとんど手をつけず、ただひたすら「鎖を外してくれ」と訴え続けていた。
 その叫びは、施設内にむなしく響く。だれの耳にも、否、だれの心にも、彼のその心の叫びは届かない。だれもたすけてくれない。

 入寮者たちは、どんな気持ちであったろうか。

 4日後の18日朝。男性はぐったりとし病院に運ばれたが、間もなく亡くなった。

 杉浦容疑者は、こう嘯いていた――「男性は、自傷行為があったほか、寮でもずっと暴れていた。食事は十分に与えたが、毒が入っていると言って吐き出された」

 真相を知っているのは、果たして――。

「アイ・メンタルスクール」での生活とは?
 男性がいた1階にある2部屋を、杉浦容疑者らは「大部屋」と称していたという。

 県警によれば、事件当時の入寮者64人のうち男性21人、女性8人の計29人が、ここで寝起きしていた。

「集団生活を通してコミュニケーションの楽しさを学び、ひきこもりから脱する一歩を体得させる」――そんなふれこみだった。

 しかし、入寮者との認識には、大きな溝があった。

 杉浦容疑者らが「大部屋」と称するそこは、入寮者らにとっては「カギ部屋」。
 一日中施錠された2枚のドアで、他の部屋から隔てられ、外出が禁止されていたからだ。

「各自で自炊する」と、公称していた食事。その実体はというと、入寮者は米を炊くだけ。おかずはサンマやサバなどの缶詰か、ハンバーグやカレーといったレトルト食品を1食に1品与えられるのみだったという。

 2、3階は個室。個室の入寮者には、外出が認可され、ほとんどがアルバイトをしていた。

 寮生がアルバイトで得た給料は、職員が管理。そのうち、週に2000円~5000円程度だけが、当人のものとして与えられる。

 カギ部屋で暮らす入寮者は、杉浦容疑者の主観と独断で、生活態度を評価。すると、飲食店などのアルバイト先が紹介される。辞めずに続ければ、個室へ移ることができるということを餌にしていたのだ。

 入寮者は、原則として1階から生活をはじめる。親の依頼を受け、本人の意思に反して、カギ部屋に強引に連れ込まれるひともいる。
 死亡した彼もそうだった。

杉浦昌子容疑者の人物像とは?
 驚くべきことに、杉浦昌子容疑者は「熱血カウンセラー」「行動派カウンセラー」として知られた存在だった。今年2月には、子どもたちのさまざまな問題をとりあげた民放の討論番組にも出演している。

 若いころは、姉とともに、愛知県内で補習学習塾を経営。その塾で、不登校などの相談を受けるようになり、カウンセリングを始めたという。

 91年、アイ・メンタルスクールを設立。20代の職員を補助者に使いながら、ひきこもりや不登校に悩む本人や、親の相談に応じてきたという。長年の経験をもとに、カウンセリングした事例は2000件を超すという。

 杉浦代表はこれまで、本人が入寮に強い抵抗を示しても、家から強引に連れ出す手法をとってきた。

「私はときに屈強なひとの助けを借りて家から寮、または病院に連れ出す方法もとる」と著書で述べ、自らあえて『拉致』と表現している。

 こうした手法について、自著では、家庭内暴力など深刻な事態になっている場合、「『本人がその気になるまで待ちましょう』と、悠長なことは言えるわけがない」と正当な手段であることを強調。

 また、同書では「精神科医や評論家からすれば、誠に無手勝流の蛮行に思える指導の仕方も、なかにはあるだろう」とも語っている。

ひきこもりや家庭内暴力に悩む家族の行き場は?
 アイ・メンタルスクールの寮にはいまも40人近くが暮らしている。
 県警によると、被害者の男性が死亡し、捜査が始まると、家族に引き取られるなどして20数人が退寮。しかし、5月8日現在、なお40人弱が、施設内に残されているのだ。

 県警は、入寮者の家族と連絡をとるも、引き取りに応じない家族もいた。いったん退寮したものの、「施設に戻れ」と追い返されたひともいるという。

 ひきこもりや家庭内暴力を振るうひとで、18歳以上となると、受け入れる公的施設はなく、他の民間施設に移るのも容易ではないのが現状だ。

 しかし、年齢や体格、身体的な力の差を考えても、圧倒的に、子どもの方が強いのは自明。

 殴る。ける。家具を壊す。『親殺し』『一家心中』――そんな新聞記事を見るたびに怯える親たちも多いだろう。「次はうちかも知れない」

ひきこもりや家庭内暴力に悩む家族の現在の実情
 ひきこもりの子を持つ親の会のひとつ、愛知県江南市の「なでしこの会」代表の伊藤進さん(70)。大学の研究者らでつくる「ひきこもり家族調査委員会」のアンケートに目を通す。

 回答を寄せた約600世帯のうち、ひきこもりをしているひとの半数が30歳以上。ひきこもり期間が、10年以上にわたるひとも4割近い。ひきこもりは、年齢が高くなり、長期化するほど立ち直る道は狭まってしまうもの。

 厚生労働省の推計では、ひきこもりを抱える世帯は02年度に、全国で41万世帯。
 親の会の間には、総数160万人とする推計もある。
 しかし、これらは、あくまでも推計である。

 子どものうちは、児童福祉法の保護対象となるが、18歳以上の『大人』に行政がさしのべる手だてはないに等しい。

 また、厚生労働省精神・障害保健課は、支援施設の実態を把握していない。

 ひきこもりは、医療や福祉の谷間に置き去りにされてきたのだ。

 したがって、ひきこもりや家庭内暴力に悩む親たちには、実質的な行き場がないのが現状だ。

 保健所、行政機関、親の会など、どこに相談しても、具体的な対策は教えてもらえない。病院の精神科に行くと投薬されるだけ。

 前出の「ひきこもり家族調査委員会」のアンケートの報告書によれば、親の3割は医師やカウンセラー、公的機関に相談したことがなかった。「費用がかかる」「どこに相談すればいいのかわからない」
 相談を思い立っても、受け皿は十分ではないのだ。

 国立精神・神経センターの研究者らは、00~02年度に各地の行政関係の窓口を調べた。
 「ひきこもりを支援するうえでどれだけ困難感があるか」との問いに、全国の保健所の約7割が「かなり困難」と答えた。「困難なく対応できる」としたのは1%ほどしかない。

 よって、こういった家庭には、アイ・メンタルスクールのような民間の施設に頼るほか、道は残されていないに等しいのだ。

「自立支援に教科書はない」
 東京都福生市で三つの寮を運営するNPO法人「青少年自立援助センター」の理事長、工藤定次さん(55)は、知人らと全国の入所型施設を調べ、生活ぶりなどを紹介する本を03年に出した。

 インターネットなどで当時把握できたのは79施設。「今は100カ所程度はあるだろう」と推測する。それぞれが、それぞれのやり方で入所者と接していた。

 約30年の経験がある工藤定次さんも、手探りしながら多くの人たちと向き合ってきた。「自立支援に教科書はない」からだ。

「なかで何をやっているのかわからない現状では、いつかどこかでこういう事件が起きると思っていた」

 それだけに、工藤定次さんは力をこめて言う。

 「情報を共有できるような風通しのいい環境をつくり、互いの経験をやりとりしていきたい」

子どもと正面から向き合わず、安易に民間施設を頼る親
 なかには、こんな親もいる。
 不登校気味の中学生息子を、民間施設入寮させたいという。施設の職員が結論を急がないよう勧めると、母親は言った。
「子どもが学校に行っていないのでは、世間体が悪くて私が困る」

 自分の手に負えなくなると、他の道を考えず、「面倒見のいい」施設に飛びつく。
逃げているのだ。子どもと正面から向き合うことから。そこに大きな落とし穴があること、ことの本質があることに気付くこともなく。

 愛知県の市民団体「子どもの権利を考える会」の共同代表、永野千津さん(49)も、別の親から同様の相談を受け、安易な入寮に反対した。

 テレビやインターネットで、成功例ばかり紹介される『ひきこもりビジネス』に危機感を感じる。「親の弱みにつけ込むやり方だ」と手厳しい。

 親が正面から、自分と向き合ってくれること。体当たりでもいいから、逃げないこと。

 それこそを、ひきこもりのひとたちや家庭内暴力を振るうひとたちは求めているのではないか。
 それに早期に気付くべきは、親自身なのではないか。(しかし、気付いたときには、時、すでに遅しであることが多い……。)

 わたしは、そう考える。

家庭という密室、施設という密室の狭間で
 フリースクールのガイド本を発行する田口教育研究所(東京)の所長、田口正敏さん(51)は、杉浦容疑者について、複雑な心中を告白する。

 今回の犯罪行為を認めるわけではない。だが、別の思いもぬぐえない。

「亡くなった男性にしても、もし彼女が入寮を断ったら、一体誰が面倒をみたのか」

●精神科医・学者らの話
▽適切な知識なく受け入れ
「社会的ひきこもり」の著者で精神科医の斎藤環さんの話》 事件は、引きこもりに関する適切な知識やまっとうな方法論を持たないまま、力量以上に対応困難な人を受け入れようとした結果だ。引きこもりの社会復帰に必要なことは、最初の一歩として本人の自発性を待つことだ。だが、この施設は、強制的な介入で本人の自尊心を破壊し、そのうえで若者の「怠け心」を治療しようという発想をしていた。こうした間違った考えは、一般に根強く残っているのが現状だ。

▽親の不安背景 ビジネス化
《愛知県立大学の長谷川俊雄助教授(家族相談援助論)の話》 社会制度が貧困で、民間施設が代替的に親の不安を解消している。児童福祉法の対象は18歳未満で、それより上の年齢に公的な保護施設はない。家庭内暴力で危険を感じたら親は逃げるのが基本だが、ホテルを転々とするには経済力がいるし、安く逃げ込める避難所も十分にない。そういった中で、子どもを閉じこめるビジネスが成立している。こうした施設を容認する社会や制度とは何かを問い直す必要がある。

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「物事には、原因と結果がある。
なのに、ひとは、なぜか原因ではなく、結果の方をなんとかしようとする。
ここにきているひとたちは、みんな、その家族の代表として、家族に潜む病理の代表としてきているんだ。
そして、その結果となるのは、常に、子どもなど、その家族のなかで一番弱い立場の人間だ」

 なぜだろう。
 12年まえ。16歳のわたしが、神経症・不安神経症と病名を付けられ、入院していた精神病院にいた、壮年の男性の言葉が思い起こされた。
 彼は、自身に躁病という病名が付けられていることを知らなかった。

こちらのブログもよろしくね♪的な、ね(笑)。テーマ別に4ブログ運営中です。

大川内 麻里の“人生がより心豊かになる”コトバ 1日1文
SEX-Therapy【セックスセラピー】 presented by Mari Okawauchi
27歳起業女子の28になったんですけど、どーしてくれる linked with mixi

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起業とは(1)――『起業家』『社長』『経営者』『会社役員』なんて“職業”はありません!

 ちっとばかり、お久しぶりになってしまいました。みなさん、お元気ですか?

 えと、実は個人的な事情がありまして……というのは、長らく患っておりますパニック障害/鬱病/パニック障害による二次性鬱病/PTSD(心的外傷後ストレス障害)の悪化、および、子どものころに多少はあったアトピー性皮膚炎、アレルギー体質ではあったものの、ほとんど完治していたのですが、急な併発(昨年の暮れから、2度も入院することになったほど、かなりのひどい状態で)により、郷里の福岡に帰省し、治療に専念しておりまして。

 で、ネット環境はないわけではないのですが、壊滅的というか、ほぼないに等しいようなものでしかなく^^;

 でも、不在中も見に来てくださっている方もいらしたようで、うれしいです! 本当に、ありがとうございます*^^*

 書きたいことは、山ほどたまっているんですけどね~……景気回復のカラクリ、フリーターの現状、ニートに関する事件もあったし、そのあたりの考察、20代後半の就職氷河期といわれた世代のフリーターからの再起問題でしょ、あと時期柄、就職・求人についての情報など、安易な起業推奨/起業ブームの罠、少子化問題・要保護児童問題(あ、これは★SEX-Therapy【セックスセラピー】 presented by Mari Okawauchi★の方に書くかも)、格差社会だの下流だの……って、あ~挙げはじめたらキリがない! これから書いていきますので、よろしくお願いしますね^^
 あ、コメントなんぞ残してくださると、喜びますよ、喜んで、どんどん書いちゃいます(笑)

 あ、あと★大川内 麻里の“人生がより心豊かになる”コトバ 1日1文★の方には、趣旨が毎日更新ということになっていますので、基本的に、一応は、毎日います。いる、つもりです。いる、ふりをしています。(日付ずらして、まとめてアップしているときもあるけど^^;)そちらにも、会いにきてくださいね♪

 

左バーの『最近の記事』の下に、更新情報として、『全4ブログの最新記事』というのをつくりました。よろしければ、ご覧になってみて、もし、ご興味のある記事がおありでしたら、ぜひいらしてくださいね♪他ブログへのリンクは、当ブログ上部のタイトル下に貼っています。

 そんなこんなですが、本題。さてはて、今日のお題はなんにしましょ。前回、「企業とはなにか、社長とはなにか」をテーマに書いて、そのなかでちらりと「所謂『起業家』に、その傾向が強い」ことに触れたので……って、いま見たら触れてないじゃん!^^; ……ってなお粗末な次第で恐縮ですが、そうですね、今日は、『起業家』について、お話しようと思います。

 さて、よく『起業家』と名乗るひとがいますが、断言します。そんな“職業”はありません! 繰り返します。『起業家』なんて“職業”はありません! それは、単なる“肩書き”にすぎないもの。『社長』『経営者』『会社役員』なども同様です。
 『フリーター』『学生』『会社員』『ニート』『主婦』などなどと同格に語られるべき“肩書き”です。“肩書き”でしょ? あくまでも“肩書き”。『フリーター』『学生』『会社員』『ニート』『主婦』などという“肩書き”と、どこが違うんですか?

 わたしは、間違っても、自分のことを『起業家』だなどと思ったことは、一度もありません。わたしが、自分に対してこの言葉を使う場合には、『大川内麻里』のことを表す、単なる一般的にわかりやすいキーワード、記号のひとつとして、というだけのこと。それ以上の意味は、なんらありません

 

実際、『起業』なんて、そんなにたいしたものではありませんよ。
『起業家=偉い』という含みをもって表現しているひと、とらえているひとが多くいるようですが、いったい『起業すること』のなにが偉いんですか? どこが偉いんですか?

 わたしの“肩書き”は『フリーター』→『専属フリーランスとしてプチ独立』→『フリーランスとして独立』→『現在の会社を起業』と経てきたわけですが、実際のところ、本質はいっしょです。
 仕事に対する姿勢も、も、やりたいことも、根底にある本質的なものは変わっていません。どんな“肩書き”にあるときも。

 

わたしの社会経験は『フリーター』として積んできたものであって、目指す目標・夢は、(当時は、その言葉がなかっただけで、いまであれば、確実にそこに“分類”されていたであろう)『ニート』時代に、原点があるわけですしね。

 上記のような“肩書き”というか遍歴を経てきたわけですから、はじめて『正社員』になったのは、自分とパートナーとで興したいまの会社です。
 そこに、たまたま『会社役員』『取締役』というオマケがついてきただけの話です。

 また、フリーランスの確定申告なんてのも簡単なものだし、会社設立時の手続きなんてものも、そうそう難なくさくっとできてしまうものですし、オフィスとする物件なんて探せばいくらでもあるし(物件をもたないという手段もあります)、ちょっと税務処理が変わるだけですし。
 なにが違うのか、なにが偉いのか、さっぱりわかりません。

 これまで、実質のない、まがいものとしか解釈のしようがない、イターイ“自称肩書き”の書かれた名刺をいただいたことも、すくなくありませんが、「わたしは『起業家』です!」だなんて自ら名乗る――それも、「偉いでしょ。すごいでしょ」という含みを込めて――なーんてぇことは、それこそ、本当にイターイ! ヤバーイ! キツーイ! あまーい! 近い将来の倒産・負債・コロコロと事業変更することなんかが、容易に目に見えていて、甘すぎるよ~。

 そもそも、『起業家』の『家』の意味を考えてみたことはありますか?
 懇意のコピーライターと話し合っていたことですが、『作家』はなぜ『作家』で、『詩人』はなぜ『詩家』ではなく『詩人』なのか。
『作家』には、歴史に残るように、さまざまな流派をもって、師弟関係や対立構造などがありましたよね。

 

まさに、これなんですよ。『起業家』の『家』というのは。
 いま起きている現象として、リーダー的な存在『起業家の○○さん』に憧れて、自分も『起業家の○○さん』を目指して、起業しよう!(した!)というようなフォロアーがいて
 そのリーダー的な存在は、複数いて、それぞれに流派があって、リーダー、フォロアー入り混じっての対立構造がある。

 わたしにいわせてみれば、さながら、『起業家○○さん教』と、その『信徒』たち、といったところでしょうか。

 さらに、その対立構造というのは、ビジネス上の実質的なところから、考え方や物の見方などの形式的なだけのものからありますね。
 それから、対立にヒートアップするのは、往々にしてフォロアー。リーダーは、平静を装っているけれど……まぁ根性太いですよ(笑)。

 そして、注意してほしいのは、フォロアーの憧れる、リーダー的な存在『起業家の○○さん像』というのは、つくられたパブリックイメージにすぎないということですね。

 

「なにをやりたいのか」ではなく、『起業すること』そのものが目的となってしまっている、安易な起業を推奨するような、最近の風潮には、眉をひそめざるをえません。本末転倒の一言に尽きるといったところです。

「わたし、大川内麻里の“職業”は、出版業、著者/編集者です」

 というわけで、次回は、その安易な起業を推進させようとしている犯人と、その手法と落とし穴について、お話したいと思います。

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その会社は、まず『社名』が思い浮かぶ会社ですか? それとも、『社長の顔』が思い浮かぶ会社ですか?

 ここ3~5年のほどことだろうか。
 やたらとオモテに出てくる社長が多くなってきたようにかんじる。テレビや雑誌などのメディアに露出しまくったり、さまざまなことで知名度を上げたり、自著を出してみたり。
 それが、まるでみんな競い合うように、どんどん拍車がかかる一方。いまでは、すっかり過剰化してしまっている。

 彼女ら、彼らは、一様に、セルフプロデュースに、とても力を入れている。社長は、その企業の代表、顔として、自分の印象が、企業の印象や信頼につながる。そういった意味で、社長がセルフプロデュースを入念に行うのはいいことだろう。
 実際、アメリカなどでは、ずいぶんまえから、エグゼクティヴにイメージコンサルタントなどをつけ、“企業の戦略として”印象形成をするのがあたりまえになっている。

 しかし、この2年ほどかな、気にかかるのは、一部に
「これは“会社のため”というよりも、“自分のため”のセルフプロデュースに終始してしまっているのでは?」
と思われるひとたちがいるということ。

 つまり、社長のセルフプロデュースが、会社に還元されていないという事例だ。
 一般のひとから見て、『社長の顔』や『社長の名前』は、よくよく知っているけれど、その社長が『どんな会社を経営しているのか』は知らない、わからない、『社名』すら浮かばない。いっそのこと、社名を『大川内麻里事務所』(笑)みたいなふうに変更しちゃった方がいいんじゃないの~?! とすら思えてしまう。

 そういった会社は危険だ。

 企業とはなにか――企業が社長個人の従属物である限り、その企業の将来は見えている。

 また、社員のビジネスパーソンとしての成長も見込めないだろう。さらに、社長のセルフプロデュースのために働かされている社員などは(本人が、それを真に納得した上でやっているのならいいのだが)あわれなものだ。個人的なご都合のために奔走させられる。

 そんな社長のもとで働く社員についていえば、社長は、はっきりいって、自分の信徒になりそうかどうか、もっと稚拙な例を挙げれば、自分の熱烈なファンであるかどうかを基準に採用している。
 だから、はじめは社員も喜びをもって、社長のセルフプロデュース業に精を出す。
 しかし、そんな社員と社長とのあいだをつないでいるものは、「好き」であったり、「憧れ」であったりするだけに、一度なにかの拍子に小さな亀裂が入ると、修復不可能な大きな問題となってしまう。そして退社していく。長続きなどするわけないのだ。

 本当に偉業を成し遂げている社長は、自分の存在を適宜に隠すことを知っている。必要なポイントを押さえるだけ。それだけで、業務が成立する社内体制をつくっているのだ。
 決して、必要以上にしゃしゃり出たり、自分個人の存在を誇示するようなことはしない。
 そして、自社の発展は、決して自分の力などではなく、社員たちのおかげだと感謝し、称える。自然、社員たちの業務に対する姿勢は、会社への貢献を無意識にも第一にしたものとなる。

 心の奥底に、なんらかの執着心があるのだろう。ひとりよがりな自己実現願望を満たすために、会社にまったく還元されない動きで、周囲を犠牲にする――そんなこと、フリーランス、もしくは、ひとり社長会社ででもやればいいのでは?
 すくなくとも、(従業員のいる)『企業』でやることではないでしょう。まぁ、会社が潰れるが早いか、化けの皮がはがれるのが早いか、時間の問題だろうけれど。

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