カテゴリー「■心豊かな生き方 1日1文」の21件の記事

Dad' meets my darlin'

Dad' meets my darlin'
写メは赤坂プリンスにて、
もっともリスペクトする人、父と。

わたしがワッチなんてかぶって、
おおよそ赤坂プリンスに似つかわしくないナリなのは

これが漫才米騒動@シアターD(ラヴドライブさん、マシンガンズさん、オードリーさん、三拍子さんをはじめ、出演者のみなさんオツカレサマでしたっ!)を見ている真っ最中のお呼び出し
ていうか翌朝のアポ前倒しだったからである。

んーでもゆっくり話せる時間をつくってくれてアリガトね、おとーさん♪


てなわけで、カレと父と三人で会食。
てかごたーいめーーーん、みたいな。


カレと父が、
わたし抜きにしても(?!)
この出会いを互いに喜び合ってくれているのが伝わってきて
うれしかった。


父には心配をかけてばかり、
まったく泣きたいくらい親不孝なわたしだけれど、

カレに会って、安心してくれたみたいで、
素敵な親孝行ができたかなって思ってる。



なにが親孝行かって、
やっぱり自分が幸せになることがイチバンだって思うもん。


わたしだって
娘がHAPPYでいてくれることがなによりもの願いだもの。


そうやって、
幸せは伝染していく。



この二日後には、
今度はカレのご両親のもとへ。

カレにはいつも言ってるの、
ご実家にいる時間は
たくさんおかあさまおとうさまとお話しして
たくさんやさしくしてね、って。


でもこんなコトの大切さに気付けたのって、
やっぱり一度目の結婚生活があったからこそだし、
離婚後の元お姑さんとの交流があったからこそだし、

だから元夫のおかあさまは
わたしにとって
いまでも大事な家族なんです。



みんなで幸せになろうねー♪
――って、カレとはいつも話してるの。
やっぱりまず自分が幸せをカラダでココロでめいっぱいかんじて、

そしたら、その幸せはいくらでもシェアできるんだから、

そーやって、みんなで幸せにならないと♪
てかなろうねっ☆


自分たちダケ幸せになろうとしたって、
そのエゴはかならず自分に返ってくる。



カレのご両親もダイスキ☆
もっともっと仲良くお付き合いさせていただけたらなって思ってる♪



父に会ったあと、
カレのこんな一言が印象深かった。

「おとうさんとおかあさんは離婚しちゃったかも知れないけれど、
麻里ちゃんがご両親の愛情を受けて育ったんだなってことがよくわかるよ。
愛情を受けなきゃ、麻里ちゃんみたいな子は育たない」


#前回の日記にみなさん素敵なコメントありがとうございます!
お返事より先に日記アップしちゃってスミマセン!
追ってお返事させてください〜

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■幸福論 大切な家族 幸せの憧憬は自分自身の原風景

たとえば離婚した元夫のおかあさん(元姑)でさえ、
わたしにとっては大切な家族だ、
と言ったら滑稽だと笑われるだろうか。


「幸せになってはいけない」
――そう、自分に禁じてきたわたし。

母親と離れて暮らさざるをえない状況を
(不本意ながら)娘に強いている限り、
わたしには自らの幸福を追求することなど
決して許されないことなのだ、と。

自分の幸せについて考えること、
思いを馳せ、憧れることすら、自分に許さなかった。


でも去年の夏の入院をきっかけに、
幸せについて考えはじめて、

すこしずつ、ほんのすこしずつだけれど、

「幸せになってもいいのかな。。」
戸惑いながらも、そう思いはじめて……。

そんなとき、出会いは訪れる。


いまはっきり思う。
「幸せになりたい」――と。

そして、はっきりこう思う。
「幸せにしたい」――と。


それは、
大切なパートナーであったり、愛する家族であったり、
大好きな友人であったり、尊敬する師であったり、

自分のまわりのすべての人々に対して。

みんなを幸せにしたい、幸せになってほしい。
心からそう思う。


自ら幸福感で満たされていない者に、
他人を本当の意味で幸せにすることなどできようか。

そういった意味で、
自らの幸せを追求することというのは
決してエゴイスティックな行為などではない。
むしろ対極にあるものだ。


ひとつ、持論がある。

「幸福はそれを受け取れる自分になっていてこそ訪れる」

自らに幸せになることを許せるようになったわたしは、
きっとその幸せを受け取るに足る自分に
ようやくなれたのだ、と思う。


そうなれたのは、
これまでのわたしの人生に関わってくれたすべての人たちと
この30年にあったひとつひとつの出来事のおかげであって、

だれひとりとして欠けては、
なにひとつとして欠けては、
わたしは決してこうはなれなかったわけで、


だから、
つらかった、苦しかったあの体験にも、
憎みあったあの人にも、

心からの感謝を捧げたい。

そう思う。


すべてに、ありがとう。
ひとつひとつに、ありがとうございます。

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[Q&A]人は、どのようにして成長するか

読者のJさんからいただいたご質問です。

[Q&A]人は、どのようにして成長するか?!
今までの人生観の中での思いを聞いてみたいです。

わたし自身、まだまだ発展途上の身であり、
このようなご質問をいただくこと自体、恐縮してしまうのですが、
いまのわたしなりにお答えできることを
お話させていただきたいと思います。


さて、人はどのようにして成長するか。


まず成長の“とき”は、一言で言うと、
挫折や失敗など(一見)負(ふ)の出来事や
試練に立たされているときだと、わたしは思います。

わたしが成長してきたのも、そんなときでした。


「その負の体験を糧にして云々」とは
多くの人が思うことでしょう。

でも、いいんです。

落ち込んだって、再起しようと焦らなくたっていいんです。
あきらめたくもなると思います。

いいんですよ。

とことん落ちるところまで落ちれば、
あとはあがるしかないんだから。

焦らずに辛抱していれば、
いつかきっとそのタイミングが訪れます。
それを焦らず冷静に待つこと。


それから「成長」というのは、
いままさに成長しているという期間は
そうそう自覚できるようなものではなくて、

ふと振り返ると、
かつての自分が懐かしく見えて、
自分が知らず知らずのうちに成長していたことに気付くものなのです。



簡単にお答えしましたが、ひとまずそんなところでしょうか。

あと、これはわたしからのお願いなのですが、
メールなどでたくさんのご質問を頂戴しますが、
できる限り、ブログ上などでの公開回答をお願いさせていただければと思います。

これもわたしの「シェアの精神clover」の一環です。

よろしくお願いいたします。

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コントリビューション(貢献)からはじめよう。~あたりまえに大切なものについて考えてみる。(2)

このあいだちょろっと書いた、
わたしがあたりまえに大切にしていること。


そのひとつに、

まわりのひとに対して、常に
「わたしはこのひとに対してなにができるだろう?」
って姿勢でいる、というのがある。


わたしはいつも自分自身に問いかけ続けている。

――わたしが社会に対してできることはなんだろう?
なにがわたしにできるだろう?


その視点があるから、
そこから自分の目のまえのひと、ひとりひとりに対して、
考えることはいつも
「なにかできることはないかな?」


目のまえにいるひとだけじゃない。

知らないだれかにだって、
いつも自分がなにを提供できるか、って考え続けている。


その手段が、わたしの場合、
マスに対して働きかける
書籍だったりブログだったりする。


わたしの日記をよく読んでくださっているかたはご存知のように、
わたしは「シェア」って言葉を頻繁に使う。


それはたとえば
日常のなかの小さな幸せであったり、発見だったり、学びだったり、感動だったり、
得たもの、もらったもの、

あるいは自分をさらけ出して公表するつらい過去だったり、
自分とおなじような体験をしたひとに前を向いてもらいたいなって、
「あ、この大川内ってひともこんなことがあってもなんとかやってんだな。自分も大丈夫かも」って思ってもらえたらいいなって気持ちでお話することだったり、する。



   「コントリビューション――貢献」


レバレッジシリーズの本田直之先生の
ひとに対するこのお考えを知ったとき、
それがストン、と自分のなかに心地よく落ちて、

あぁわたしがやってきたこと、
これからもやり続けようとしていることってこれだったのかも、
ってすごいしっくりきたのね。


でもコントリビューション(貢献)するにも、
まず大事だなって思うのは

   「自己肯定感」


だって、まずは自分のシェアしようとしているものが、
提供しようとしているバリューが、

そうするに値するものだって、

たとえわずかでも
それがコントリビューション(貢献)になる、

言ってしまえば、すくなくとも害にはならない、
って思えなきゃ、

なにもはじまらない。


そう考えると、

いいコントリビューション(貢献)
ひいてはそこから生まれる
いい人間関係、人脈も

まずは「自己肯定感」なしには成り立たない、
って言っていいのかも。

【関連記事】
あたりまえに大切なものについて考えてみる。(1)

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あたりまえに大切なものについて考えてみる。(1)

ある方から、とても考えさせられるいいご質問をいただきました。

> エネルギッシュなライフスタイルを送ってて
> 大川内さん、とても魅力に感じます!
> 自分も最近はドラマとか舞台とかやらせて頂き
> 色々感じることがあります。
> 人と人との信頼関係を築けない人に、
> たとえどんなにお金持ちであっても、
> 本当の成功はないのかなって感じます。
> 大川内さんはどういった所に重点をおいて生活してますか?

わたしがそんなふうに言っていただけるような生き方をできているかどうかは別としても^^;
(もったいないお言葉をいただき恐縮です。ありがとうございます)

これっていうのは、
普段自分があたりまえに大切だって思っていて、
あえて目を向けてじっくり考えてみることがなかったことを
あらためて見直させてくださる、いいきっかけをいただいたなって思いまして。



あたりまえに大切なものについてって
普段じっくり見つめて考えることってすくないけれど、


でもあたりまえに大切だからこそ、
実はよく見つめてみることが大切なんですよね。



そんなわけで、
あたりまえに大切なことについて、ちょっと考えてみたいと思います。

わたしのいつも言っている
「シェアシェアクローバー」をさせていただけたらなって、
これから何回かにわけて連載したいと考えています。

ほんのちょっとしたことでも、
みなさんのなにかのきっかけにでもなれたらうれしいです。


まずはコメントへのわたしのお返事を掲載します。
反射的にぱっと思ったこととなので、
かなりざっくりだし、言いたいこともはしょってますが、ひとまずは。

-----
いやいや、その実、書いていないところでは。。ウッシッシナンテ(笑)
おかげさまでエキサイティングな毎日を送らせていただいています。過分なお言葉に恐縮しちゃいます。

○○さんのおっしゃるとおりだとわたしも思います。

人とのご縁を大切にできるかどうかって、
その人の真価が問われるところ。

キレイゴトでもなんでもなくて、
対人関係に誠意をもっていれば、
お金なんてあとからいくらでもついてくるんです。

逆に人に対して誠意がなくてお金に汚い人間は、
一時的な「成功」を手にしたとしても、所詮は泡沫。大成しません。


わたしが重点を置いていることですか~。。あえて挙げるならば、
   「感謝」「尊敬・敬意」「好き」
の3つでしょうか。

感謝できない人とか尊敬の念をもてない人ってたまに見るけれど、
本当に不幸だと思います。


感謝とか尊敬とかっていうのは、
相手がそれに値する人物であるか否かよりも、

むしろ自分自身が
 「感謝“できる”心」「人を尊敬“できる”心」
をもてるかどうか、の問題だと考えています。


あとはいかなる人や物事に対しても、
まず「好き」という肯定の気持ちから入れるかどうか。
そしてその気持ちを表現したり相手に伝えたりできるかどうか。


そこともつながるんですが、
最近大事だなって思っているのは「自己肯定感」。

自分を愛せない人間は人を真に愛することなんてできない。
自分を大切にできない人間は人を真に大切にすることなんてできない。

(以下略)

-----

“そもそも「成功」とはなにか論”にもつながってくるわけですけれど、
まぁそれはおいおいすこしずつ書いていこうと思っています。

ご質問をくださった方に感謝です。
貴重なきっかけをいただきまして、ありがとうございます!

 

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努力と忍耐。逆境は試練の仮面をかぶったチャンス。

わたしの“大事なヤツ”の曲が
UKのレーベルからリリースされます。

その他、いろんないい刺激をいただく日々のなかで、
最近思ったこと。


天性のタレント(資質) + 見えないところの努力
 の偉大さについては、このあいだ同窓会の日記で書きましたが、

 才能あるひとが輝くのは、
 その裏で努力を積み重ねているから
なんですよね。

 自分の才能に甘んじることなく、磨き続けること


 そして大事なのは、磨きながら、
 それが成果として表に出るそのときまで“耐える”こと


 この「忍耐」の大切さは、ある芸に生きる方が教えてくれました。
 大事なことを教えていただきました。

 なぜなら、
 それがこれまでのわたしに足りなかったことであり、
 そのときのわたし、いまのわたしに必要なことだったから。

 ありがとうございます。
 大川内、忍耐のときです。


“努力できるという「才能」”に勝る「才能」はない


チャンスはそれを活かせないひとのところにはこない
 チャンスが訪れたということは、
 それを活かせる、受け取れる自分になっているってこと

 チャンスも逆境もそう。
 そのひとに乗り越えられない逆境はこない
 なぜなら、
 「逆境」は「試練」の仮面をかぶった「チャンス」だから

 だから、がんばろう。
 だから、がんばって!


表に出る、そのときはほんの一瞬かもしれない。
 でもその一瞬のため、その素地として、
 日々のあいさつとか「ありがとう」の一言とかがある


【関連記事】
「試練」は“幸せ”に。
同窓会、ばり楽しすぎたって! (≧▽≦)ノシ

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#103 人との縁をよりよいものにしたいなら、タイミングを大切に!

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 人脈をつくるうえでの基本は相手にコントリビューション(貢献)することです。
 興味のある人にアプローチする際、何かをしてもらいたいとか、誰かを紹介してもらいたいとか、自分の願いを最初に考えるのではなく、まずは相手に何かコントリビューションできないかと考えます。もしコントリビューションできるものがなければ、そのときはアプローチせず、なにかができそうなタイミングで行うとよいでしょう。

出典:
 『レバレッジ・シンキング~無限大の成果を生み出す4つの自己投資術』 本田直之 著 (東洋経済新報社
 115頁/115-116頁「基本はコントリビューション」より
 初版:2007年7月12日

[本の情報を見る][Amazonで購入][本田直之先生のほかの本もオススメ!]



わたしはどこかせっかちなところがあるのか、
もともと何事も「すぐに!」行動しなければ
気のすまないたちでした。です。(笑)

もちろんそれが奏功することもあるのですが、
物事を早計に進めすぎて、
かえって望ましい結果をもたらさない、
ということもよくあります。


そんな経験をしてきて、

“物事にはかならずベストタイミングというものがある”

という考えに至り、

その“タイミングを待つ”ということもできるようになってきました。


人とのご縁もおなじ。
出会いにもやはりベストタイミングというものがあるのです。

相手にコントリビューション(貢献)できるときまで、
すなわち、なにかを「与える」ことができるときまで、
「与える」ことのできる自分になれるときまで、
事を急がず“そのとき”を待つ。

それが、結果として
より素晴らしい良縁を生むことにもなるのです。


#本田直之先生の「レバレッジ」シリーズ36万部突破されたそうですよ!
 まだ読まれていない方はぜひ!! オススメです!


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#000 タイトルに「#番号」のついている記事については こちら をお読みください。

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#102 自己愛 ~自分を大切にすること、認めること、愛すること

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友人、Mさんの出産を祝して。

純粋な自己愛をもった母親なら子どもにどのような影響をおよぼすかをみてみれば、子どもが、愛や喜びや幸福がどんなものであるかを知るには、自分自身を愛する母親に愛されることがいちばんだということがわかるはずだ。

出典:
愛するということエーリッヒ・フロム 著 (紀伊国屋書店
[本の情報を見る][Amazonで購入][エーリッヒ・フロムのその他の著書]


Mさん、無事ママになったね! 心からおめでとう。
いまMさんがSくんに抱いている、
その特別で不思議な気持ちが「愛」なんだと思います。

そういう気持ちを自分にも向けてあげることが、
すこしずつにでもできるようになるといいね。

いまわたしも「健全で建設的な自己愛」の練習中。^^
明日は娘の8歳の誕生日です。

お互い、自分自身を愛することのできる母親でいられるように、
ちょっとずついっしょに練習していこうね。

そして、この子たちを幸せにしようね。

【関連記事】
甘えるということ
甘えるということ(2)
人に理解を求めるとき ~甘えるということ(3)

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#012 だから、あなたの話は通じない

「コミュニケーション」についてのドラッカーの洞察は独特のものです。
(中略)
 まず聞く人がいないとコミュニケーションは成立しないとして、コミュニケーションの主体は情報の発信者と思われがちだが、実は逆で、すぐれたコミュニケーションとは情報の受信者が主人公なのだと指摘しています。
 また、私たちには聞きたいと期待しているものだけを聞き、見ようとしているものだけを見る傾向があります。したがって、円滑なコミュニケーションをするには、受け手の関心がどこにあるか、知的水準はどのくらいかといった点を十分に考えなければなりません

出典:
 『図で読み解く!ドラッカー理論』 久恒 啓一 著 (かんき出版
 96頁/96-99頁「コミュニケーションの主体は受け手」より
 初版:2004年8月9日

[本の情報を見る][Amazonで購入][久恒啓一先生のほかの本もオススメ!]
久恒啓一図解Web *ブログ *メルマガ


 わたしは、年長者の方、人生経験の豊富な方、すぐれた能力をお持ちの方などなど……のお話をおうかがいし、自分なりの解釈を織り交ぜて学ぶことが大好きです。

 また逆にひとさまに『伝える』『教える』ことをしなければならない立場に立つときにきています。


 そんなとき、自分が年長者の方などに、お話をおうかがいするとき、お話しやすかった方としにくかった方がいらしたのを思い出します。


 お話しやすかった方というのは、まず、緊張するわたしをリラックスさせてくださいます。

 そして、若輩者のわたしの目線に合わせてくださる。

 さら に、わたしのツボ、どこをどう突けば、お互いのためになる会話になるかを瞬時に見抜いて、話を進めてくださるのです。


 それによって、わたしは未知の可能性 すら展開することができるようになるのです。


 話をするとき。
 しばしば、そんな方々のことを思い起こします。まだまだ遠く及ばずですし、実際、反省することも多くあります。

 あなたは、相手に『伝えて』いますか?

【2006/04/12 21:24】 | 人付き合い(コミュニケーション)に困ったときに

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#011 それは、本当にいま解決しなければならないことですか? いまやらなければならないことですか?

 

 6月から4ヶ月間、混合性不安抑うつ障害(パニック障害・うつ病・PTSD)の治療のため、入院していました。
 友人や大事な家族の死、大切なひとのご家族の死……本当にいろいろなことがありました。
 つらかった。
 そんな体験を経て、この言葉の意味が、真に理解できました。

ご破算には、問題を何も解決しようとしない態度もあるのです。「解決を放り出し、時間が解決してくれるまで待機する」です。問題によっては、ある意味これが一番いい解決法でもあるのです。
ただし、たいていの人はそこまで辛抱強くまてないのですね。

出典:
大事なことだけを考える技術』 鷲田小彌太 著 (ダイヤモンド社
 70頁/66-70頁「時には、解決そのものを放棄してしまおう」より
 初版:2005年6月9日
本の情報を見る][Amazonで購入][鷲田小彌太先生のその他の本



「時間が解決してくれるよ」
「時がすぎれば忘れられるよ」
「機が熟すまで待とう」

――生きていれば、物事には、ベストタイミングというものがあることに気付きます。
 ココロに余裕をもって、ゆっくりと、焦らずに歩いていくことですよね^^

【2006/04/11 09:16】 | ココロが疲れたときに

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#101 ブレイクダウンによる問題解決(悩み解消)方法

 

大きな問題が起きたとき、
大きな悩みを抱えているときには、
「それはなぜか?」と突き詰めていく。

「なぜか?」と考え、
出た答えに対して、さらに「なぜか?」
答え→「なぜか?」→答え→「なぜか?」→答え→「なぜか?」……

これを繰り返すことによって、
問題(悩み)の本質を
とことん突き詰めていくと、

たとえば、
「あのとき、こんな言い方をしてしまった」などといった
自分の日頃の小さな行いが、
実はそもそもの原因であった、ということに気付く。

問題や悩みというのは、
たいてい、
日常のなかの自らのちょとした行いにこそ
端を発しているものなのだから。

そのようにして、
根本的な原因がわかれば、
あとは、そういった目の前の小さなことに
気を付けていけばいいだけ。

元の大きな問題(悩み)は、
ある種、幻想とさえいえるものなのだから。

伝聞元:
 先日、経営相談(という名の人生相談)をしたときの父の言(2007年5月9日)



 こうすると、たしかに悩みのポイントが明確になる。
 ポイントが明確になるということは、それだけ有効な対策が立てやすくなる。
 有効な対策が立てやすくなるということは、解決へと大きく近付くことができるんですね。

 また、自分ではどうしようもない、これは手に負えないと思っていた問題・悩みが、ポイントをしぼることで縮小化されていくのもかんじました。

【関連記事】
#102 「別れ」のとき
父に経営相談

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#009 それは『喜び』の伴う仕事ですか?

この文章は【2006/04/09】に執筆した連載から転載したものです)  

 さらに、給与には外的報酬内的報酬のふたつがある。
 外的報酬とは給与そのものやインセンティブ(奨励金)といった、お金として受け取れるものである。
 それに対して内的報酬とは、給与の額には表れないが、その仕事を通して得られる満足の報酬といったものである。
(中略)
 私の場合、外的報酬よりも内的報酬を増やすことを心がけてきた。
(中略)
 また、仕事を長く続けていくには、内的報酬がちゃんとなくてはつとまらないということもわかってきた。
 仕事をなし遂げたときの「達成感」や、自分が成長していることを実感できる「成長感」こそ仕事の原動力であって、他人からの評価という、自分の努力ではいかんともしがたいものにとらわれすぎるのは得策ではないと気づいたのである。

出典:
 『シゴトのココロ』 松永真理 著 (小学館
 31-33頁/28-35頁「給与の額に不満ですか?」より
 初版:2004年5月10日

[本の情報を見る]Amazonで購入][松永真理さんのほかの著書]



 わたしが、好条件の出版社勤務をやめ、いつ収入が入るか、いつ仕事が途絶えるかわからない、フリーランスの執筆者/編集者に転身したこと。

 それは、外的報酬よりも、内的報酬をとった結果にほかなりません。

 会社のカラーなどにとらわれず、さまざまな出版社とおつきあいさせていただくことで、より「自分のつくりたい本作り」に、すこしでも近づいていこうと。


 不安でした。
 仕事が軌道に乗らなくても、つまり、収入がロクに入ってこなかったとしても、向こう1年は食べていけるだけの貯金を手にしての決断だったとはい え。
 自分の実力よりも、ちょっと高めのハードルを強いた事業計画を立てていたとはいえ。
 具体的な目標設定と、そのために自分のやるべきことを、具体的に計 画していたいたとはいえ。


 不安でした。
 安定という言葉を使うとすれば、わたしは安定を捨てて、不安定な暮らしが待っていることが十分に予測されるところに、身を投じたのですから。


 不安と焦りだけが、わたしを支配していたように思います。


 フリーランスになったとき。
 まずは、フリーランスで、信頼していただける取引先を増やしていくなどといったことに努めよう。
 しかし、個人で請け られる仕事には、やはりキャパシティーや社会的信用の面などから限度がある。しばらくはフリーランスでやっていきながら、そうだな、32歳くらいを目安 に、編集プロダクション(出版下請け会社)を設立しよう。

 それくらいにまでは、起業準備も整うことだろう、否、それくらいまでには整えよう。それを視野に 入れた上でのフリーランス活動をしていこう。そう考えていました。
 25歳のころのことでした。


 しかし、フリーランスになって半年。思わぬ転機が訪れます。
 自分の将来的なビジョンを、もっとも尊敬する執筆者/編集者であったひとに話してみたところ、まったくといっていいほど、おなじビジョンをもっている。
「いっしょに、編集プロダクション(出版下請け会社)を興さないか」
 思ってもみない言葉でした。


 しかし、わたしは、すぐにその話に乗りませんでした。何度も何度も話し合いを重ねました。具体的に。慎重に。最悪の事態を想定して。


『起業』もおなじことなんですよ。
『フリーランス』となにも変わらない。
『フリーター』となにも変わらない。
 すべて経験したからわかるんです。
 なにも変わらないんです。


『起業』したからといって、輝かしい未来だとか、安定した生活だとかが待っているという保障がつくわけではないんです。
 リスクは、常につきまとうものなのです。


 リスクマネジメントができないのならば、なにをやったっていっしょです。
『起業』しようが『フリーランス』として独立しようが『フリーター』で 頑張ろうが。



 リスクマネジメントをするための最良かつ最短である方法は、具体的に、慎重に、そして、最悪の事態を想定しておくことです。


――創業1周年を来月に控えています。1年目にして、決算は、大幅黒字です。 この文章を執筆したのは【2006/04/09 11:59】)


 わたしが、常に忘れずにきたこと。それは、内的報酬の追求です。そして、それを追求し続けるために必要な努力です。


 努力とは、日々の小さな積み重ねこそが根底にあるもの。「ありがとう」と「ごめんなさい」がいえるかどうか。あたりまえのことをあたりまえにできるかどうか。


 逆にいえば、あたりまえのことをあたりまえにやるだけでいいんです。


 より「自分のつくりたい本作り」に、すこしでも近づいていくこと。
 そして、それから生まれてくるもの。たとえば、読者からの言葉。感想。取引先からの「ありがとう」の言葉。

――これらが、わたしの内的報酬です。


 もちろん、「自分のつくりたい本」ばかりつくってきたわけではありません。

 下請けという上下関係がある以上、嫌な思いもしました。悔しい思いもしました。怒りに震えたこともあります。


 それでも、誠実さを忘れないこと。


 自分がどんなに誠実でいるつもりであっても、どうしても、それの伝わらない相手だっています。
 今後も、お互いにプラスとなる関係でいられるのかどうか……――ならば、思い切って、距離を置いてみるという選択もある、ということも知りました。いま現在、思うことがあるので、別のエントリーに追記します
 わたしには、めったにないことというのもあって、本当に、悲しく、苦い、苦い、体験でした。


 自分なりに込めた誠意を評価するのは他人です。
 ここで、冒頭のコトバを思い返してみましょう。著者は、外的報酬=給与などをして

他人からの評価という、自分の努力ではいかんともしがたいもの

 とし、「それにとらわれすぎるのは得策ではないと気づいたのである」と述べています。


 外的報酬についてはもちろんのことですが、自分なりに込めた誠意に対しても、おなじことがいえるのではないでしょうか?


 内的報酬を追求していった結果、そして、そのための努力を怠らなかった結果、外的報酬が、あとからついてくる。
 そんなこともあるんですね。

【2006/04/09 11:59】 | よりよい仕事をするために


大川内 麻里のサイト OkawauhiMari.net
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#000 タイトルに「#番号」のついている記事についてはこちらをお読みください。

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#008 「自分には『才能』がない」とあきらめかけてはいませんか?

 

“『努力できる』という『才能』”に勝る『才能』はない。

伝聞元:
 中学時代の恩師が、卒業時に、わたしに宛ててくれたメッセージ



 なにか新しいことや自分にとって難解なことにチャレンジしようとするとき、そして、それが自分には乗り越えられそうもない壁だと感じたとき。

 ひとは「これをやるには『才能』が必要なんだ。自分には、そんな『才能』なんかない……」と及び腰になってしまいがちです。


 そして、そんなときに、ついつい忘れがちなのが『努力』というものの存在。


『努力』というと、なにかものすごいことをやらなければならないような気がしてしまうかもしれませんね。
 ならば、別の言葉に言い換えてみますね。『ちょっとやる気になってみる』『ちょっとやろうかなと思ってみる』というのはどうでしょう?
 なんだか、簡単にできそうな気がしてきませんか?


 そう、『努力』というのは、実は、だれにでも簡単にできることなんです。そして、それは、どんな『才能』にも勝るものなんです。


 また、あなたには『努力』をしているつもりはなくても、客観的に見ると、「あの子って、すっごい『努力』してるよね」「『努力家』」だよね」ってこともあります。
 そんなとき、あなたは“無意識に『努力』をしている”のであって、それこそ、まさに“『努力できる』という『才能』”にほかならないのです。


 それから、『努力』すること=なんだか恥ずかしいことって意識はありませんか?
 なぜ、恥ずかしいことだと感じてしまうのでしょうか?

 よくありましたよね、学生時代の試験まえの光景(笑)。「勉強した?」「ぜ~んぜん。もうやばいよー」といいつつ、本当は、一生懸命、勉強してきている。


 なぜ隠すのでしょうか? 『努力』したということを。


 それは、『努力』した結果、「努力が報われなかった」ということへの恐れがひとつなのではないでしょうか?


 でもね、大事なのは『結果』ではないんです。『努力』したという、その『過程』なんです。『努力』したという事実なんです。


『努力』したということは、かならず、あなたの糧になります。
それは、テストの点数のように、即座に出る、わかりやすいもの(要は、先述したような所謂『結果』ですね)ではないかもしれません。でも、かならず、「あのとき『努力』してよかった」というときがきます。自分では気付かなくても。かならずくるんです。


 こういったことに主眼を置いていくと、『努力』するということは、決して、恥ずかしいことでも、かっこわるいことでもないことに気付きます。
 そして、先にも述べたように、『努力』は、かならず、あなたの糧になるわけですから、「報われない『努力』はない」のです。


 もう一度、いいます。
『努力』すなわち『ちょっとやる気になってみる』『ちょっとやろうかなと思ってみる』ことは、だれにでもできることなんです。
 また、それは、恥ずかしいことでも、かっこわるいことでもなんでもなく、かならず報われるものなのです。
 そして、『努力』できるということに勝る『才能』はないのです。

【2006/04/08 12:05】 | ココロが疲れたときに


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http://okawauchimari.net/

大川内 麻里が取締役を務める 創藝舎
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#007 無理をして強がってしまってはいませんか?

 

「自分は自分以上でも以下でもないのだから、周囲の目を気にして、わざわざ自分以上に見せる努力をする必要はない」
(中略)
 でも、逆に言えば、こういう人は自分に自信がない証拠です。

出典:
 『チャンスを逃がす人 活かす人―自分を変える逆転の仕事術』 西田通弘 著 (かんき出版
 119頁/116-120頁「弱さを隠さない」より
 初版:2003年11月10日

*ホンダ・西田通弘前副社長のサイト
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 わたしは、中