カテゴリー「■心豊かな生き方 1日1文」の22件の記事

■【追記2】自分らしく生きられない人たち(1)~好きな仕事、やりたい仕事ができない

わたしはM大学人間学部心理学科の生徒でもあるのですが、
いま臨床心理学を学習していて、
ちょうど先日書いた記事とリンクするような内容があったので、引用します。


ポジティブな結果に執着すること
(ポジティブな出来事のあとに自己注目をすること;
たとえば、合コンで好みの異性から話しかけられ、いっしょに楽しいときを過ごしたことを繰り返し考える)
は、
楽観の原因となります。(例:「今度はうまくいくかも」)
しかし、将来失敗した場合、
うまくいくと考えていた分、かえって大きな失望と幻滅を経験するかもしれません。
(「うまくいくと思っていたけど、やっぱりだめだったか」)
そこで、ネガティブな出来事のあとに自己に注目することによって、
ネガティブな自己イメージを維持し、
将来大きな失望や幻滅を味わう危険性を潜在的にすくなくしている
のです。


特に、最後の一文ですね。
なにかのヒントになれば幸いです。


【関連記事】
■自分らしく生きられない人たち(1)~好きな仕事、やりたい仕事ができない
■【追記1】自分らしく生きられない人たち(1)~好きな仕事、やりたい仕事ができない
■自分らしく生きられない人たち(2)~心の病気など弱いところを見せられない


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Dad' meets my darlin'

Dad' meets my darlin'
写メは赤坂プリンスにて、
もっともリスペクトする人、父と。

わたしがワッチなんてかぶって、
おおよそ赤坂プリンスに似つかわしくないナリなのは

これが漫才米騒動@シアターD(ラヴドライブさん、マシンガンズさん、オードリーさん、三拍子さんをはじめ、出演者のみなさんオツカレサマでしたっ!)を見ている真っ最中のお呼び出し
ていうか翌朝のアポ前倒しだったからである。

んーでもゆっくり話せる時間をつくってくれてアリガトね、おとーさん♪


てなわけで、カレと父と三人で会食。
てかごたーいめーーーん、みたいな。


カレと父が、
わたし抜きにしても(?!)
この出会いを互いに喜び合ってくれているのが伝わってきて
うれしかった。


父には心配をかけてばかり、
まったく泣きたいくらい親不孝なわたしだけれど、

カレに会って、安心してくれたみたいで、
素敵な親孝行ができたかなって思ってる。



なにが親孝行かって、
やっぱり自分が幸せになることがイチバンだって思うもん。


わたしだって
娘がHAPPYでいてくれることがなによりもの願いだもの。


そうやって、
幸せは伝染していく。



この二日後には、
今度はカレのご両親のもとへ。

カレにはいつも言ってるの、
ご実家にいる時間は
たくさんおかあさまおとうさまとお話しして
たくさんやさしくしてね、って。


でもこんなコトの大切さに気付けたのって、
やっぱり一度目の結婚生活があったからこそだし、
離婚後の元お姑さんとの交流があったからこそだし、

だから元夫のおかあさまは
わたしにとって
いまでも大事な家族なんです。



みんなで幸せになろうねー♪
――って、カレとはいつも話してるの。
やっぱりまず自分が幸せをカラダでココロでめいっぱいかんじて、

そしたら、その幸せはいくらでもシェアできるんだから、

そーやって、みんなで幸せにならないと♪
てかなろうねっ☆


自分たちダケ幸せになろうとしたって、
そのエゴはかならず自分に返ってくる。



カレのご両親もダイスキ☆
もっともっと仲良くお付き合いさせていただけたらなって思ってる♪



父に会ったあと、
カレのこんな一言が印象深かった。

「おとうさんとおかあさんは離婚しちゃったかも知れないけれど、
麻里ちゃんがご両親の愛情を受けて育ったんだなってことがよくわかるよ。
愛情を受けなきゃ、麻里ちゃんみたいな子は育たない」


#前回の日記にみなさん素敵なコメントありがとうございます!
お返事より先に日記アップしちゃってスミマセン!
追ってお返事させてください〜

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■幸福論 大切な家族 幸せの憧憬は自分自身の原風景

たとえば離婚した元夫のおかあさん(元姑)でさえ、
わたしにとっては大切な家族だ、
と言ったら滑稽だと笑われるだろうか。


「幸せになってはいけない」
――そう、自分に禁じてきたわたし。

母親と離れて暮らさざるをえない状況を
(不本意ながら)娘に強いている限り、
わたしには自らの幸福を追求することなど
決して許されないことなのだ、と。

自分の幸せについて考えること、
思いを馳せ、憧れることすら、自分に許さなかった。


でも去年の夏の入院をきっかけに、
幸せについて考えはじめて、

すこしずつ、ほんのすこしずつだけれど、

「幸せになってもいいのかな。。」
戸惑いながらも、そう思いはじめて……。

そんなとき、出会いは訪れる。


いまはっきり思う。
「幸せになりたい」――と。

そして、はっきりこう思う。
「幸せにしたい」――と。


それは、
大切なパートナーであったり、愛する家族であったり、
大好きな友人であったり、尊敬する師であったり、

自分のまわりのすべての人々に対して。

みんなを幸せにしたい、幸せになってほしい。
心からそう思う。


自ら幸福感で満たされていない者に、
他人を本当の意味で幸せにすることなどできようか。

そういった意味で、
自らの幸せを追求することというのは
決してエゴイスティックな行為などではない。
むしろ対極にあるものだ。


ひとつ、持論がある。

「幸福はそれを受け取れる自分になっていてこそ訪れる」

自らに幸せになることを許せるようになったわたしは、
きっとその幸せを受け取るに足る自分に
ようやくなれたのだ、と思う。


そうなれたのは、
これまでのわたしの人生に関わってくれたすべての人たちと
この30年にあったひとつひとつの出来事のおかげであって、

だれひとりとして欠けては、
なにひとつとして欠けては、
わたしは決してこうはなれなかったわけで、


だから、
つらかった、苦しかったあの体験にも、
憎みあったあの人にも、

心からの感謝を捧げたい。

そう思う。


すべてに、ありがとう。
ひとつひとつに、ありがとうございます。

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[Q&A]人は、どのようにして成長するか

読者のJさんからいただいたご質問です。

[Q&A]人は、どのようにして成長するか?!
今までの人生観の中での思いを聞いてみたいです。

わたし自身、まだまだ発展途上の身であり、
このようなご質問をいただくこと自体、恐縮してしまうのですが、
いまのわたしなりにお答えできることを
お話させていただきたいと思います。


さて、人はどのようにして成長するか。


まず成長の“とき”は、一言で言うと、
挫折や失敗など(一見)負(ふ)の出来事や
試練に立たされているときだと、わたしは思います。

わたしが成長してきたのも、そんなときでした。


「その負の体験を糧にして云々」とは
多くの人が思うことでしょう。

でも、いいんです。

落ち込んだって、再起しようと焦らなくたっていいんです。
あきらめたくもなると思います。

いいんですよ。

とことん落ちるところまで落ちれば、
あとはあがるしかないんだから。

焦らずに辛抱していれば、
いつかきっとそのタイミングが訪れます。
それを焦らず冷静に待つこと。


それから「成長」というのは、
いままさに成長しているという期間は
そうそう自覚できるようなものではなくて、

ふと振り返ると、
かつての自分が懐かしく見えて、
自分が知らず知らずのうちに成長していたことに気付くものなのです。



簡単にお答えしましたが、ひとまずそんなところでしょうか。

あと、これはわたしからのお願いなのですが、
メールなどでたくさんのご質問を頂戴しますが、
できる限り、ブログ上などでの公開回答をお願いさせていただければと思います。

これもわたしの「シェアの精神clover」の一環です。

よろしくお願いいたします。

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コントリビューション(貢献)からはじめよう。~あたりまえに大切なものについて考えてみる。(2)

このあいだちょろっと書いた、
わたしがあたりまえに大切にしていること。


そのひとつに、

まわりのひとに対して、常に
「わたしはこのひとに対してなにができるだろう?」
って姿勢でいる、というのがある。


わたしはいつも自分自身に問いかけ続けている。

――わたしが社会に対してできることはなんだろう?
なにがわたしにできるだろう?


その視点があるから、
そこから自分の目のまえのひと、ひとりひとりに対して、
考えることはいつも
「なにかできることはないかな?」


目のまえにいるひとだけじゃない。

知らないだれかにだって、
いつも自分がなにを提供できるか、って考え続けている。


その手段が、わたしの場合、
マスに対して働きかける
書籍だったりブログだったりする。


わたしの日記をよく読んでくださっているかたはご存知のように、
わたしは「シェア」って言葉を頻繁に使う。


それはたとえば
日常のなかの小さな幸せであったり、発見だったり、学びだったり、感動だったり、
得たもの、もらったもの、

あるいは自分をさらけ出して公表するつらい過去だったり、
自分とおなじような体験をしたひとに前を向いてもらいたいなって、
「あ、この大川内ってひともこんなことがあってもなんとかやってんだな。自分も大丈夫かも」って思ってもらえたらいいなって気持ちでお話することだったり、する。



   「コントリビューション――貢献」


レバレッジシリーズの本田直之先生の
ひとに対するこのお考えを知ったとき、
それがストン、と自分のなかに心地よく落ちて、

あぁわたしがやってきたこと、
これからもやり続けようとしていることってこれだったのかも、
ってすごいしっくりきたのね。


でもコントリビューション(貢献)するにも、
まず大事だなって思うのは

   「自己肯定感」


だって、まずは自分のシェアしようとしているものが、
提供しようとしているバリューが、

そうするに値するものだって、

たとえわずかでも
それがコントリビューション(貢献)になる、

言ってしまえば、すくなくとも害にはならない、
って思えなきゃ、

なにもはじまらない。


そう考えると、

いいコントリビューション(貢献)
ひいてはそこから生まれる
いい人間関係、人脈も

まずは「自己肯定感」なしには成り立たない、
って言っていいのかも。

【関連記事】
あたりまえに大切なものについて考えてみる。(1)

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あたりまえに大切なものについて考えてみる。(1)

ある方から、とても考えさせられるいいご質問をいただきました。

> エネルギッシュなライフスタイルを送ってて
> 大川内さん、とても魅力に感じます!
> 自分も最近はドラマとか舞台とかやらせて頂き
> 色々感じることがあります。
> 人と人との信頼関係を築けない人に、
> たとえどんなにお金持ちであっても、
> 本当の成功はないのかなって感じます。
> 大川内さんはどういった所に重点をおいて生活してますか?

わたしがそんなふうに言っていただけるような生き方をできているかどうかは別としても^^;
(もったいないお言葉をいただき恐縮です。ありがとうございます)

これっていうのは、
普段自分があたりまえに大切だって思っていて、
あえて目を向けてじっくり考えてみることがなかったことを
あらためて見直させてくださる、いいきっかけをいただいたなって思いまして。



あたりまえに大切なものについてって
普段じっくり見つめて考えることってすくないけれど、


でもあたりまえに大切だからこそ、
実はよく見つめてみることが大切なんですよね。



そんなわけで、
あたりまえに大切なことについて、ちょっと考えてみたいと思います。

わたしのいつも言っている
「シェアシェアクローバー」をさせていただけたらなって、
これから何回かにわけて連載したいと考えています。

ほんのちょっとしたことでも、
みなさんのなにかのきっかけにでもなれたらうれしいです。


まずはコメントへのわたしのお返事を掲載します。
反射的にぱっと思ったこととなので、
かなりざっくりだし、言いたいこともはしょってますが、ひとまずは。

-----
いやいや、その実、書いていないところでは。。ウッシッシナンテ(笑)
おかげさまでエキサイティングな毎日を送らせていただいています。過分なお言葉に恐縮しちゃいます。

○○さんのおっしゃるとおりだとわたしも思います。

人とのご縁を大切にできるかどうかって、
その人の真価が問われるところ。

キレイゴトでもなんでもなくて、
対人関係に誠意をもっていれば、
お金なんてあとからいくらでもついてくるんです。

逆に人に対して誠意がなくてお金に汚い人間は、
一時的な「成功」を手にしたとしても、所詮は泡沫。大成しません。


わたしが重点を置いていることですか~。。あえて挙げるならば、
   「感謝」「尊敬・敬意」「好き」
の3つでしょうか。

感謝できない人とか尊敬の念をもてない人ってたまに見るけれど、
本当に不幸だと思います。


感謝とか尊敬とかっていうのは、
相手がそれに値する人物であるか否かよりも、

むしろ自分自身が
 「感謝“できる”心」「人を尊敬“できる”心」
をもてるかどうか、の問題だと考えています。


あとはいかなる人や物事に対しても、
まず「好き」という肯定の気持ちから入れるかどうか。
そしてその気持ちを表現したり相手に伝えたりできるかどうか。


そこともつながるんですが、
最近大事だなって思っているのは「自己肯定感」。

自分を愛せない人間は人を真に愛することなんてできない。
自分を大切にできない人間は人を真に大切にすることなんてできない。

(以下略)

-----

“そもそも「成功」とはなにか論”にもつながってくるわけですけれど、
まぁそれはおいおいすこしずつ書いていこうと思っています。

ご質問をくださった方に感謝です。
貴重なきっかけをいただきまして、ありがとうございます!

 

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努力と忍耐。逆境は試練の仮面をかぶったチャンス。

わたしの“大事なヤツ”の曲が
UKのレーベルからリリースされます。

その他、いろんないい刺激をいただく日々のなかで、
最近思ったこと。


天性のタレント(資質) + 見えないところの努力
 の偉大さについては、このあいだ同窓会の日記で書きましたが、

 才能あるひとが輝くのは、
 その裏で努力を積み重ねているから
なんですよね。

 自分の才能に甘んじることなく、磨き続けること


 そして大事なのは、磨きながら、
 それが成果として表に出るそのときまで“耐える”こと


 この「忍耐」の大切さは、ある芸に生きる方が教えてくれました。
 大事なことを教えていただきました。

 なぜなら、
 それがこれまでのわたしに足りなかったことであり、
 そのときのわたし、いまのわたしに必要なことだったから。

 ありがとうございます。
 大川内、忍耐のときです。


“努力できるという「才能」”に勝る「才能」はない


チャンスはそれを活かせないひとのところにはこない
 チャンスが訪れたということは、
 それを活かせる、受け取れる自分になっているってこと

 チャンスも逆境もそう。
 そのひとに乗り越えられない逆境はこない
 なぜなら、
 「逆境」は「試練」の仮面をかぶった「チャンス」だから

 だから、がんばろう。
 だから、がんばって!


表に出る、そのときはほんの一瞬かもしれない。
 でもその一瞬のため、その素地として、
 日々のあいさつとか「ありがとう」の一言とかがある


【関連記事】
「試練」は“幸せ”に。
同窓会、ばり楽しすぎたって! (≧▽≦)ノシ

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#103 人との縁をよりよいものにしたいなら、タイミングを大切に!

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 人脈をつくるうえでの基本は相手にコントリビューション(貢献)することです。
 興味のある人にアプローチする際、何かをしてもらいたいとか、誰かを紹介してもらいたいとか、自分の願いを最初に考えるのではなく、まずは相手に何かコントリビューションできないかと考えます。もしコントリビューションできるものがなければ、そのときはアプローチせず、なにかができそうなタイミングで行うとよいでしょう。

出典:
 『レバレッジ・シンキング~無限大の成果を生み出す4つの自己投資術』 本田直之 著 (東洋経済新報社
 115頁/115-116頁「基本はコントリビューション」より
 初版:2007年7月12日

[本の情報を見る][Amazonで購入][本田直之先生のほかの本もオススメ!]



わたしはどこかせっかちなところがあるのか、
もともと何事も「すぐに!」行動しなければ
気のすまないたちでした。です。(笑)

もちろんそれが奏功することもあるのですが、
物事を早計に進めすぎて、
かえって望ましい結果をもたらさない、
ということもよくあります。


そんな経験をしてきて、

“物事にはかならずベストタイミングというものがある”

という考えに至り、

その“タイミングを待つ”ということもできるようになってきました。


人とのご縁もおなじ。
出会いにもやはりベストタイミングというものがあるのです。

相手にコントリビューション(貢献)できるときまで、
すなわち、なにかを「与える」ことができるときまで、
「与える」ことのできる自分になれるときまで、
事を急がず“そのとき”を待つ。

それが、結果として
より素晴らしい良縁を生むことにもなるのです。


#本田直之先生の「レバレッジ」シリーズ36万部突破されたそうですよ!
 まだ読まれていない方はぜひ!! オススメです!


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#000 タイトルに「#番号」のついている記事については こちら をお読みください。

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#102 自己愛 ~自分を大切にすること、認めること、愛すること

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友人、Mさんの出産を祝して。

純粋な自己愛をもった母親なら子どもにどのような影響をおよぼすかをみてみれば、子どもが、愛や喜びや幸福がどんなものであるかを知るには、自分自身を愛する母親に愛されることがいちばんだということがわかるはずだ。

出典:
愛するということエーリッヒ・フロム 著 (紀伊国屋書店
[本の情報を見る][Amazonで購入][エーリッヒ・フロムのその他の著書]


Mさん、無事ママになったね! 心からおめでとう。
いまMさんがSくんに抱いている、
その特別で不思議な気持ちが「愛」なんだと思います。

そういう気持ちを自分にも向けてあげることが、
すこしずつにでもできるようになるといいね。

いまわたしも「健全で建設的な自己愛」の練習中。^^
明日は娘の8歳の誕生日です。

お互い、自分自身を愛することのできる母親でいられるように、
ちょっとずついっしょに練習していこうね。

そして、この子たちを幸せにしようね。

【関連記事】
甘えるということ
甘えるということ(2)
人に理解を求めるとき ~甘えるということ(3)

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#012 だから、あなたの話は通じない

「コミュニケーション」についてのドラッカーの洞察は独特のものです。
(中略)
 まず聞く人がいないとコミュニケーションは成立しないとして、コミュニケーションの主体は情報の発信者と思われがちだが、実は逆で、すぐれたコミュニケーションとは情報の受信者が主人公なのだと指摘しています。
 また、私たちには聞きたいと期待しているものだけを聞き、見ようとしているものだけを見る傾向があります。したがって、円滑なコミュニケーションをするには、受け手の関心がどこにあるか、知的水準はどのくらいかといった点を十分に考えなければなりません

出典:
 『図で読み解く!ドラッカー理論』 久恒 啓一 著 (かんき出版
 96頁/96-99頁「コミュニケーションの主体は受け手」より
 初版:2004年8月9日

[本の情報を見る][Amazonで購入][久恒啓一先生のほかの本もオススメ!]
久恒啓一図解Web *ブログ *メルマガ


 わたしは、年長者の方、人生経験の豊富な方、すぐれた能力をお持ちの方などなど……のお話をおうかがいし、自分なりの解釈を織り交ぜて学ぶことが大好きです。

 また逆にひとさまに『伝える』『教える』ことをしなければならない立場に立つときにきています。


 そんなとき、自分が年長者の方などに、お話をおうかがいするとき、お話しやすかった方としにくかった方がいらしたのを思い出します。


 お話しやすかった方というのは、まず、緊張するわたしをリラックスさせてくださいます。

 そして、若輩者のわたしの目線に合わせてくださる。

 さら に、わたしのツボ、どこをどう突けば、お互いのためになる会話になるかを瞬時に見抜いて、話を進めてくださるのです。


 それによって、わたしは未知の可能性 すら展開することができるようになるのです。


 話をするとき。
 しばしば、そんな方々のことを思い起こします。まだまだ遠く及ばずですし、実際、反省することも多くあります。

 あなたは、相手に『伝えて』いますか?

【2006/04/12 21:24】 | 人付き合い(コミュニケーション)に困ったときに

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#011 それは、本当にいま解決しなければならないことですか? いまやらなければならないことですか?

 

 6月から4ヶ月間、混合性不安抑うつ障害(パニック障害・うつ病・PTSD)の治療のため、入院していました。
 友人や大事な家族の死、大切なひとのご家族の死……本当にいろいろなことがありました。
 つらかった。
 そんな体験を経て、この言葉の意味が、真に理解できました。

ご破算には、問題を何も解決しようとしない態度もあるのです。「解決を放り出し、時間が解決してくれるまで待機する」です。問題によっては、ある意味これが一番いい解決法でもあるのです。
ただし、たいていの人はそこまで辛抱強くまてないのですね。

出典:
大事なことだけを考える技術』 鷲田小彌太 著 (ダイヤモンド社
 70頁/66-70頁「時には、解決そのものを放棄してしまおう」より
 初版:2005年6月9日
本の情報を見る][Amazonで購入][鷲田小彌太先生のその他の本



「時間が解決してくれるよ」
「時がすぎれば忘れられるよ」
「機が熟すまで待とう」

――生きていれば、物事には、ベストタイミングというものがあることに気付きます。
 ココロに余裕をもって、ゆっくりと、焦らずに歩いていくことですよね^^

【2006/04/11 09:16】 | ココロが疲れたときに

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#101 ブレイクダウンによる問題解決(悩み解消)方法

 

大きな問題が起きたとき、
大きな悩みを抱えているときには、
「それはなぜか?」と突き詰めていく。

「なぜか?」と考え、
出た答えに対して、さらに「なぜか?」
答え→「なぜか?」→答え→「なぜか?」→答え→「なぜか?」……

これを繰り返すことによって、
問題(悩み)の本質を
とことん突き詰めていくと、

たとえば、
「あのとき、こんな言い方をしてしまった」などといった
自分の日頃の小さな行いが、
実はそもそもの原因であった、ということに気付く。

問題や悩みというのは、
たいてい、
日常のなかの自らのちょとした行いにこそ
端を発しているものなのだから。

そのようにして、
根本的な原因がわかれば、
あとは、そういった目の前の小さなことに
気を付けていけばいいだけ。

元の大きな問題(悩み)は、
ある種、幻想とさえいえるものなのだから。

伝聞元:
 先日、経営相談(という名の人生相談)をしたときの父の言(2007年5月9日)



 こうすると、たしかに悩みのポイントが明確になる。
 ポイントが明確になるということは、それだけ有効な対策が立てやすくなる。
 有効な対策が立てやすくなるということは、解決へと大きく近付くことができるんですね。

 また、自分ではどうしようもない、これは手に負えないと思っていた問題・悩みが、ポイントをしぼることで縮小化されていくのもかんじました。

【関連記事】
#102 「別れ」のとき
父に経営相談

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#000 タイトルに「#番号」のついている記事についてはこちらをお読みください。

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#009 それは『喜び』の伴う仕事ですか?

この文章は【2006/04/09】に執筆した連載から転載したものです)  

 さらに、給与には外的報酬内的報酬のふたつがある。
 外的報酬とは給与そのものやインセンティブ(奨励金)といった、お金として受け取れるものである。
 それに対して内的報酬とは、給与の額には表れないが、その仕事を通して得られる満足の報酬といったものである。
(中略)
 私の場合、外的報酬よりも内的報酬を増やすことを心がけてきた。
(中略)
 また、仕事を長く続けていくには、内的報酬がちゃんとなくてはつとまらないということもわかってきた。
 仕事をなし遂げたときの「達成感」や、自分が成長していることを実感できる「成長感」こそ仕事の原動力であって、他人からの評価という、自分の努力ではいかんともしがたいものにとらわれすぎるのは得策ではないと気づいたのである。

出典:
 『シゴトのココロ』 松永真理 著 (小学館
 31-33頁/28-35頁「給与の額に不満ですか?」より
 初版:2004年5月10日

[本の情報を見る]Amazonで購入][松永真理さんのほかの著書]



 わたしが、好条件の出版社勤務をやめ、いつ収入が入るか、いつ仕事が途絶えるかわからない、フリーランスの執筆者/編集者に転身したこと。

 それは、外的報酬よりも、内的報酬をとった結果にほかなりません。

 会社のカラーなどにとらわれず、さまざまな出版社とおつきあいさせていただくことで、より「自分のつくりたい本作り」に、すこしでも近づいていこうと。


 不安でした。
 仕事が軌道に乗らなくても、つまり、収入がロクに入ってこなかったとしても、向こう1年は食べていけるだけの貯金を手にしての決断だったとはい え。
 自分の実力よりも、ちょっと高めのハードルを強いた事業計画を立てていたとはいえ。
 具体的な目標設定と、そのために自分のやるべきことを、具体的に計 画していたいたとはいえ。


 不安でした。
 安定という言葉を使うとすれば、わたしは安定を捨てて、不安定な暮らしが待っていることが十分に予測されるところに、身を投じたのですから。


 不安と焦りだけが、わたしを支配していたように思います。


 フリーランスになったとき。
 まずは、フリーランスで、信頼していただける取引先を増やしていくなどといったことに努めよう。
 しかし、個人で請け られる仕事には、やはりキャパシティーや社会的信用の面などから限度がある。しばらくはフリーランスでやっていきながら、そうだな、32歳くらいを目安 に、編集プロダクション(出版下請け会社)を設立しよう。

 それくらいにまでは、起業準備も整うことだろう、否、それくらいまでには整えよう。それを視野に 入れた上でのフリーランス活動をしていこう。そう考えていました。
 25歳のころのことでした。


 しかし、フリーランスになって半年。思わぬ転機が訪れます。
 自分の将来的なビジョンを、もっとも尊敬する執筆者/編集者であったひとに話してみたところ、まったくといっていいほど、おなじビジョンをもっている。
「いっしょに、編集プロダクション(出版下請け会社)を興さないか」
 思ってもみない言葉でした。


 しかし、わたしは、すぐにその話に乗りませんでした。何度も何度も話し合いを重ねました。具体的に。慎重に。最悪の事態を想定して。


『起業』もおなじことなんですよ。
『フリーランス』となにも変わらない。
『フリーター』となにも変わらない。
 すべて経験したからわかるんです。
 なにも変わらないんです。


『起業』したからといって、輝かしい未来だとか、安定した生活だとかが待っているという保障がつくわけではないんです。
 リスクは、常につきまとうものなのです。


 リスクマネジメントができないのならば、なにをやったっていっしょです。
『起業』しようが『フリーランス』として独立しようが『フリーター』で 頑張ろうが。



 リスクマネジメントをするための最良かつ最短である方法は、具体的に、慎重に、そして、最悪の事態を想定しておくことです。


――創業1周年を来月に控えています。1年目にして、決算は、大幅黒字です。 この文章を執筆したのは【2006/04/09 11:59】)


 わたしが、常に忘れずにきたこと。それは、内的報酬の追求です。そして、それを追求し続けるために必要な努力です。


 努力とは、日々の小さな積み重ねこそが根底にあるもの。「ありがとう」と「ごめんなさい」がいえるかどうか。あたりまえのことをあたりまえにできるかどうか。


 逆にいえば、あたりまえのことをあたりまえにやるだけでいいんです。


 より「自分のつくりたい本作り」に、すこしでも近づいていくこと。
 そして、それから生まれてくるもの。たとえば、読者からの言葉。感想。取引先からの「ありがとう」の言葉。

――これらが、わたしの内的報酬です。


 もちろん、「自分のつくりたい本」ばかりつくってきたわけではありません。

 下請けという上下関係がある以上、嫌な思いもしました。悔しい思いもしました。怒りに震えたこともあります。


 それでも、誠実さを忘れないこと。


 自分がどんなに誠実でいるつもりであっても、どうしても、それの伝わらない相手だっています。
 今後も、お互いにプラスとなる関係でいられるのかどうか……――ならば、思い切って、距離を置いてみるという選択もある、ということも知りました。いま現在、思うことがあるので、別のエントリーに追記します
 わたしには、めったにないことというのもあって、本当に、悲しく、苦い、苦い、体験でした。


 自分なりに込めた誠意を評価するのは他人です。
 ここで、冒頭のコトバを思い返してみましょう。著者は、外的報酬=給与などをして

他人からの評価という、自分の努力ではいかんともしがたいもの

 とし、「それにとらわれすぎるのは得策ではないと気づいたのである」と述べています。


 外的報酬についてはもちろんのことですが、自分なりに込めた誠意に対しても、おなじことがいえるのではないでしょうか?


 内的報酬を追求していった結果、そして、そのための努力を怠らなかった結果、外的報酬が、あとからついてくる。
 そんなこともあるんですね。

【2006/04/09 11:59】 | よりよい仕事をするために


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#008 「自分には『才能』がない」とあきらめかけてはいませんか?

 

“『努力できる』という『才能』”に勝る『才能』はない。

伝聞元:
 中学時代の恩師が、卒業時に、わたしに宛ててくれたメッセージ



 なにか新しいことや自分にとって難解なことにチャレンジしようとするとき、そして、それが自分には乗り越えられそうもない壁だと感じたとき。

 ひとは「これをやるには『才能』が必要なんだ。自分には、そんな『才能』なんかない……」と及び腰になってしまいがちです。


 そして、そんなときに、ついつい忘れがちなのが『努力』というものの存在。


『努力』というと、なにかものすごいことをやらなければならないような気がしてしまうかもしれませんね。
 ならば、別の言葉に言い換えてみますね。『ちょっとやる気になってみる』『ちょっとやろうかなと思ってみる』というのはどうでしょう?
 なんだか、簡単にできそうな気がしてきませんか?


 そう、『努力』というのは、実は、だれにでも簡単にできることなんです。そして、それは、どんな『才能』にも勝るものなんです。


 また、あなたには『努力』をしているつもりはなくても、客観的に見ると、「あの子って、すっごい『努力』してるよね」「『努力家』」だよね」ってこともあります。
 そんなとき、あなたは“無意識に『努力』をしている”のであって、それこそ、まさに“『努力できる』という『才能』”にほかならないのです。


 それから、『努力』すること=なんだか恥ずかしいことって意識はありませんか?
 なぜ、恥ずかしいことだと感じてしまうのでしょうか?

 よくありましたよね、学生時代の試験まえの光景(笑)。「勉強した?」「ぜ~んぜん。もうやばいよー」といいつつ、本当は、一生懸命、勉強してきている。


 なぜ隠すのでしょうか? 『努力』したということを。


 それは、『努力』した結果、「努力が報われなかった」ということへの恐れがひとつなのではないでしょうか?


 でもね、大事なのは『結果』ではないんです。『努力』したという、その『過程』なんです。『努力』したという事実なんです。


『努力』したということは、かならず、あなたの糧になります。
それは、テストの点数のように、即座に出る、わかりやすいもの(要は、先述したような所謂『結果』ですね)ではないかもしれません。でも、かならず、「あのとき『努力』してよかった」というときがきます。自分では気付かなくても。かならずくるんです。


 こういったことに主眼を置いていくと、『努力』するということは、決して、恥ずかしいことでも、かっこわるいことでもないことに気付きます。
 そして、先にも述べたように、『努力』は、かならず、あなたの糧になるわけですから、「報われない『努力』はない」のです。


 もう一度、いいます。
『努力』すなわち『ちょっとやる気になってみる』『ちょっとやろうかなと思ってみる』ことは、だれにでもできることなんです。
 また、それは、恥ずかしいことでも、かっこわるいことでもなんでもなく、かならず報われるものなのです。
 そして、『努力』できるということに勝る『才能』はないのです。

【2006/04/08 12:05】 | ココロが疲れたときに


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#007 無理をして強がってしまってはいませんか?

 

「自分は自分以上でも以下でもないのだから、周囲の目を気にして、わざわざ自分以上に見せる努力をする必要はない」
(中略)
 でも、逆に言えば、こういう人は自分に自信がない証拠です。

出典:
 『チャンスを逃がす人 活かす人―自分を変える逆転の仕事術』 西田通弘 著 (かんき出版
 119頁/116-120頁「弱さを隠さない」より
 初版:2003年11月10日

*ホンダ・西田通弘前副社長のサイト
[本の情報を見る][Amazonで購入][西田弘道氏の他のご著書]



 わたしは、中高生のころに、とってもつらい時期をすごしたことがあります。

 でも、そのことを、だれにも打ち明けることができませんでした。そればかりか、たとえ自分がどん底の状況にあったとしても、いつも、ひとの相談には乗っていました。

 なぜか?

 怖かったんです。
 わたし(←むかしもいまも姐御肌とよくいわれる^^;)は『強い人間』で、恵まれていて、底抜けに明るくて……だれもがそう思っている。だれもにそう思われている。
 だから、『違う自分』を見せたら、みんなに嫌われてしまうんじゃないか――『本当の自分』に自信がなかったんですね。

 でも、22歳くらいのころのことかな。ふっと、みんなに『本当の自分』の姿を見てもらおうって思ったんです。不思議な衝動でした。

 そこで、わたしは、WEBサイトを立ち上げ、『本当の自分のこと』を書きました。そして、友だちたちにURLを送ってみたのです。

 そしたら、どうなったと思いますか?

「麻里のこと、なんにも知らなかった……」そういって、泣きながら電話をしてきてくれる友だちがいたのです。
「おまえ、俺らとは違う世界の人間だって思っていたけど、実はいっしょだったんだな」って、メールしてきてくれる友だちがいたのです。
「これ、だれにも話ししたことないんだけれど、わたしも、実はね……」と、『本当の自分』のことを告白してくれる友だちがいたのです。

 共感してくれるひとがいた、わたしなんかのために泣いてくれるひとがいた、自分こそ友だちの素顔を知らなかった。
 わたしのなかで、なにかがふっきれました。

 以来、わたしは、弱みを含めたありのままのわたしでいられるようになりました(もちろん、時と場合によりますが)。

 そうすると、どうなったでしょう?

 そういったところを、かえって、わたしの『人間的魅力』として、好いてくれるひとたちが出てきたのです。

 そんなひとたちは、積極的に、わたしを支えてくれます。協力してくれます。困ったときは力になってくれます。

 そして、そんなひとたちに囲まれていることを、わたしは日々「ありがとうございます」と感謝しています。本当に恵まれていることだと思います。
 そして、そんなみんなに対して、逆に、わたしにできることがあれば、なんでもさせていただきたいと、常に考えています。

 自分に自信がないことは、わるいことではありません。謙虚さなど、ひととして大切なことを生む源ともなりうるのですから。

 等身大の自分をさらけ出すこと、ありのままの自分でいること、肩の力を抜くこと。とっても難しくて、勇気のいることだけれど、そうすることによって、あなたが得られることは、とても大きなものです。

 ひとは、ひとりでは生きていけないのですから。

 自分に素直に生きてみませんか?

【2006/04/07 18:32】 | なんとなく疲れたときに




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#006 考え込みすぎてはいませんか?

「真剣だけど深刻じゃない」

出典:
『コミュニケーション集中治療室』 須子はるか・松村香織 著 (東洋経済新報社)
 26頁「「コミュニケーション集中治療室」誕生秘話」より
 初版:2005年12月22日
ジャストレード株式会社 代表取締役 須子はるかさんのブログ「夢を実現させる起業日記
須子さんも、取締役の松村さんも、わたしと同年代。そのパートナーシップと経営手腕には頭が下がります。とっても前向きで聡明で、キラキラしている女性たちです!^^



 このコトバは、著者らの経営理念ですが、これって、生き方、考え方、物事の見方や捉え方、態度などのヒントにもなりうるのではないでしょうか?

 ココロが疲れているとき。
 ココロが落ち込んでいるとき。
 悩んでいるとき。

 もしかすると、あなたは、真剣になりすぎるあまり、自分を深刻な状況に追い込んでしまっているのかもしれません。

 でも、そんな自分を責めないで。
 それだけ真剣に考えたというのは、素晴らしいこと。
 まずは、そんな自分をほめてあげて。

 それから、自分に教えてあげましょう。「真剣になることと、深刻になることは違うんだよ」って。

 ちょっと視点を変えてみるだけで、目のまえが開ける――そんな体験をしたことはありませんか?

 視点を変えるといっても、悩んだり、落ち込んだりしているときには難しいもの。だから、無理に視点を変えようと意気込まなくてもいいんです。そのヒントを知るだけでいいんです。

 真剣さと深刻さの違い。それを知るだけで、あなたは、大切な自分という存在を、悩みや苦しみ、つらいことから解放してあげることができうるのです。

 『真剣』と『深刻』。あなたは、どこに違いを見出しましたか?

【2006/04/06 15:34】 | 落ち込んだココロを癒すヒント・悩んでいるときに

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#100 幸せをシェアすれば、もっと幸せに、もっと豊かになれる

 

 カンボジアの子どもたちは教えてくれました。モノは奪い合えば足りず、分け合えば足りるのです。自分だけの幸せなんてないんだ。幸せは、人のそれと重ねるものなんだ、と教わりました。

出典:
 『きみはなぜ働くか。―渡邉美樹が贈る88の言葉』 渡邉美樹 著 (日本経済新聞社
 4/1-5頁「はじめに」より
 初版:2006年9月19日
*ワタミ創業者・渡邉美樹社長のサイトWatanabeMiki.net
[本の情報を見る][Amazonで購入][渡邉美樹社長の他の本]



 ワタミの渡邉美樹社長は、ご自身が理事長を務めておられるNPO法人SAJ(スクール・エイド・ジャパン)で建てた学校で、WEP(国際連合世界食糧計画)の協力を得て、給食をはじめられたそうです。

 その給食風景について、このように述懐しておられます。

 三日に一食しか食べられない子どもがいる、カンボジアの田舎の貧しい村です。早朝から給食を待ちきれずに、食器を持って子どもたちが集まってきます。
 朝七時、豆入りごはんが炊き上がりました。おかずは魚の缶詰のスープです。
「いただきます」
 元気よく給食が始まりました。その中で、ひとりだけ食べようとしない子がいました。ビニール袋に自分の給食を入れています。給食が終わろうとした時、何事もないように周りの友だちが自分の分の三分の一ほど残し、そのこのビニール袋に給食を分けました。
 聞くと、その子は家に食事をしていない小さな弟と妹がいて、自分の給食を持って帰るのだそうです。その子は給食が終わると、一生懸命、走って学校を後にしました。

 そして、冒頭に引用させていただいたお言葉がでてくるのです。


 人間の心は、互いに共鳴しあうもの。
 わたしたちは、日々、だれかの影響を受け、だれかに影響を与えながら生きています。たとえ、自覚がなくとも。

 だから、幸せな気持ち、豊かな心は伝染するし、また逆に、不幸せな気持ち、貧しい心も伝染するのです。

 幸せには相乗効果があります。

 幸せをわかちあえば、もっと大きな幸せとなって、あなたのもとに返ってきます。
 そして、あなた自身はもちろん、そればかりか、あなたのまわりの人々をも豊かにし、その心を満たしてくれることでしょう。

 また、不幸せな気持ち、貧しい心は、受容や共感、癒しにより変わることだっておおいにあります。

 幸せは、だれかとシェアすれば、もっと幸せに、もっと豊かになれるのです。

#この記事は、FPN-新規事業とイノベーションを考えるニュースコミュニティにも寄稿しています。
(⇒http://www.future-planning.net/x/modules/news/article.php?storyid=2279


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#数字 の 記事について【お知らせ】

 タイトルのあたまに「#数字」のついた記事についてお知らせします。

 このたび、わたしの別のところで書いていたブログ「大川内 麻里の“人生がより心豊かになる”コトバ 1日1文」と、
いまご覧いただいている、このブログ「フリーターから起業した女性経営者の“心豊かに生きる”ブログ by OkawauchiMari.net(旧タイトル:元フリーター編集者の出版日記、フリーターから起業した女性経営者が考える「働く・人・社会」)」とを統合することにしました。


#数字の記事の趣旨
大川内 麻里の“人生がより心豊かになる”コトバ 1日1文」とは、
わたし(大川内麻里)が、日々膨大に読む読み物や、人から見聞きする言葉、出会ってきた素敵な言葉たちのなかから

“あなたの人生が、より心豊かなものになる”コトバ
 をご紹介し、
+わたしのちょっとしたコラムを綴っていく

 というブログでした。

あなたの毎日に、“ちょっとした豊かさ”をプラスできるようなコトバたちを、お届けしたい」というのがコンセプト。
 わたし自身、心の豊かさを追求しながら綴ってきたもので、いただいたコメントから、たくさんの学びや喜び、幸せをいただいてきました。
 わたしのモノの見方、考え方がもっとも顕著に現れるブログでもありました。
 おかげさまでご好評もいただいてまいりました。

 そんな1日1文を、これからはこちらのブログで配信していこうと考えています。
 もちろん、これまでこのブログで書いてきたようなテーマの記事も続けていきます

 ただ、1日1文については、タイトルのはじめに「#数字」をつけることで区別することにしました。


#001~099はバックナンバー
 この統合にあたって、2006年4月~1年間に書いてきた過去記事を、すこしずつこちらに移行していきます。

 タイトルに#数字のついた記事のうち、#001~099は、その移行した過去記事、つまりバックナンバーです。

 もともとのこのブログで書いてきたテーマと共通するテーマも多いので、楽しんでいただけるとうれしいです。


#100~は新しい記事(新しい1日1文)
 バックナンバーを移行していくだけではなく、これから新しい1日1文もお届けしていきます。

 今後、書いていく新しい1日1文は、#100からはじめます。

 つまり、タイトルのはじめの番号が、#100以降のものは新記事となります。


1日1文だけをご覧になりたい場合
 1日1文だけをご覧になりたい場合には、サイドバーのカテゴリから「■心豊かに生きるための1日1文」をクリックしてください。(でも、たぶんすごい見づらい……(~~;)



 わたし自身、まだまだ発展途上で、日々修練の身でありながら、こういったコンセプトの記事(1日1文)を書かせていただくのは恐縮なのですが、未熟であるからこそ、アンテナに引っかかる言葉、お伝えできる言葉があるのでは、という気持ちで綴っております。

 先にも述べたように、わたし自身学びながら、と申しますか、わたし自身の学びの場として、このブログがあります。

 その研鑽の場を、だれかと共有することができたらあなたと共有することができたら――チョット素敵だなって思いませんか?^^

 1日1文は、わたしからあなたへの「毎日の暮らしのなかにある、ほんのちょっとの幸せ、シェアしませんか?^^」というご提案でもあるのです。

 プチバラシをしちゃいますと、わたしのブログのなかでも、特に1日1文において、断定形の文体を使っているのは、ある意図あってのことです。^^ゝ


 この統合によって、単純にこのブログの更新頻度は、以前よりも増えることとなると思います^^
(……って、企業合併の記者会見みたい^^;)
 そんなわけで、みなみなさま、今後とも当ブログ・大川内麻里をよろしくお願いします!


なお、著作権法を遵守し、引用は、著作権法の規定するところを逸脱することはございません。
引用について、著作者さまの不利益となるような悪意あるご紹介の仕方は一切いたしません。



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#005 考えることに行き詰ったら、見直しのポイントは、たったの9つ!

◆転用したら?
 現在のままでの新しい使い道は?
◆応用したら?
 似たものはないか? 真似はできないか?
◆変更したら?
 意味、色、動きや臭い、形を変えたらどうなる?
◆拡大したら?
 大きくする、長くする、頻度を増やす、時間を延ばすとどうなる?
◆縮小したら?
 小さくする、短くする、軽くする、圧縮する、短時間にするとどうなる?
◆代用したら?
 代わりになる人や物は? 材料、場所などを代えられないか?
◆置換したら?
 入れ替えたら、順番を変えたらどうなる?
◆逆転したら?
 逆さまにしたら? 上下左右・役割を反対にしたら?
◆結合したら?
 合体、混ぜる、合わせたらどうなる?



出典:
『考具――考えるための道具、持っていますか?』 加藤昌治 著 (阪急コミュニケーションズ)
 151頁/147-152頁「考具その13 オズボーンのチェックリスト」より
 初版:2003年4月4日

****************************

 発想法として、あまりにも有名な『オズボーンの9つのチェックリスト』ですが、これを仕事に関する発想法だという固定観念をもっていませんか?

 このリスト、暮らしのさまざまなシーン――たとえば、料理のメニューに困ったとき、部屋の模様替えをするとき、ギャグのネタを考えるとき、ブロ グのネタを探しているとき、飲み会やコンパでの会話、友だちとの旅行先、恋人や配偶者とのあいだにマンネリが訪れたとき――などなどで、試しに、ちょっと 適用してみてください。
 すると、実は、これって、生活のあらゆることに使えてしまうことに気付きます。
 この9つの事項、ちょっと、頭の片隅に置いておいてみてください。そして、ふっとしたときに、なんとなーく思い起こしてみてください。

 こんな発想方法の応用こそが、究極の発想といえるのではないでしょうか?

#000 この記事は、2006年4月~1年間、ブログ「大川内 麻里の“人生がより心豊かになる”コトバ 1日1文」で連載していたものを転載しております。

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#004 ひとに物事を任せる技術は、信頼関係と協力しあえる関係を構築する

「人に頼むより自分でやってしまったほうが早くできるじゃないか」
 などと言って、人に仕事を任さない人もいますが、どんなに早く仕事をしても、それにかかる時間を0(ゼロ)にすることはできない
のです。その反対に、
「この仕事は誰かに任せることができるのではないか」
 という発想をつねに持っている人は、それだけタイムパフォーマンスに優れている
人といえます。


出典:
『1時間の仕事を20分で終わらせる――ダンドリ上手になる技術』 秋庭道博 著 (かんき出版)
 46頁/45-48頁「自分でやらなければ時間はかなり浮く」より
 初版:2006年1月5日

****************************

 かつてのわたしは、ひとに仕事をお願いするのが苦手な人間でした。ひとさまに頼ることが苦手で、頼ることのできる、自分の弱みを見せることのできる相手というのは限られていたのです。

 当時、口にしていた理由は、二つあります。

まず、ひとつめ。
「こんなことまで、わざわざやってもらうのは、わるいから……わたしがやっちゃうよ」

 そして、ふたつめ。これがまさに
「指示出ししている時間がもったいない。自分でやっちゃった方が早いじゃん」
 だったのです。

 これら、二つの言葉の背景にある、当時のわたしの心理状態を分析してみましょう。

 まず、ひとつめの「こんなことまで、わざわざやってもらうのは、わるいから……わたしがやっちゃうよ」のとき。具体的に、どんな行動をとっていたか。

 たとえば、わたしが編集者をやるときには、事前にライターさんに原稿を発注する際、テイストや文体、盛り込んでほしい内容の注釈を入れた、見本原稿を作成し、渡していました。
 それに添っていない原稿がきたとき。わたしは、「編集意図が十分に伝わっていなかった。これはわたしの責務であり、編集の仕事のうち」と、原稿を全文書き直していたのです。
 たしかに、ライターと編集の仕事の境界はあいまいではあります。しかし、編集者のやるべき原稿の手直しは、全文を書き直すといった、根底からのやり直しではないのだと気付きました。
 このとき、わたしがやるべきだったのは、いま一度、事前に打ち合わせた原稿の発注内容を、ライターさんに確認することだったはずです。
 全文を書き直されたものを、あとで目にするよりは、時間の許す限り、自分で手直ししたい――文章を書く仕事のプロフェッショナルとして、当然の思いでしょう。相当、気分を害したライターさんもいたであろうと思います。

 これは、わたしとしては「ひとさまに、お手間をおかけするのに、気が引けてしまう」という遠慮の気持ちのつもりであったのですが、わたしの『完璧主義』の現われでもあったと振り返ります。

 その後に、わたしは、編集方針書を出し、それに基づいて、ライターさんへの要望を明記。その要望も、ある程度フレキシブルにし、ライターさんの自由度をあげるようにしました。
 そして、あがってきた原稿に、不備な点、こうした方が読者に伝わるといった点は、原稿内に質問として書き込むようにしました。
 次に、ふたつめの「指示出ししている時間がもったいない。自分でやっちゃった方が早いじゃん」。具体的に、どんな行動をとっていたか。

 わたしは、企画から執筆、編集、デザインやDTPまでできるスキルをもっているため、編集者として、どのセクションの仕事に対しても、要求水準が高く、鬼のように厳しくなってしまっていたのです。
 ですから、タイムリミット(印刷所へ、完成したデータを渡さなければならない期限など)が近づくと、最後の作業をやってくれているDTPの方々に対し、半ばキレて、朱字を入れて修正してもらうべきところを、データを引き上げて、自分で直してしまっていたのです。

 これは、『驕り』以外のなにものでもなかったと振り返ります。

 最初から最後までのスキルをもっているから、ひとりで本をつくれちゃう」とひとからもいわれていたし、自分でもそう思い込んでいたのです。
 実際に、そうして、ひとりでつくった本もあります。しかしながら、執筆なら執筆、編集なら編集、デザインならデザイン、DTPならDTPと、ひ とつの作業に集中しなければ、それは決して仕上がりのいい本にはならないのです。ひとりの人間がやることで、他人の目というフィルターを通さないため、ど こかに、普段ならやらないような見落としなどがある。
 単純なスキルの有無の問題ではないのです。
「餅は餅屋」、それぞれのプロフェッショナルにお願いすることはお願いして、分業し、自分は自分のやるべきことに集中すべきなのです。その方が、絶対にいい本が仕上がるのです。

 さて、『完璧主義』と『驕り』というふたつの心理上の問題があったことが浮き彫りになりました。
 これらは、換言すれば、『ひとさまのプロフェッショナルとしての力を、100%信頼しきれていなかった』ともいえます。

 こんなわたしに、変化が現れはじめたのは、自分にアシスタントの子がついてくれたこと。そして、自分で会社を興して、実務だけではなく、マネジメントも仕事になったこと。
 これらが契機でしょうか。

 では、これらを契機として、わたしに新しく芽生えたものがあるとすれば、それはなんでしょうか。

 それは、『ひとを育てる』という意識にほかなりません。

 いま、わたしの会社では、アメリカでは、スタンダードな働き方となっている『インディペンデント・コントラクター』(プロジェクトごとに、仕事 に参加し、社員と同様の動きをする)のスタイルを取り入れて、フリーランスの方々などに、お仕事をお願いさせていただいています。

 そこには、絶対的な『信頼関係』が必要であり、また、弊社において、そういった働き方をしていただくからには、相手の方にもメリットがなければならない。
 もし、弊社の仕事を通じて、そのひとが、新たな可能性を展開することができたり、能力を伸ばすことができたりすることができれば――それは、相手の方にとっても、メリットとなりうるのではないか。そう考えています。

 それは、同時に、わたしたちにとっても、相手の方に『喜び』を伴って、仕事に『ご協力いただける』という『喜び』にもなるのです。
 そこに、お互いの『喜び』が伴わないのであれば、それは『仕事』ではなく、ただの『作業』以外のなにものでもない。

 協力者なしには、仕事ばかりか、生きていくことすら困難です。ひとは、決して、ひとりでは生きていけませんよね。

 あなたは、どんなとき、どんなひとに支えてもらって生きていますか?


#000 この記事は、2006年4月~1年間、ブログ「大川内 麻里の“人生がより心豊かになる”コトバ 1日1文」で連載していたものを転載しております。

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#003 『ひとりの人間』として生きていますか?

 さて、女性であることで損したことは何ですか?
と聞かれて、あなたはどう答えるだろうか。
 私なら、こう答える。
 女性であることを損だと思い込むことが、もっとも損である、と。

出典:
『シゴトのココロ』松永真理 著(小学館)
 57頁/52-59頁「女性は損! と感じてはいませんか?」より
 初版:2004年5月10日

****************************

女性であることを損だと思い込むことが、もっとも損である

――この考え方の方向性って、いろんなことに応用できませんか?

 たとえば、
自分はフリーターだから。
自分はルックスがよくないから。
自分は高学歴ではないから。
自分は運がわるいから。
自分は恵まれた環境に育たなかったから。
……などなど、いくらでも出てきます。

 でもね、そんなもの、ただの『属性』にしかすぎないんです。
『属性』にとらわれることって、実は、あなたにとって、とても損なことなんです。

 人間というのは、自分が望ましい方向に進めないとき、そのファクターを、自分のウィークポイントや不利な点だと“思い込んでいる”ことに帰結させることには、非常に長けた動物です。

 あるいは、原因の対象を、自分のウィークポイントや不利な点だと“思い込んでいる”ことばかりか、外的な阻害要因だと“思い込んでいる”ことのせいにしてしまう。端的にいうと、“ひとのせい”にしてしまう。

 断言します。
 それは、ただの『言い訳』です。

 そして、そんな『言い訳』を続ける限り、あなたは、自分にとって望ましい方向に進めることはないでしょう。

 それでも、あなたは『属性』にとらわれ続けますか?
 もしくは、これは、とても勇気のいることだけれど――自分は自分、『ひとりの人間』として生きてみませんか?


#000 この記事は、2006年4月~1年間、ブログ「大川内 麻里の“人生がより心豊かになる”コトバ 1日1文」で連載していたものを転載しております。

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#002 自分の本当にやりたいことをやっていますか?

 自分で決めた仕事を途中で投げ出して違う道に進む――こんな生き方 を、日本人はあまりよく思いません。「我慢が足りない」「人生を安易に考えすぎている」と厳しい評価をしてしまいがちです。 確かにそうもいえるかもしれ ません。しかし、やむにやまれぬ路線変更はあってもいいと思います。
 私の人生は頓挫の連続でした。だからはっきりいえます。自分の気持ちに素直に生きようとすると、「どうしてもここにいてはダメだ」という場面があるのだ、と。
(中略)
 路線変更はリスクのある選択です。しかし、自分を裏切ってまで我慢をして、嫌なことにしがみつく義理はありません。
 自分の人生は自分で決めればいいのです。だから、「ここにいては、自分の使命は果たせない」と思えば、迷うことなく違う道を進むべきです。
(中略)
 路線変更は現実逃避ではありません。そのまま行こうと思えば行けるかもしれないけれど、それは自分への裏切り行為になる。それは許せないから、その路線から「降りた」のです。
(中略)
 真剣に考えて起こした行動なら、堂々としていられるはずです。
(中略)
 自分の志がはっきりしているのなら、その望みを捨てずに、最後まで必死に追いかけてみるのは悪いことではない。そういう勇気も必要だと思います。



出典:
『仕事で本当に大切にしたいこと――自分を大きく伸ばすために』大竹美喜 著(かんき出版)
 43~46頁「路線変更で理想の生き方をつかむ」より
 初版:2004年5月31日

****************************

 わたしが、出版社勤務の編集者であったころ。
 会社のカラーや方針により、わたしは“自分の本当にやりたい本作り”からは、程遠いところにいました。
 やりたいことができない。どんなに企画を出そうとも、著者を口説いてこようとも、わたしの意向は通らない。伝わらない。それも、到底納得しがたい理由で。

 そのうち、身体に不調が現れはじめ、内科、婦人科など、あらゆる病院にかかってみても、異常は見つからない。なにかがおかしい。なぜ……? この不調の理由は……?
 そんなある日でした。会社に行こうとしても、どんなに行こうとしても、行けなくなってしまったのです。突然のことでした。

 心療内科の門を叩いたわたしに告げられたのは、『仮面鬱病』――ココロの鬱が身体症状として現れてしまう――という病名でした。間もなく、『鬱病』も発症。

『退職』という選択肢が、頭に浮かびました。けれど、すぐに、それを選ぶことはなかったのには、二つの理由があります。

 そんなわたしでも、会社はわたしは必要としてくれていて、「常勤しなくていい。週に1回であっても、月に1回であっても、これるときにきてくれ ればいい」そして、そんな(同社にとって)前代未聞の勤務スタイルであっても「ギャランティーは、これまでと同額を支払う」と提示してくれたのです。
 ただでさえ、自分に自信がない上に、鬱病によって会社に行けなくなってしまったことで、完全に自信を喪失していたわたしにとって、“こんなわ たしなんかでも、会社はわたしを必要としてくれている。わたしなんかを必要としてくれる場所がある”というのは、にわかには信じがたいほど、奇跡的であり がたいことでした。

 また、当時のわたしには、これまで、高校は中退するわ、結婚も仕事は続かないわ……という自分に劣等感や嫌悪感を感じていました。“なにごとも続かないというレッテルを貼られてもおかしくない道を歩んできた”と、それを払拭しなければという思いがありました。
 いま振り返れば、その思いは、自分自身に対する戒めであると同時に、他人や社会の目を気にしすぎていたことからくるものであったことに気付きます。
『戒律』とは、自発的に規範を守ろうとする、自律的な心の働きをいう『戒』と、他律的な規範に基づいて守ろうとする『律』という、二つの意味を表す字で成り立っています。当時のわたしは、ある種の『戒律』めいたものに縛られていました。自分を縛っていました。
 しかし、あるとき、気付いたのです。
 会社とわたしのあいだには、ただの互いの『甘え』『依存』しかなく、いまのこの関係は、だれのためにもなっていないと。

 ……わたしは、正式に退社しました。

 逃げたのではない。「降りた」のだ。――そう、この本が教えてくれたのです。

 いま、本当に自分のやりたいこと、目標、夢に向かって、一歩一歩、着実に進んでいるという実感を、全身でたしかに感じとっているわたしがいます。

 最後に、わたしの本当にやりたいこと、目標、そして夢とはなにかを付記しておきます。

------------------

 過去の自分とおなじように悩み苦しんでいるひとがいたら、すこしでもいいから役に立ちたい。つらかったあのころのわたしが求めていたひとになりたい。求めていた本を書きたい。
 そして、世の中に怒るべきことがあれば、その怒りのエネルギーを昇華しモチベーションとしたいし、また真っ向から立ち向かっていきたい。いつだって、わたしは強者よりも弱者の視点に立ってものごとを見ていたい。
  ――それが、わたしの出版人としての原点だから。

 たった一行でもいい。ほんの一言でもいい。「この言葉に出会えてよかった」「救われたような気持ちになれた」と読者の心に刻まれ、何度でも読み 返したくなるような本を、もし生涯に一冊でも書くことができたとしたら、わたしはこれでようやく出版人としてのミッションを果たすことができたと思えるこ とでしょう。

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あなたの本当にやりたいことはなんですか?


#000 この記事は、2006年4月~1年間、ブログ「大川内 麻里の“人生がより心豊かになる”コトバ 1日1文」で連載していたものを転載しております。

#000 タイトルに「#番号」のついている記事についてはこちらをお読みください。

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